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【河内長野市】一部の中世寺院は独立国家の様だった!ふるさと歴史学習館天野山金剛寺展は館長イチオシ企画

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野のミュージアムといえばふるさと歴史学習館ですが、定期的に市内にある文化財をテーマにした企画展を開催しています。これまで八条院や寺ヶ池・寺ヶ池導水路、前回は楠木正成伝説を行っていました。

10月25日に行われた遺跡見学会
10月25日に行われた遺跡見学会

先月、高向遺跡で遺跡見学会があったので見学に行って来ました。これは私が当初道路工事と勘違いした中高向近くの遺跡の見学会だったのですが、この時に偶然ふるさと歴史学習館の館長とお会いしました。

10月25日に行われた遺跡見学会
10月25日に行われた遺跡見学会

その時に、「11月3日から新しい企画展を行う」とのお話を伺ったのですが、館長は「今までと違う大きな規模でやります」力強く話されたのです。テーマは天野山金剛寺とのこと。

館長があそこまで気合が入っている展覧会と聞いてとても気になった私は、文化の日に初日を迎える、ふるさと歴史学習館の企画展を見学するために足を運びました。くろまろの郷からの沿道には秋らしい柿の実が生っています。

ふるさと歴史学習館の前に到着しました。奥にも柿の実が生っていますね。

さっそく中に入ってみましょう。ふるさと歴史学習館は無料の施設なので利用しやすいですね。

こちらが館長イチオシの、この日から始まる企画展「天野山金剛寺の中世世界」です。11月3日(文化の日)から翌年2024年1月28日までの展覧会。

企画展は河内長野の歴史がわかる常設展の奥にあります。ところが館内に入った瞬間、いつもと雰囲気が違う気がしました。

以前はもっと開放的ですぐに全体が見渡せるような企画展示室の入り口ですが、入口の前に大きな幕があり、半分しか見えません。さらに間仕切りがあって、そこにも展示物があるようです。

昨年の企画展示室です。今まではこんな感じで入り口に看板があるだけで、中はスケルトンのような空間で壁伝いに展示が行われているという印象がありました。

しかし、今回の展示は違います。大きな部屋の壁に展示していただけでなく、間仕切りの展示があるため回遊性ができたようで、本格的な博物館のように見えますね。

今回は大人向けの展示物の紹介ということで、わかりやすく解説した子ども用の冊子もあります。子どもに地元の歴史を学ばせるのには最適ですね。

それでは見ていきましょう。撮影はふるさと歴史学習館の館長の許可を得て行っています。館長の話では、企画展のコンセプトとして宗教施設としての天野山金剛寺ではなく、中世に存在したミニ国家としての側面を持つ天野山金剛寺を紹介する内容とのこと。

中世の寺院がミニ国家のようなものというのは観心寺のマルシェの時にもご紹介しましたが、天野山金剛寺も同じだったわけです。館長によると最盛期には境内に100もの子院(付属寺院)があったそうで、現在の高野山に匹敵していたとのこと。

下里から天野山に向かう道
下里から天野山に向かう道

そして天野・下里・小山田町の一部はかつて天野谷という名前で呼ばれており、そこは天野山金剛寺の領地(寺領)だったそうです。また中世の金剛寺は、統治機構や高等教育機関としての側面があったそうです。

天野山金剛寺に残された一山図(パネルの絵)を元に、今回の展示のために再現されたというジオラマ。当時の金剛寺の様子がとてもよくわかりますね。なお右隣には、本物に限りなく近く再現された絵図面のレプリカも展示しています。

こちらが伽藍を再現したもので、現在も存在しているところですね。

館長の話では、中世のミニ国家金剛寺という視点で見れば、今でいうところの霞が関のような場所だったとのことでした。

まわりに多くの家がありますが、これは所属する僧侶の家。子院と呼ばれているものが並んでいます。金剛寺のそばには、今でもごくわずかに子院が残っているそうです。

ちょうどヒマワリの時期に撮影したものですが、画像上側の建物が現在も残る金剛寺の子院の吉祥院です。また写真には写っていませんが、この右手前にはカフェのmonzen.さんがあります。

monzen.さんはふたつ上のジオラマ画像でいえば画像中央から左側の緑色のところあたりとのことでした。

これは中世の頃の出土品です。室町時代のものとのことで、こういった出土品が出てくることが当時の金剛寺が独立した国家のような存在で中に町があった証であるというのです。

寺院の屋根の説明がありました。中世の頃の屋根瓦の作りです。

金剛寺大玄関の屋根
金剛寺大玄関の屋根

昨年、金剛寺大玄関の屋根の様子を見るイベントに参加した時に見たものですが、画像の屋根とほぼ同じものがふるさと歴史学習館に展示しています。

展示しているのはこちらです。このスタイルは江戸時代以前の瓦の形式で、江戸時代以降では瓦の作り方も異なるとのこと。

館長の話では、中世の屋根の作り方は、型を使って瓦の曲線を作るそうですが、型に直接瓦をはめ込むと後で取れなくなるので、布を間に入れて外しやすくする工夫をしたそうです。

そしてそれを裏付ける跡が残っているとのこと。確かにひもの跡があって、江戸時代以前に作られた瓦だとわかるそうです。

こちらは天野山金剛寺に残る建物をパネルで紹介しています。興味のある方はぜひ天野山金剛寺で本物を見てください。

次に天野山金剛寺の年表がありますが、館長によればこれは最新の研究に基づいたものと言います。多くの中世史の研究者が3年かけて調査した結果新しい事実が次々と判明したもので、中世の頃の金剛寺と武将たちとのやり取りなどが事細かく書かれています。

天野山金剛寺と言えば、日本遺産女人高野の関係で、平安時代の八条院の頃のエピソードの印象が特に強いですが、ここでは中世の時代に楠木正成や南朝、北朝の上皇、さらに戦国大名との駆け引きの記録が詳しく年表で標示していました。なかなか興味深かったです。

次は美術工芸のコーナーです。ここは金剛寺の中にある国宝や重要文化財の数々をパネル展示しています。

昨年観心寺とともに京都国立博物館で特別展が行なわれましたが、その時に展示したものなどの説明が見られます。

たとえば、国宝の日月四季山水屏風や大日如来像座像などの説明です。これは秋の特別公開がちょうど終わってしまったばかりなので残念ですが、ふるさと歴史学習館で事前に学んでおけば、来年の公開時に見に行くとまた違った目で見られそうです。

東中学校で行われた特別授業
東中学校で行われた特別授業

余談ですが、昨年東中学校で天野山金剛寺の国宝の屏風の作られた当時の本来の楽しみ方についての特別授業があったのを思い出しました。

これは天野山金剛寺境内の産業と経済についてのコーナーです。宗教施設に加えてミニ国家のような状況の金剛寺の様子が紹介されています。

経済活動を目的とした海外との貿易や国内の各地に流通していた高級な陶器と主に境内で使う安価な器など、出土品を価値の高いものから日常使いにするものと、段によってクラスを分けて紹介しています。

中には天目茶碗も出土品として出ています。

次は僧房酒を入れていた甕(かめ)の展示です。館長によれば天野山金剛寺が醸造していた僧房酒は京都にも流通していたそうで、それもトップクラスの扱いだったとのこと。

また僧房酒・天野酒は羽柴(豊臣)秀吉が愛用した酒としても有名ですね。

現在は西條合資会社さんが、僧房酒の天野酒を復刻していることは知っていましたが、当時金剛寺で醸造された僧房酒が当時の都ではとても多く流通していたという事実は初めて知りました。また同時に、炭の生産も経済活動の一環として盛んだったそうです。

その横は祭礼のコーナーです。

天野山金剛寺の祭礼についての紹介です。祭礼に使う道具の紹介もあります。なおパネルに表示されている正御影供は毎年4月21日に行われている祭礼です。

こちらは子院に住む僧が使っていたものとのことで、中世の頃は武家と同じ地位にいたとされる僧は茶道などもたしなんでいたそうです。

ということで、ふるさと歴史学習館の「天野山金剛寺の中世世界」の展示をさっそく観てきました。天野山金剛寺なので「寺院=宗教施設」と思いがちですが、そうではなく、中世の独立したミニ国家だったという展示は、多くの新しい気付きもあり必見です。

なお、広報かわちながの11月号24ページにて、企画展に関連するイベントが紹介されています。

  • 2023年11月26日(日)14時から 14時30分から 館員による展示解説会 定員各15名
  • 2023年12月10日(日)13時から 関連シンポジウム(花の文化園)定員100名

両回とも、本日11月7日よりふるさと歴史学習館にて参加の募集を開始します。(下記電話にて受付)いずれも無料なので、興味のある方はぜひ企画展に足を運んでいただき、同時にイベントにも申し込んでみてはいかがでしょう。

河内長野市立ふるさと歴史学習館
住所:大阪府河内長野市高向2230-5
TEL:0721-64-1560
企画展日時:2024年1月28日まで 9:00~17:00
定休日:月曜(月曜が祝日の場合は翌日)、年末年始
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 道の駅奥河内くろまろの郷バス停から徒歩6分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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