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【河内長野市】半世紀だけ存在した大名家の名残!8日に第10回奥河内音絵巻を開催するラブリーホール周辺

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

1992年、ラブリーホールが建築される前は市庁舎があったということですが、その遥か前には河内長野に半世紀だけ存在した大名家(藩)の政務する陣屋と呼ばれる建物がありました。

ラブリーホールの正面入り口から見て建物の右端にある説明版を見ると、江戸時代に西代藩が河内長野にあったことを示しています。

南河内郡河南町にある白木陣屋のレイアウト
南河内郡河南町にある白木陣屋のレイアウト

藩とは江戸時代の大名家が支配した領地のことで、城の無い大名家は陣屋という屋敷で政務を行っていました。西代藩については、富田林市史の河内西代・伊勢神戸藩本多氏(外部リンク)にも記載があります。

本多康将の二男たる忠恒(ただつね)は、延宝七年(一六七九)六月、分家を許され、近江国高島・甲賀両郡と河内錦部郡とで一万石の領地を与えられた。これが西代藩で、市域では新家・甲田・伏見堂・廿山之内・板持之内の各村が、その所領であった。

西代藩の所領のうち、河内國錦部郡(現在の河内長野と富田林市域)では(日野、鬼住、流谷、寺本、西代、新家、長野、甲田、伏見堂、原、小深之内、廿山之内、板持之内、清水、天見)という15の村が該当したそうです。

西代陣屋の門をイメージした河内長野市立長野小学校
西代陣屋の門をイメージした河内長野市立長野小学校

そして、2代目忠統の時代に西代陣屋を完成させたとのこと。

忠恒のあとは、二男たる忠統(ただむね)が父の封をついだ。忠統は正徳元年(一七一一)一二月、西代藩の陣屋を在地で完成させた。河内長野市の旧市役所と西代小学校との間にあり、面積は広く三町六反三畝二九歩、高で二七石七斗余の土地である。東西一町二〇間、南北二町五五間の規模であった

そして富田林市史によれば、忠統はとても有能な人物で、若年寄として徳川吉宗の享保の改革を遂行したり、飢饉共済、細川家の断絶を逃れる処置を行ったとの記録が残っています。忠統は享保十七年に神戸藩(伊勢神戸藩)に国替えとなり、領地の面積も増やされています。

そして陣屋のあった旧西代村を除いた村々はそのまま引き継ぎますが、旧西代村だけは収公(しゅこう:幕府が領地を取り上げる)しました。そのようなこともあり、旧西代村が殿様(忠統)の徳を偲んで始まったのが西代神楽なのです。

余談ですが、9月号の広報かわちながの29ページで西代神楽の参加メンバーを募集していました。河内長野で唯一藩庁(陣屋)があった西代藩ゆかりの伝統芸能に興味のある方は問い合わせてみてはいかがでしょう。

結果的に大名家が統治する藩庁(陣屋)が1679年から1732年まで、半世紀(53年間)しか河内長野にが存在しなかったことになります。西代陣屋の足跡について、河内長野市教育委員会が発行した書籍「西代神社跡」で詳しく紹介していますので、ここでご紹介しましょう。

書籍には、今でもその痕跡が残るという土塁、堀、折れ、虎口と呼ばれる場所の紹介があります。土塁、堀と聞けば烏帽子形城を連想してしまいますが、陣屋といっても城のように大名家の藩が政務をとる場所なので、堀や土塁で外敵から守るようになっていたことがうかがえますね。

せっかくなので、ラブリーホールの近くで今も残る旧西代陣屋の足跡を見ることにしました。ラブリーホール駐車場に入ると、書籍の写真と同じ光景が見られます。つまり駐車場の壁になっている部分が、陣屋を守る土塁のような防衛機能を持っていたとのこと。

次はラブリーホールの駐輪場のあたりをみましょう。

もうひとつの土塁があるところは、ラブリーホール駐輪場のあたりです。

この辺りにあるはずですが、一見して場所が特定できませんでした。

坂を登りきったところにある駐輪場です。

右側に小さな道があり、この辺りが西代陣屋の土塁跡と推定できます。

夏場であることから雑草に覆われていてわかりにくいですが、このこんもりした部分が土塁と推測されます。

土塁は住宅地に挟み込まれるように残っていました。貴重な歴史の一ページですね。

駐輪場からの道の先を歩いてみると何があるのでしょう。

そのまま行くと抜け道になっていました。

いったん、ラブリーホールに戻ります。虎口のあたりを確認しましょう。階段があり、長野小学校のグラウンドに続いています。

書籍によれば、長野小学校のあたりは、宮口御門のあたりとのこと。

小学校のグラウンド内に西代神社の鳥居があります。

長野小学校のグラウンドの先に見えるのは、陣屋を模して造られた門です。

そしてほぼこの角度が、書籍で「虎口」を紹介しているあたりです。

西代陣屋は城に代わって藩の政務する場所だったので、範囲はとても広く、長野中学校のあたりも含まれるとのこと。書籍によれば、西代陣屋の原口御門と宮口御門を結ぶ道が画像のあたりになります。

書籍にはこのほかにも気になる情報が満載でした。

さて、再び広報かわちながので気になる情報を見つけました。神戸藩領に関する歴史講座が9月25日にキックスで行なわれるとのこと。こちらも気になりますね。

西代陣屋跡地にあるラブリーホールでは河内長野を代表するイベントが次の日曜日に行われます。7月に行なわれたブルキナファソの万博交流プログラムでも少し触れましたが、9月8日に、サキタハヂメさんがプロデュースする「奥河内音絵巻」が上演されます。

今回はちょうど10回目を迎えるということで、例年にも増して力が入っているようです。

サキタハヂメさん
サキタハヂメさん

そのためか昨年までは2回公演でしたが、今年は3回(10:30、13:00、15:30)公演が行われるとのこと。

昨年の奥河内音絵巻の入口の様子、今年も市内の名店の販売コーナーもあります
昨年の奥河内音絵巻の入口の様子、今年も市内の名店の販売コーナーもあります

サキタさんが、芸術監督・音楽・演出を担当し、振り付けとして北村成美さんが担当します。

体験型タイムマシンエンターテーメントとして説明が記載されていますが、いちばんわかりやすいのは予告編の動画です。

こちらの予告動画でどんなエンターテーメントが行われるのか、確認してみてください。

さらに、10周年ということで、画像のように様々な市民文化団体が多数登場するとのこと。最新情報ではこの団体にプラスしたグループの参加もあるとのことなので、これまで以上に盛り上がること間違いないでしょう。

画像はレプリカ
画像はレプリカ

動画やタイトルを見てもわかるように、今年の奥河内音絵巻は天野山金剛寺の国宝「日月四季山水図屏風」をモチーフにしています。当日は巨大立体アニメーション化するとのこと。歴史ある国宝がどう舞台で登場するのか楽しみですね。

料金は一般の前売りが3,000円、一般の当日が3,500円で、L会員は2,500円、小学生以下は入場無料です。駐車場は限りがありますが、周辺にも駐車場がいくつかあります。

奥河内音絵巻を鑑賞しにラブリーホールに来て、もし時間が許せば西代藩の陣屋の足跡を歩いてみてはいかがでしょう。

ラブリーホールと西代陣屋跡

住所:大阪府河内長野市西代町

アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス ラブリーホール前、西代町南バス停から徒歩圏内

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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