【河内長野市】駅だけど鉄道駅ではない上田駅。実は、高野街道にある三日市宿の高札場跡なんです
高野街道を歩いていると、上田駅というのがあります。私はこの場所の名前を聞いたときに、南海かその前の高野登山鉄道時代に、かつて上田駅と言う鉄道駅があると思い込んでいました。
そこで1914(大正3)年に長野駅から三日市町駅までで鉄道が延伸した際の情報を調べましたが、途中に上田駅があったということはまったく確認できませんでした。それでは、上田駅とは何だったのでしょうか?
その理由は、歴史を調べている途中でわかりました。驚くことに、上田駅の駅とは鉄道の駅ではなかったのです。
通常、駅と言えば電車が止まる鉄道の駅を思い浮かべますね。駅を検索してもYahoo!の乗換案内や路線情報が出てきます。しかし駅という言葉には、鉄道駅以外にも、古代から近世にかけて存在した、律令制で設けられた駅家(うまや/えきか)という意味もあるんだそうです。
ちなみに駅家とは、古代日本の街道に設置された施設。そこには馬(駅馬)がいて、街道(駅路)の通行に馬を利用できるようにした制度です。楠木親子が別れたとされる桜井の駅の「駅」も駅家です。上田駅とは、鉄道駅ではなく駅家のほうだったんですね。
高野街道の駅については、画像の説明版があります。これによれば堺から西高野街道と高野街道を経由して高野山に繋ぐ物品の補給ルートという事で、三日市宿内に三日市と上田に駅(駅家)を置いたとの説明がありました。
上田駅は旧三日市宿の北側旧上田村にあります。ここに上田駅のあった場所には当時の高札場が再現されているというので、見に行ってみることにしました。
こちらが上田駅の高札場(こうさつば)です。ちなみに高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと:法律)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひく場所に高く掲げているものです。つまり上田駅という人の集まる場所に、定として知らしめるようにしていたということです。
上田駅の高札場を調べると、2010(平成22)年度に行われた「高野街道町並み再生事業」にともなって設置されました。説明版によると、上段には「親子・博奕・忠孝等」について、下段は「人馬賃定高札(じんばちんさだめのこうさつ)」を再現したとのこと。
上田駅にあるのは復元されたものですが、実際の高札は烏帽子形八幡神社が所有しているとのこと。それは河内長野市の市指定文化財に指定されている「三日市宿高札」(外部リンク)です。
リンク先の説明によれば、上段の親子・博奕・忠孝等定高札には「当時の道徳倫理の内容」が記載されているそうで、9条にわたって細かく書かれているとのこと。一部を引用します。
下段の人馬賃定高札は、「三日市宿駅往還御用の定」で、宿駅の駄賃、人足の持つ荷物の規格、宿駅を利用する旅人や大名についての定めが書かれているとのこと。こちらも一部引用します。
上田駅の高札場跡の横にある説明版です。歴史散策マップには高札場跡の他にも、いろいろスポットがあるようです。
そのうちのひとつが、すぐ隣にある社で金刀比羅講です。その後には増幅寺というお寺もあります。
また上田のだんじり小屋もありました。もし高野街道を歩くことがあったら、そのまま通り過ぎてしまうのではなく、上田駅にある高札場や歴史ゆかりのものをじっくりと眺めて、昔の人々に思いをはせてみてはいかがでしょう。
上田駅の三日市宿高札場
住所:大阪府河内長野市上田町
アクセス:南海三日市町駅から徒歩11分
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