【光る君へ】清少納言は、本当に性格の悪い女性だったのか
今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原定子(一条天皇の中宮)が発作的に髪を切ったこともあり、仕えていた清少納言が嘆き悲しんでいた。一説によると、清少納言は性格が悪かったといわれているが、それは事実として認めてよいのか考えることにしよう。
清少納言は随筆『枕草子』で知られ、その作品は紫式部の『源氏物語』とともに高く評価されている。『枕草子』は清少納言の優れた感性によって執筆され、鋭い観察眼、独特の美意識、軽妙な機知に満ち溢れており、それゆえ高く評価されることになった。女流文学の傑作の一つである。
清少納言は才能が溢れていたが、それゆえに後世の評価はさまざまである。江戸時代になると、清少納言は紫式部と並んで絶賛されることになった。しかし、明治時代になると、その評価は異なってくる。
三上参次は『日本文学史』(金港堂、1890年)の中で、『枕草子』と『源氏物語』を高く評価しつつも、著者の人間性に関しては、違う判断を下した。紫式部は貞淑かつ温和な性格で徳があり、そうした性格が作品に反映されていると高く評価した。一方で、清少納言は自身の学才を誇り、また慎みがないと酷評した。
こうした評価は、少なからず後世に引き継がれた。
藤岡作太郎は『国文学全史 平安朝篇』(東京開成館、1905年)で『枕草子』論を展開し、その内容について記事が自賛に満ちており、それは清少納言の傲慢な性格をあらわしてるとこき下ろした。とはいえ、別に『枕草子』という作品自体の価値がないと述べているのではなく、その性格を酷評したのである。
では、同時代の人は清少納言について、どう思ったのだろうか。紫式部は『紫式部日記』の中で、清少納言はとても傲慢な人物であり、賢そうにして漢文などを書いているが、大したことはないと酷評した。それだけでなく、清少納言のような人物は、きっと将来は失敗するだろうとも述べている。
清少納言が同僚からイジメられ、陰口を叩かれていたのは事実である。藤原斉信は清少納言の悪い噂を信じてしまい、なぜそういう女性を称えていたのかと殿中で話したことがあったという。
とはいえ、歴史上の人物の性格を正しく認識することは困難である。清少納言の性格を記す史料は断片的で、そのわずかな一面しかわかっていない。そういう限界があることを理解すべきだろう。