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ロールプレイヤーになるつもりはない。開幕後Bリーグ屈指のガードとして健在をアピール

青木崇Basketball Writer
横浜で結果を残すためにハードに戦い続ける川村(写真:田村翔/アフロスポーツ)

"Chip on my shoulder"

NBAを取材していると、選手たちの口からこんな言葉を耳にすることがある。“ケンカ腰の”とか”突っ張った”という状態の意味に当てはまるのだが、Bリーグを筆頭に日本のバスケットボールを見ていると、こんなメンタリティーで試合に臨んでいる選手は少ないと感じる。どの選手も勝つために全力を尽くしていることは否定しないし、スポーツマンシップの大事さも十分理解している。

しかし、コートに立ってプレイを始めたら、ナイスガイである必要などない。相手にとって嫌なヤツと思われるくらい、トゲのある選手が存在すると、試合はおもしろさを増すのだ。それは相手に限ったことでなく、勝つということへの強い気持が理由で、チームメイトやコーチに対してぶつかることも恐れない。

横浜ビー・コルセアーズの川村卓也は、Bリーグの中で"Chip on my shoulder"というメンタリティーがすごく表に出ている数少ない選手である。12月18日の仙台89ers戦に勝ったあと、前日に不甲斐ない負けをしたことに対し、自身だけでなくチーム全体に怒りを感じ、「昨夜一睡もできなかった」とコメント。さらに、試合後のミーティングでコーチやチームスタッフとの激しい意見交換したことを口にしたあたりは、他の選手にない本音を正直に話す川村らしいところ。「自分自身の気持はビーコルにかけている」、「このチームのために今シーズンを迎えているので、プレイオフ争いをできるチームに持っていくことが僕のやるべきこと」という言葉からも、強い意識を持って取り組んでいることが理解できよう。

20歳だった2006年に世界選手権(現ワールドカップ)に出場するなど、川村は長年日本を代表するスコアラーとして活躍し、2010年に栃木ブレックスのJBL制覇に大きく貢献。得点力に関しては、日本人No.1と呼ぶにふさわしい選手だった。ところが、NBA挑戦を理由に栃木を離れてから、苦しい日々に直面することとなる。サマーリーグのメンバーに入ったがすぐにカットされ、その後和歌山トライアンズに入団するも、右ひざをケガしてしまう。この故障は予想以上に厄介なものとなり、川村が納得できるようなプレイができるようになるまで、3年の月日が必要だった。

「いろいろなところで変更を余儀なくされて、恐怖と戦いながら、重りとか抱えながらやってきましたね。その時間があって、その時みんながサポートしてくれたから、今自分がコートに出てプレイできていると思うし、やっと自分らしさを取り戻せてきていると思っている。過去の自分には戻れないし、今の自分の身体でできることをより高いパフォーマンスでやることが重要なんですけど、今のレベルに来るまで3年くらいかかりましたね」

三菱(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)での昨季、川村は右ひざの故障が完治していなかった影響もあってベンチスタートが多く、起用のされ方が完全にロールプレイヤーだった。しかし、横浜に移籍して迎えたBリーグでは、延長で競り勝った10月30日のサンロッカーズ渋谷戦での31点を最高に、出場した26試合中24試合で2ケタ得点をマーク。1月1日時点で平均16点がB1全体で13位、日本人選手で上回るのは金丸晃輔(シーホース三河:平均17.3点)しかいない。たとえ得点が1ケタに終わったとしても、仙台戦のように8アシストを記録して勝利に貢献するあたりは、ロールプレイヤーでなくチームを牽引できる選手として健在なことを証明している。

「得点だけの川村卓也はもういらないです。コートの中で支配したいなと思っていて、結局得点が第一の川村だけど、こうやって8アシストを残した今日のゲームとかだって止めずらくなってくると思うし、また得点じゃない見せ方もできるようになっている」

このコメントを耳にした時、得点だけじゃないんだ! という"Chip on my shoulder"を感じることができた。そんな川村の完全復活は、オールラウンダーとしてよりレベルアップした姿を見せ続けられる可能性があるということ。と同時に、それは自身が熱望する横浜の成績向上につながることも意味している…。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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