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生活の中の哲学|なんかモヤモヤする「楽しくない」の根本的な原因

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

ドアを開け高級ホテルの部屋に入ると、皺ひとつないシーツが敷かれてあるクイーンサイズのベッドが目に入る。窓の向こうには間接照明に照らされるナイトプールが見える。その瞬間、私たちは「この部屋はきちんと使わなくてはいけない」感じます。

また、「ある種の人」と出会った瞬間、「この人には不用意な発言はできないな」とか、「この人のことは大切に扱わなければならない」などと直感します。

さて、今回は、原因が分からないけれど「なんかモヤモヤする」「なんか楽しくない」といった気分の根本的な原因について、哲学的見地から一緒に見ていきたいと思います。

「なんかモヤモヤする」と感じる時とは

「私のことを大切に扱ってください」と高級ホテルの部屋があなたに強制しているわけでは全くないのに、あなたは「大切に扱わなければいけない」「きちんとしなければいけない」となぜか、みずから思う。「私のことを大切に扱ってください」と目の前の人があなたに強制しているわけでは全くないにもかかわらず、あなたは「この人の前では不用意な発言はできない」「きちんとしたふるまいをしなければいけない」となぜかみずから思ってしまう。

それはつまり、じつは、物や人は絶えず、なんらかのメッセージを私たちに発しているということです。

「なんかよかった」を許さない社会

「なんかモヤモヤする」「なんか楽しくない」と感じる時とは、物や人が発する目に見えないメッセージを受信できなくなっている時です。

ところで、物や人はすべからく、生命力を持っています。ホテルの部屋というのはベッドやベッドシーツ、ナイトテーブルなどの静物が構成していますが、その静物すら、なぜか生命力を持っています。ほら、日本には八百万の神がいるというじゃないですか。だから物もなんらか生命力を持っているのです。

もちろん、「なんかモヤモヤする」「なんか楽しくない」と感じるあなたも生命力を持っています。その生命力が死んでいるから、対象が持つ生命力を感受することができないのです。

最近の世の中はデータ至上主義なので、「根拠はないけど『なんか』いいと思います」というような発言を許しません。しかし、世の中には「なんか」としか言いようのないものが存在しています。

例えば、映画を観終わった後、「なんかよかった」としか言えない経験をしたことがある人もおられるでしょう。それはその人に語彙力がないから「なんか」「としか言えない」のではなく、言葉を超えるなんらかを映画から受信したということです。

生命力とはなにか

生命力もそういった類のものです。つまり生命力とは思いのことであり、祈りのことです。

なんかよかった映画には「思い」を持った人が登場していました。そこには深くて静かな、しかし切れば鮮血がほとばしるような祈りがありました。「ある種の人」はひとりの時間に亡き人と心の中で対話しています。高級ホテルの部屋はそれを設計した人や調度品を選んだ人、それを作った人の静かな思いと祈りが拭い去りがたく染みついています。これくらいのインテリアにしておくと1泊10万円とれそうだという損得勘定とはまったく別次元のものがそこには確かに存在しています。

私たちの人生は言葉や数字を超えた思い、すなわち祈りがあってはじめて色彩を帯びるのです。(ひとみしょう/哲学者)

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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