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親ガチャ問題は存在しない

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

「親が『ああ』だから、わたしが『こう』なった」という思考それ自体が問題なのであって、親ガチャ問題は存在しないとわたしは考えています。親ガチャ問題とは、世間一般には、親が子に暴力をふるうとか、親の収入が低いゆえに子が進学できないなど、親のなんらかの事情が子に「実害」を与えることを指しているとわたしは理解しています。なので、子が「実害はない」と思えば親ガチャ問題は存在しないと、こうなります。

もっとざっくりいうなら、親とソリが合わない子が「どうしてこの親のもとに生まれてきたのだろう」と悩む。「ほかの家の子になりたい」と、冗談ではなく真剣に悩む。そして、わたしのように家出をする。そういった子が抱える問題を含む、それら一連の行為すべてが「親ガチャ問題」といえるでしょう。

しかしその子は間違っています(わたしだ)。

なぜなら、親ガチャ問題の本質は、神様が「その親」と「この子」をマッチングした、まさにそのことにあるからです。ハイデガーという哲学者はそのことを「被投」と呼びました。

わたしたちは、わたしたちの意思とまったく関係なく、生まれた時からなんらかの関係の中に投げ入れられている。「親ガチャにハズレた」と嘆いている子は、「あんな」親と関係を結ばざるを得ない環境に、何者かによって(神様によって)投げ入れられた。だから、あなたが怒る対象は親ではなく、何者か(神様)なのです。親に怒るのはお門違いというわけ。

だから親ガチャ問題は存在しないのです。しいていうなら神様ガチャ問題なのです。ガチャガチャの製造元は神様であり、親はガチャガチャの景品なのだから、景品に向かって「なんぞ、こんな粗悪品とな」と怒っても意味はないでしょ?

ではなぜ、何者か(神様)は、あなたをそういった理不尽な環境に放り込んだのでしょうか。その答えとして神を持ち出すのであれば、宗教の信者になるしかありません。それはちょっと、というのであれば、そこから何らかの問いを立ち上げて哲学するしかありません。

「まあ、そういうのはいいからさ、とりあえずあなたを産んでくれた親に感謝しないと」というような情緒的かつ説教臭い言説に惑わされてはいけません。なんといってもあなたは親ガチャにハズレて何者か(神)をトコトン憎んでいるわけですから、その憎しみとトコトン向き合う必要があります。

途中でお茶を濁して「人生って理不尽なものだからさ」などと「わかったふうな」口をきいてもいけません。「なぜそうなったのか」が心底納得できるまでトコトン誠実に考え抜くのです。それが哲学する基本的な姿勢です。(ひとみしょう/哲学者)

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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