民主主義は多数決で決まらないことを教えてくれる英国政治の混乱
日本では明日発表される新元号に国民の目が注がれているが、英国ではメイ首相のEU離脱案を議会下院が3度も否決し、国民投票の多数決で決まったEU離脱の先行きがまるで見えない。
英国議会は「議会の母」と呼ばれ、民主主義の模範とされる。英国議会には貴族院と庶民院の2つの院があり、国民の選挙で選ばれた議員が首相を選び、与党が内閣を組織する議院内閣制を採用している。日本は戦前からそれを真似て政治の仕組みを作り、その基本は戦後にも引き継がれた。
ところが民主主義の模範たる英国議会が機能不全を起こしている。問題は英国がEUの一員となったことで、自分の問題を自分で決めることが出来なくなり、またヒト、モノ、カネがEU内を自由に流通するため東欧からの移民が増えた。それによって英国の伝統や文化が失われていく。国民の不満が募り、英国はEU離脱の是非を国民投票で決することになった。
2016年6月の国民投票で、離脱派は52%の支持を集め、残留派の48%をわずかだが上回る。英国のEU離脱はそこで決まった。しかし具体的な離脱の方法を巡り、メイ首相がEUと協議して決めた方針を議会は受け入れない。3度の提案は3度とも否決された。
現状では、来週12日に「合意なき離脱」に突入するか、EUに離脱の時期を延期するよう求めるか、再度国民の意思を確認する国民投票を行うか、議会を解散して総選挙を行うか、いずれかの方法を採らざるを得ないように私には思える。
民主主義の模範とされる英国議会が、なぜこれほどの混乱を招いているか。日本国民は遠い外国の出来事と見ているかもしれないが、しかし憲法改正が政治の俎上に上っている現在、国民投票が行われ、それが国民の分断を強め、政治的混乱を招く可能性は日本にもある。
また離脱の大きな理由となった移民問題でも、昨年の国会で事実上移民を認める法が成立し、明日から外国人労働者の受け入れ拡大が実施される。移民問題も他人ごとでは済まされない。そう考えれば英国議会の混乱をわが身の問題と考える必要がある。
日本では子供の頃から「多数決で決めるのが民主主義」と教えられるが、日本が模範とした英国議会の混乱を見れば、多数決で決めることや民主主義が必ずしも万能でないことが分かる。むしろ民主主義を追求することが解決を難しくしているようにも見える。
一方、私の取材経験では、日本では表で「民主主義は多数決」と教えながら、裏の現実の政治では多数決ではなく全員一致の原則で決める側面がある。そうしたことも含め改めて民主主義とは何かを考える必要がある。
英国で起きていることを理解するうえで参考になるのは、ハーバード大学教授のダニ・ロドリックが書いた『グローバリゼーション・パラドクス』(白水社)である。彼は現代においてグローバリゼーションと国民国家と民主主義の関係は、そのうちの2つを取ることは出来ても全てを取ることは出来ないと言う。
例えばグローバリズムと国民国家を重視すれば民主主義は犠牲にされる。その指摘で私は「小泉改革」を思い出した。それはグローバルスタンダードに合わせて日本を改革し国家主権を強くする道だったが、国民に痛みを強いることを是認していた。
次にグローバリズムと民主主義を重視して国民国家の主権を犠牲にするのがEUである。共同体が民主的な運営をするため参加各国の主権は押さえつけられた。英国民はそれに反発し離脱の道を選択した。
そしてロドリックは国民国家と民主主義を尊重し、自由貿易は認めながら、しかしグローバリゼーションを抑制することが世界経済を安定させると主張する。冷戦終結後に顕著になったグローバリゼーションを見直すべきだというのである。
英国のEU離脱は英国経済に打撃を与える。しかし国家主権を回復させ、英国が英国らしい道を歩もうとする離脱派は経済にマイナスの影響が出ることも厭わない。だが英国にはそれと同程度の割合で生活が成り立たなくなったら元も子もないと考える人たちがいる。
2年前の国民投票では離脱派がやや上回ったが、その後の世論調査では残留派の数が離脱派を上回るという。再び国民投票を行えば残留派が勝つかもしれない。しかし2度目の国民投票を行うことは容易ではない。なにを大義名分に2度目を行うのか、その理屈が難しい。
仮に2度目の国民投票を行えば、離脱派の怒りは頂点に達し、火に油を注ぐ結果になることは明らかだ。かつて「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、欧米先進国から蔑まれた日本人は「経済最優先」で物事を考えるだろうが、世界は経済だけで動いているわけではない。また民主主義はそうした人たちを切り捨てて良いとは考えない。
そもそも現代のグローバリゼーションを始めたのは冷戦に勝利した米国である。旧ソ連崩壊によって「唯一の超大国」となり、米国は世界を一極支配しようと考えた。そのため米国式の民主主義を普遍的価値として世界に広めようとした。
それを支えたのが米軍の開発したインターネットや米軍の委嘱を受けて開発されたデジタル技術である。IT革命によって米国は自動車や家電製品で米国経済を脅かした日本に一矢を報い、世界の情報産業の先頭に立った。そして米国企業は安い労働力を求めて世界を駆け巡った。
クリントン大統領は「21世紀はグローバリゼーションの時代」と宣言し、同時に「人権を無視した民族浄化を米国は許さない」とも言ってソマリアやコソボの内戦に介入した。グローバリゼーションと共に米国は「世界の警察官」になったのである。だが米国の価値観の押しつけは世界各地で反発を呼ぶ。それが2001年の同時多発テロとなって現れた。
するとブッシュ(子)大統領は「テロとの戦い」を叫んでアフガン、イラクに先制攻撃をかけ、これが世界的な移民問題を引き起こす端緒となる。戦争を逃れた中東からの難民や移民が大量に欧州に流れ込み、また旧ソ連の支配下にあった東欧から英国への移民が増大した。
ところが米国の一極支配は当の米国に多大な負担を強いる。ついに「世界の警察官を辞める」と言わざるを得なくなり、グローバリゼーションから一国主義への転換が始まった。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」はそれを宣言するものだ。
国際協調より国家主権の回復という流れの中に英国のEU離脱問題も位置付けられる。そして今や英国では民主主義の多数決原理が政治の混乱を引き起こす源となった。
私は政治取材の一線に立つまで「民主主義は多数決」を信じてきた。ところが自民党を取材すると多数決では決めないことを知った。自民党の決め方は全員一致が原則なのだ。反対者がいなくなるまで議論し、一致できないときはリーダーに一任してその裁定に委ねる。
それを見て私は黒澤明の映画「七人の侍」を思い出した。野武士の襲撃があることを知った農民たちは広場で全員が話し合う。しかし意見が割れてまとまらない。すると全員で水車小屋に住む長老に意見を聞きに行き判断してもらうのである。昔からの日本の決め方がそこにある。
また同時多発テロの報復として米軍が起こしたアフガン戦争では、アフガニスタンの部族の長が集まって開いたロヤ・ジルガ(大会議)がニュースになった。それは全員が一致するまで何日でも話し合う会議だという。アジアには西欧の民主主義とは異なる決め方があることを知った。
これまで自民党総務会が多数決を採ったことは1度しかない。小泉政権の郵政民営化を巡り自民党が真っ二つに割れた時、初めて多数決で法案の提出を決めようとした。その時、反対派の急先鋒であった野中広務氏は、小泉総理の手法を「独裁」と批判した。多数決で決めることは、全員一致で決めるより民主的でないというのである。
カソリックの総本山であるバチカンでは、ローマ法王の後継者を決める時、多数決は採らない。何日でも話し合い全員が一致するまで結論を出さない。多数の意見より少数意見を尊重する姿勢が貫かれているように思う。
民主主義は考えれば考えるほど複雑で一筋縄ではいかない制度である。その模範とされる英国議会がこの混乱をどう乗り越えるか、あるいは乗り越えられずに民主主義の限界を露呈するか、そしてその先には何があるのか、私は英国議会の動向を強い関心を持って見ている。
それは「安倍一強」と呼ばれる現在の日本政治に危機感を抱いているからである。特にここ数年の国会はもやもやした感覚だけを残す異常な国会だった。そのことが大きな問題として国民の関心を呼ばないことがさらに私の危機感を強める。民主主義とは何か。英国議会の混乱から多くのことを学びたいと思うこの頃である。