専門家が教える「なんか寂しい」ときに知っておくと元気になる言葉3選
哲学好きの哲学解釈はしばしば間違っています。例えば、キルケゴールの有名な言葉に「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない」というものがあります。それを「未来を考えるには過去を振り返るしかない」と解釈する人がいますが、残念すぎるほど間違っています。彼はそんなことを言ったのではありません。反復のことを言っています。反復とは以下のようなことです。
あなたが同じ失敗を繰り返してしまう理由
なぜかは分からないけれどいつも同じことが原因で同じ失敗をしてしまう。そのことが原因で思ってもみなかった人生になった――自分の意思でそうしたわけではないのにそうなってしまった。そんな人生を生きるしかなかったキルケゴールは、みずからの体内に流れる「悪い血」、すなわち現代風にいえば遺伝的な性格と、その血をみずからの体内に注入した何者かに、その解を求めました。だって「そうあろう」と血のにじむ努力をしても「そう」なれなかったから。
あなたと同じです。東大に入ろうと懸命に勉強したけど入れなかった。東大に入ったヤツがうらやましい。嗚呼……。タワマンに住んでポルシェを所有することを目標に1日16時間働いた。しかし、生来の不器用かつ貧しい生きざまを変えることはできなかった。嗚呼……。
キルケゴールはつまり、人知を超える超越的な作用ゆえに繰り返される出来事、すなわち反復を理解することでしか「どう生きるべきか」という問いの答えを得ることはできないと言っています。
ちなみに、キルケゴールのこの概念は例えば、ジャック・ラカンの精神分析哲学におおいに役立ちました。「『盗まれた手紙』についてのセミネール」は「反復」に関する彼の小論(講義記録)です。夏目漱石の長編小説『こころ』の構造は「反復」に依拠しています。漱石がキルケゴールを読んだか否かは知りません。
という具合に、古典的哲学者の言葉は字面の意味をいくらいじくっても真の意味にたどりつかないものであり、真の意味を書くとこんなふうに説明が長くなるので、以下では、現代の人の言葉も交えて、なんか寂しいときに知っておくと元気になる言葉を3つお届けしましょう。
こんな短文に4回も関係という言葉が出てくる悪文ですが(もっとほかに書き方があっただろうに)、彼は作家として名を成したかったので、あえてミステリアスな感じで書いたと思われます。私は彼のこの短文を気に入っています。
要するにキルケゴールは、自己とは関係だと言っています。何との関係なのか? 神です。が、神とはイエスだけのことではありません。冒頭に述べた、そうあろうと精一杯努力してもそうなれなかった、そうさせてくれなかった、なんらか目に見えない超越的な力のことも指します。
例えば、著書のタイトルである「死に至る病」とは、死にたいのに死ねない、その死ねなさのことを意味しますが、それは目に見えない力が自殺させまいと頑張っているから、死にたくても死ねないのです。ビルの屋上に立っても死ねなかった。今日こそは線路に飛び込もうと決意して駅に向かったのに、朝から晩までホームにいただけだった。こういうのは目に見えない超越的な力とあなたとがたしかに、関係している証左です。つまりあなたの体内には超越的な力が宿っているのです。
あるいは、絶望して自暴自棄になっている人が、「今日はやけ酒を飲んでから風俗に行こう」と決め、有り金のすべてを財布に入れ、訪れたスナックで偶然、ある女性と出会い、その翌月に同棲をはじめ、人生が急激に明るいものになった。こういうケースも、目に見えない力とあなたとがたしかに、繋がっている証左と言えるでしょう。
要するに、あなたは孤独であってもひとりではないということです。目に見えない誰かと常に繋がっているのです。なんか寂しい時とは、目に見えない誰かのことをあなたが置き去りにしている時です。つまり、あなたと会話したがっている誰かがあなたのことを待っているのです。元気が出ませんか?
なんか寂しいと感じる時、すなわち何が原因なのかはわからないけど寂しい時とは、心にぽっかり穴が開いている時です。そういう時は自分は何者でもないと思うと同時に、何にでもなれそうに思える――それは「謎」の空白時代といっていいでしょう。
上の文章は、空海など立身出世を遂げた偉人たちを引き合いに、そういう立派な人にも「履歴書が空白」の「謎の時期」があるのだよ、という文脈において書かれています。しかし、なんか寂しい人にも同じことが言えると私は思います。
上の文章を方程式で表すと「青春=謎の空白時代」となります。ということは、例えば、なんか寂しくてついゆきずりの性行為をしてしまって後悔している人は、すなわち履歴書に書けないことを今まさにしている人は、あなたが何歳であっても、青春を生きているのです! やがて熟して花開く時を期待して待て!
ふたたび冒頭にご紹介した1文。キルケゴールのどの著書のどこにこの言葉が書かれていたのか忘れましたので、出典不明としました。『反復』だったかしら? 私が所持している本だけで10冊以上あり、とても探しきれません。
冒頭に述べたとおり、この言葉は反復のことを言っています。悪いこともいいことも、あなたの体内に宿る何者かが、あなたにもたらしたのだ。つまり、あなたはひとりではない。
さらに言うなら、あなたの漠然としたその寂しさは、あなたの無能さやおちこぼれ具合が生み出しているのでは断じてなく、「そういう構造」に支配されているから生じている。「そういう構造」というのは、言うなれば、性格の遺伝です。性格は生物学ではないので遺伝とは言いませんが、わかりやすく言えば遺伝。
曾祖父母、祖父母、父母と脈々と流れるブラッドの中にあなたは生きています。あなたは決してひとりではないし、その寂しさはそのブラッドがどのような血なのかが分かれば消えます。つまり自分のルーツを知ると必ず消えます。
いかがでしたか?
哲学者の言葉というものは優れた歌詞同様、言葉の奥にいくつもの概念や情感が詰まっているもので、「ちょっとだけ」ご紹介するわけにはいかないので、おのずと長文になってしまいました。
というわけで、今回はこのへんで。ご賞味いただけたならうれしく思います。
引用:
※1 キルケゴール・S『死に至る病』鈴木祐丞訳/講談社/2017
※2 立花隆『青春漂流』/講談社/1988
※3 キルケゴール・S/出典不明