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専門家が教える「同じ失敗を繰り返すとき」に知っておくと自己肯定感が高まる言葉3選

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

今回はいきなり引用からはじめます。

あらゆる人間関係が、つねに同一の結果に終わるような人がいるものである。かばって助けた者から、やがてはかならず見捨てられて怒る慈善家たちがいる。どんな友人をもっても、裏切られて友情を失う男たち、(…)また、女性にたいする恋愛関係が、みなおなじ経過をたどって、いつもおなじ始末に終わる愛人たち、等々。※1

フロイトは上のように述べます。つまり、いつも同じ失敗をして悲嘆に暮れる人は少なくとも100年以上前からいるし、おそらくは100年後もいます。つまりあなただけではない! 

こう言えば少しは元気が出て自己肯定感が高まりましたか?

さて、同じ失敗を繰り返す時に知っておくと自己肯定感が高まる言葉を以下にご紹介します。今回の言葉は「名言」ではなく考えるヒントとなる言葉です。

反復強迫

フロイトのよき研究者として知られるフランスの精神分析医であり哲学者であるジャック・ラカンは、反復強迫という概念を提唱しました。「ああ」なりたいと懸命に努力しても「こう」なってしまう人生を彼は、なぜ「そう」なってしまったのか、極めてロジカルに思考しました。すなわち、同じ失敗を繰り返すのは、あなたが愚かだからではなく、あなたの運命が、という情緒的な言葉で片づけることができることでもなく、あなたがなんらかの法則に乗せられているからだ、とラカンは考えました。

いつもダメ男と付き合ってしまい、別れは決まってダメ男に貸した金が返ってこないことが原因だというのは、あなたの「弱さ」や「中途半端な優しさ」が原因なのでは断じてなく、あなたはそうなる法則に乗ってしまっているのです。

シニフィアン連鎖

その法則を根底から支えているものの1つがシニフィアン連鎖だとラカンは主張しました。シニフィアンとは言葉の音(サウンド)のことです。「i」と「nu」が組み合わさると「inu」となり、その言葉の響きから私たちは即座に「犬=dog」を想像しますよね?

人間は言葉の響きの世界、すなわちイメージの世界に生きており、そこから決して逃れることはできないというのがラカンの主張の1つですが、これは誠にそのとおりでしょう。

テレビに出てくるイケメンを「いいもの」として積極的に受容し応援するのは、彼のイメージがあなたにとって良いものだからです。その彼が不倫をしたら、あなたは彼を「推す」のを止めます。あなたの中で彼のイメージが悪くなったからです。

以上の話に出てきたのは「イメージ=雰囲気」であり、出てこなかったのは「実態」です。あなたはテレビなどを通して聞き知った彼の「イメージ=雰囲気」を好きになったり嫌いになったりしたのです。そもそもテレビとは光の点の集合体で形成されているイメージですが。

現代社会のほとんどすべての出来事は上記のようなことです。MARCHクラス以上の大学にこだわる人が多いのは「rikkyou」とか「aogaku」という「言葉の響き」すなわち雰囲気がいいからであり、実態を知ると「?」と思う人がいるかもしれません。

私たちはイメージの世界の外に出られない以上、シニフィアン連鎖の内部に生きる中で同じ失敗を繰り返しても「それはそれでしかたない」のであって、それ以上でも以下でもないのだから、自責的にならないことです。しいて言うなら、シニフィアン連鎖という「システム」が良くないのです。

パドレ・プロジェクト

映画監督である武内剛さんがお撮りになった映画のタイトルです。2歳の時に離れ離れになった父親を捜すという、これ以上ないシンプルなお話です。自分のルーツを知りたい、捜したいという欲求は世界共通なのか、海外の映画祭における賞をいくつも受賞しました。(上の画像は映画となんら関係ありません)

親が離婚した人で自分(=子)も離婚した人、いませんか? まだ離婚していないけれど「やがて離婚という結末になるのかな」と怯えている人、いませんか? あなたは離婚していないけれど、あなたの親とあなたの子は離婚経験があるという人、いませんか?

ところで、私たちはなんらか他者の経験を見聞きした時、「自分にも当てはまるのではないか」と想像することがあります。つまり、他者の不幸を一般化した上で同類の「負のサイクル」に自分が乗ってしまったらどうしようと不安になることがあります。それはすなわち、意識していないけれど、自分がなんらか繰り返される「輪」の中に生きているということを「じつは知っている」ことを意味しないでしょうか。「だから」いくつもの海外の映画祭が彼の作品に賞を与えたのではないでしょうか。ふだんは意識していないけれど、この世に厳然として存在する真実を描いた作品として。

いかがでしたか?

同じ不幸が繰り返されるのは、あなたのせいではなく、私たちはみな「選べない輪」の中に生きているからです。と言っても、自己肯定感が高くならないかもしれませんが、少しは自責的、自罰的な気持ちが薄らぎましたでしょうか。

※1 フロイト『快原理の彼岸』(1920)(「フロイト著作集」(人文書院)第6巻162ページ/中島義道主宰「哲学塾カント」における福田肇先生のご講義の資料から孫引きしました)

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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