【光る君へ】平安時代、強烈なエピソードで知られた2人の受領とは
今回の大河ドラマ「光る君へ」では、「まひろ」の父の藤原為時の長年にわたる就職活動が実り、ついに越前守になった。為時は受領として越前に赴任したが、そもそも受領とはどういうものなのか、また強烈なエピソードで知られた2人の受領を紹介することにしよう。
受領とは、国司制度における長官のことである。通常は、「守」または「介」のことを意味する。また、受領は実際に任国に赴任して、実務を執り行った。任国に赴かない国司は、遙任国司という。遥任国司は代官たる目代を現地に派遣し、得分(収入)のみを得たのである。
平安時代の中期以降、中小貴族は中央政界での活躍が期待できなくなり、受領として現地に赴いた。とはいえ、受領にはうまみがあった。現地での徴税権があったので、それにより富を蓄えた。また、売官制度の成功(じょうごう)、重任(ちょうにん)により、任期を更新したのである。
そのようなことで、受領には強烈なエピソードで知られた者もいる。そのうち、藤原陳忠と藤原元命の2人を紹介することにしよう。
◎藤原陳忠(生没年不詳)
信濃守だった陳忠は、任期を終えて帰洛することになった。ところが、信濃と美濃の国境付近の神坂峠を過ぎると、馬が橋を踏み外したので、そのまま陳忠も転落してしまったのである。
従者が驚いて谷の下を見下ろすと、陳忠の「籠に縄を付けて下ろしてくれ」との声が聞こえたのである。従者が籠を引き上げてみると、ヒラタケが山のようにあった。再び籠を下すと、今度は陳忠が乗っていた。
陳忠が言うには、ヒラタケがたくさん生えているのに、手ぶらで戻るのはもったいないとのことだった。そこで披露されたのが、「受領は倒るるところに土をもつかめ」という陳忠の名言である(『今昔物語』)。
◎藤原元命(生没年不詳)
元命は尾張国司を務めていたが、永延2年(988)に尾張国八郡の郡司、百姓らが3年にわたる非法を訴えた。それが有名な31ヵ条にわたる「尾張国郡司百姓等解文」であり、朝廷に元命の罷免を求めたのである。
元命は百姓らに重税を課し、悪政を行っていたことが発覚した。その結果、元命は尾張守を罷免されたが、のちに従四位下まで昇叙したのである。