樋口尚文の千夜千本 第86夜「侠女」(キン・フー監督)
クンフーでもマーシャル・アーツでもない侠客たちの舞踏会
よく座興で「無人島に持って行きたい映画」を十本選べなどと言われると、おおかたの候補がその時々の気分で変動するなか、山中貞雄『丹下左膳餘話 百萬両の壺』、ヒッチコック『めまい』などと並べて絶対不動のタイトルとして挙げるのがキン・フー(胡金銓)監督の『侠女』なのである。上集・下集(前篇・後篇のこと)合わせて3時間を超す大作なのに、いったい何度観たことかわからない。面白さ、激しさ、美しさ、典雅さ、宏量なヒューマーと諧謔がひとかたまりとなったような、奇跡的な瞬間に満ちた映画なのである。そんな『侠女』が、今ひとつのキン・フーの代表作『龍門客桟』とともに劇場公開されているのは、もう夢にまで見た垂涎の出来事だということをまずは言っておきたい。
よく誤解されるが、これは武侠映画ではあるとしても、決してクンフー映画ではない。それはほかならぬキン・フー監督自身が強調していたことだが、キン・フー作品は決してクンフーやマーシャル・アーツの映画ではなく、監督は全くそこには関心がない。キン・フー映画のアクションはすべて京劇の舞踊にインスパイアされたもので「闘い」ではなく「舞い」なのだ。その証拠に、キン・フー監督の武術指導ならびに印象的な凄腕の悪役としておなじみのハン・インチェ(韓英傑)は、そもそも京劇のダンサーなのである。それだから、キン・フー作品を彩る数々の活劇シークエンスは、息もつかせぬ緊張感みなぎりつつも、常に美しく、超高速なのにこのうえなく優雅だ。キン・フー映画をよく観ていると、脇役に若き日のサモ・ハンやユン・ピョウら将来のクンフー映画スタアも出ているが、ブルース・リーやジャッキーのクンフー映画とは全く異質の、もうただひたすらにキン・フー映画と呼ぶしかない専売特許の映画世界なのだ。
私は1965年の『大地兒女』に始まるキン・フー監督作を短篇から現代劇も含めて全部観ているが、もちろんその全てが図抜けているというわけではなく、たとえば台北の広告業界を描いた(!)コメディ『終身大事』はキン・フー作品ということではそこそこの出来であり、最後の作品となってしまったジョイ・ウォン(王祖賢)主演の『ペインテッド・スキン(画皮之陰陽法王)』は往年のキン・フー武侠活劇に比べるとずいぶんユルい感じがした。やはり1966年のショウ・ブラザーズ作品『大酔侠』で着火し、翌67年の『龍門客桟』で燃え上がり、70年の『侠女』で大爆発した時期の、京劇のアダプテーションがふんだんに活かされた諸作は問答無用に素晴らしい。
さて、この『龍門客桟』と『侠女』は、どえらく単純な物語であるところも肝心だ。二作は明王朝の動乱期における秘密警察(東廠)の執拗な弾圧、捜索と、それに追われる人々の攻防を、ごくごく具体的かつシンプルに描き続けるのみだが、この徹底した単純化ゆえに、キン・フー作品は舞踊的な活劇細胞を全篇にふんだんに行き渡らせることができるのだ。たとえばツイ・ハーク(徐克)の頼みで一時その映画化(『スウォーズ・マン』)に着手したことはあるものの、数々の武侠小説で知られる金庸の『笑傲江湖』などは(作家本人も、多くの読者も、映画化するならキン・フーが適任と思ったであろうが)挿話が複雑に入り組んで自身の映画には向いていないと語っていた。実際、金庸の原作を映画化した名匠アン・ホイ(許鞍華)の『書剣恩仇録』などはちょうど『侠女』と同じ尺ながら、前者の大河ドラマ的挿話過密ぶりに比べて後者の悠然とした余白感は対照的である。キン・フー作品の成功は、細部の活劇演出に加えて、この単純さと空隙を徹底担保する全体構成への目配せあってのことである。
そしてまた、この単純さを補強する大きな要素として、俳優たちの顔つき、表情の明快さも忘れてはいけない。爽快な笑顔とギラッとした白い歯が印象的なシー・チュン(石雋)、超人的な悪党も正義漢もこなすパイ・イン(白鷹)、理性的な参謀ふうのロイ・チャオ(喬宏)、シニカルなラスボスふうのティエン・ファン(田豊)、朴訥とした導師ふうのウー・ミンサイ(呉明才)、先述した手に負えない曲者ふうのハン・インチェ・・といった俳優陣も、ひたすらに強烈で単線的な殺気の権化を以て任ずるシャンカン・リンホー(上官霊鳳)、チェン・ペイペイ(鄭佩佩)、そしてシュー・フォン(徐楓)といった女優陣も、いい意味で人格の深度は求められず、とにかくひと目でどんな役回りかが理解できる。キン・フーの武侠活劇は、このおなじみの顔を役柄だけ組み替える感じで連作されたので、何作か観ればもう瞬時にして誰が善玉か悪玉か、そして物語がどんな状況かも理解できるのだった。
こうした念入りな単純化のくわだてを経て、キン・フーが存分に凝りまくって盛り込み続ける活劇場面の比類なき舞踊的美学については、とにかく画面を観て体感して頂きたいが、余りにも有名な『侠女』の竹林での決闘場面が実際はどうやって撮影されたか(それはあえて伏せておく)などを知るにつけ、この作品は現実のクンフーやマーシャル・アーツによりかかるのではなく、あくまで映画という虚構のイメージの力をもってキン・フーが作品を構築しきろうとしている堅固な意志を感じる。その『侠女』の映画的なイメージの探求に対して、1975年のカンヌ映画祭は高等技術委員会グランプリをもって顕彰した。『大酔侠』『龍門客桟』『侠女』あたりの作家的ピークを経て、さらに『忠烈図』『迎春閣之風波』といった活劇の快作を放ち(これらについてはキン・フーは不満点もあるようだがじゅうぶんに面白い)、それが『空山霊雨』『山中傳奇』(特に3時間版が圧巻)では一転静寂と幽玄の世界に突入するが、ここでも高速の目覚ましい武闘=舞踏はなりをひそめるものの、壮大な山水画的な風景のなかを過客が往来する動きにひたひたと活劇的意志が感じられた。
キン・フーの重要な作品のほとんどは70年代末までに作られ、1997年には65歳で鬼籍に入るのだが、ここまで面白く豊かなキン・フーの代表作が、88年に奇跡的に催された〈胡金銓電影祭〉や東京国際映画祭、東京ファンタスティック映画祭をのぞいてはほとんど普通に劇場公開されてこなかったのは不思議なことである。『龍門客桟』はなにしろ東南アジアでは『サウンド・オブ・ミュージック』を凌駕する大ヒットを記録して、その収益で台湾に映画スタジオが建立されたとさえ言われる作品で、実は1968年に日本でも公開はされている。といっても、『血斗竜門の宿』なるタイトルで北海道、中京地区のみでスプラッシュ公開されたにとどまり、後にブルース・リーが巻き起こしたクンフー映画ブームのおかげで1974年にリバイバルされるも、『残酷ドラゴン 血斗!竜門の宿』なる題名の地味でキワモノ的な公開だった。
『龍門客桟』は、今回の待望の公開でもこのタイトルが使われているが、本作の持てる格調を考えるとちょっとそれも可哀そうな気がする。せめて英語題の『ドラゴン・イン』ではどうだったかと思う(もっともキン・フーとしてもこの広く知れ渡った英題は誤訳で、正しくは『ドラゴン・ゲート・イン』であるともっともな主張をしていたが)。きっと子ども時代に台湾の超満員の映画館で『龍門客桟』を観て育ったに違いないツァイ・ミンリャン(蔡明亮)は2003年の自作『楽日』(原題は『不散』で、英語題はなんと『グッバイ、ドラゴン・イン』)で閉館しゆく古い映画館を舞台に、そこに訪れるお客たちの動静を描いた。そのなかにはなんと、『龍門客桟』『侠女』などで主演したキン・フー映画のヒーロー、シー・チュンが紛れて、静かな老境を表現している。このように、キン・フーとその作品は、台湾、香港を筆頭とする東南アジアでは格別の思いの対象であるわけだが、なぜか日本ではなかなか広く知られる機会がなかった。
このたびの『侠女』の4Kレストアの貢献者として巻頭にシュー・フォンへの献辞が捧げられていたのには感動した。シュー・フォンは、頑なに理想のイメージを追求するキン・フーの姿勢を常に畏怖して縮みあがっていたと言うが(『侠女』の竹林の垂直落下の場面のカラクリなど知ると本当に彼女には同情を禁じ得ない)、実業家との結婚を経て映画プロデューサーに転身、チェン・カイコー(陳凱歌)の『さらば、わが愛 覇王別姫』『花の影』やアン・ホイの『今夜星光燦爛』などを制作していたが、師のキン・フー作品のプロデュースをずっと夢見て企画を持ちかけていたらしい。そして今回、シュー・フォンのおかげで比類なき美しさを回復した『侠女』は、これまでのように上集・下集に分けず、前回のおさらいなしに一気に濃厚な3時間を堪能できる。こういう形式で観たのは初めてだったが、もうあっぱれというほかない映画的満腹感であった。