【札幌市中央区&東区】「開かずの踏切」が永遠に開かなくなった時、再発見した廃線跡。
「開かず」は「開かなく」なった。
ついに東9丁目の通称「開かずの踏切」が永遠に開かなくなる(=廃止)されたので、その記憶がまだ場所に残っているうちに、札幌に戻ってきたので見ておこうと訪問しました。
たくさんの車がここで発車と停車を繰り返した結果、路上は削られ、このように。
よくこの道路、頑張ってくれました。
とその時気付いたものが。。。
踏切が廃止して、ここを足速に通過することがなくなり、立ち止まってみたからこそ気付いたこの踏切&鉄路の北側にある謎の空き地。過去の写真フォルダを見ると、昔からここにこのスペースはあったようですが気付きませんでした。
このスペースの正体は?
なるほど!理解できました。このスペースはかつて1890年に建設されたという札幌製糖の専用線の跡でしたか!
1980年代までの1世紀弱、札幌製糖を引き継いだサッポロビール第2製造所(現在のサッポロビール博物館とビール園)、さらには分岐して古谷製菓(現在のアリオ札幌の一角 1984年倒産)や大日本印刷の専用線群ともつながっていました。
そうか、この辺りで本線から北に分岐して、現在のアリオの敷地を横切っていたのだな。。。アリオの開業が21世紀初頭で私が札幌に移ってきたのが1996年。確かに当時、まだここには東札幌駅の遺構(現在のコンベンションセンター)と共に、つい最近まで鉄道と工場があったんだなという風情が色濃く残っていたのを思い出しました。
この写真は旧踏切から苗穂駅側、つまり東側を向いて撮影したものなのですが、よく見るとその分岐はもう少し西側の札幌駅に近い地点から始まっていたようです。おそらく鉄路を高架する時に消えたのでしょうか。
この手前のスペースです。ちなみにこの電車は向かってくるのではなく去っていく電車です。ここは実は撮影には良さそうなスポットだな笑
廃線に思いを馳せる。
この専用線は本線から分岐した後北東に向けて、今はマンションになっている昔の国鉄(JR)の研修所のスペースの敷地の境界の形にその痕跡が残っていたと思います。ちょうど鉄路があった時のR(円弧)のそった形でした。そこで北東から、北へと曲がっていました。
まだ廃線跡を確認できる!
今はその部分の跡はもうないです。しかしもう少し先の部分は道路を挟んだアリオの傍らに、当時の線路があったスペースとしてその形が残っていますよ。
廃線から見る、北海道の可能性。
確かに北海道は、歴史ある寺社仏閣などは本州に少ないかもしれませんが、実は対照的に産業遺産の大宝庫。これほど、現存しているものからこのように痕跡しか残っていないものまで多種多様の鉄道や官営工場、炭鉱や港湾施設の遺跡に溢れているのです。
ドイツなどに特に多いと聞いていますが、こうした産業遺産好きなツーリストが世界から集まってくることも今後考えられます。そのために、少しでも記録にとどめておきたいなと思います。
この専用線の詳細は私もわからないことが多いので、引き続き調べていきたいと思います。
鉄道の存在意義とは、重いものをまとめて運ぶこと。北海道でいえばまず石炭でしたが、これはエネルギー転換のため、現在はその役目をオイルタンカーに譲りました。ビールももちろん大量消費される重量物ですが現在はトラックが主流です。ビール会社の専用線の廃線跡というのは日本各地にあるようなので、調べていきたいです。
■東九丁目踏切跡地■
場所:札幌市中央区北3条東9丁目&東区北4条東10丁目
当時の札幌市役所の廃止告知は、こちら。
またはアリオ利用者に向けた廃止告知は、こちら。