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【現代史】世界を驚愕させた英国の意地!戦火を交えたアルゼンチンとイングランド(フォークランド紛争)

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

いま世界中を熱狂させている、ラグビーのワールドカップ2023。日本の決勝トーナメント進出を賭けた、大一番。アルゼンチンとの「10.8決戦」は惜しくもあと一歩、及びませんでした。

今回、日本チーム所属のプールⅮに入っていた、アルゼンチンとイングランドは世界の強豪。そしてこの2国は、サッカーにおいてもトップレベルを誇り、対決となればバチバチに火花を散らし合う間柄です。

スポーツにおいては、本当に良きライバル同士ですが・・じつは互いに領土問題を抱え、1982年には戦争へと、発展してしまった歴史を抱えています。

通称フォークランド紛争(アルゼンチンでの呼称はマルビナス戦争)は、日本にとって遠い地域の出来事ではあります。しかし現代に勃発しており、しかも島を巡る領土問題という点でも、まったく無関係と言い難い部分があるでしょう。

いったい40年前に何が起きたのか。何が切っ掛けで、どのような結末となったのか。わかりやすくお伝えしたいと思います。

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さて、日本から見れば地球の裏側。南米アルゼンチンの東に、人口数千人ほどが暮らす、フォークランド諸島という島々があります。

ここは大昔にイギリス人の探検家が、最初に見つけたといった理由で、イギリスが実効支配していました。

しかしアルゼンチンが国として独立すると「ここは我々の土地だ」と主張し、長らく両国の係争地となっていました。そんな中、ときは1981年。

アルゼンチンは軍事政権の、ガルチェリ大統領が統治していました。しかし、その政策は行き詰まりを見せ、経済や暮らしは悪く、国民の不満は暴動が起きるレベルになっていました。そこで、彼はこう考えました。

「このままでは私の立場が危うい。起死回生の手札を切るぞ。」

ありがちな話ですが、高まった不満の矛先を、イギリスへ向ける作戦です。アルゼンチンの土地を、不法に侵害している巨悪。それを追い出し正義を示したとなれば、大統領は英雄として、支持率は大きく上昇するでしょう。

とはいえ、軍事力ではイギリスがはるかに格上です。もし失敗すれば、自らの身を滅しかねません。しかしガルチェリ大統領には、大きな勝算がありました。

フォークランド諸島は、イギリス本国から約1万2千キロ。こんなにも遠くへ援軍を派遣するのは、途方もない費用と労力です。

また当時はイギリスも経済状態が悪く、国民の不満が高まっていました。軍事予算を削るため、海軍の空母や警備艇の処分も検討。そうした中、ムリを重ねてまで島を奪還しに来るでしょうか?

こうして、ついにアルゼンチン軍は、一線を越えて進撃を開始。島にはイギリスの海兵隊が駐屯していましたが、戦力はわずかです。あっという間に降伏し、島は占拠されました。

ガルチェリ大統領は言いました。「わたしは、やると言ったらやる男だ!」。歴代だれも出来なかったことを、やってのけた強い大統領。そのイメージには目論見の通り、多くの国民が熱狂しました。

しかし、その知らせはとうぜん、すぐイギリス本国へ届きます。「たいへんです!フォークランドが占領されました!」とうじ政権を担っていたのは、イギリス初の女性首相マーガレット・サッチャー。

彼女は即答しました。

「陸海空軍、すべてに命じます。総力を上げ、フォークランドを奪還するのです!」

しかし当然ながら議会も国民も、これには反対の声が上がります。「ただでさえ経済は苦しい。こんなご時世に巨額の費用は、かけられない。」「戦争になれば犠牲が出る。そんな遠くの島々に、そうまでする価値があるのか?」

しかし・・

「おだまりなさい。われわれ英国の誇りにかけて、力による侵略に屈することは、許されません!」。

サッチャー首相は全くブレず、反対意見をねじ伏せて、イギリス本軍の派遣を実行。こうして1982年、アルゼンチンの大西洋沖には、英国軍が姿をあらわしました。

こうなっては両国とも、もはや退くに退けず、戦闘は不可避です。ガルチェリ大統領は、サッチャー首相の本気度を見誤ってしまいましたが、それでも勝算は十分にありました。

戦場はイギリス本国からあまりに遠く、補給がままなりません。そのうえアルゼンチン軍はフォークランド諸島に、歩兵部隊、装甲車、対空ミサイル、レーダー設備などを配置。

総勢1万にも達する兵力を派遣し、防御を固めました。

島を奪還する上陸部隊には、空中からの支援が不可欠ですが、戦闘機を派遣しようにも飛距離が足りず、辿りつけない・・はずでした。しかし、ここでイギリスのとんでもない意地が、世界中を驚かせます。

一台の戦闘機に、べつの飛行機を随行させて、空中で給油。とはいえ、その給油機も燃料が足りないので、さらにべつに給油機を随行という、リレー作戦を決行しました。

結果として2機の戦闘機を派遣するのに、11機も使うという常識外れの、このミッション。通称『ブラックバック作戦』と呼ばれ、イギリスの本気度を見せた、とてつもない発想として、語り継がれる事となりました。

さらにイギリス海軍は、一時期は処分も検討していた空母や原子力潜水艦なども、再整備して派遣。フォークランドのアルゼンチン軍に、猛攻を仕掛けます。

なお当時は冷戦のまっただ中でしたが、アルゼンチン軍は西側陣営でしたので、ドイツから購入した潜水艦や、フランス制のミサイルも保持しており、激しく抵抗。

さらにはソ連に支援の要請を試みるなど、なりふり構わず撃退を模索します。

両軍、一進一退の激しい攻防となりましたが、次第に総戦力で上回るイギリスが圧倒。ついにアルゼンチン軍は降伏して、フォークランドから撤退しました。

かくして、フォークランドは現在に至るまで、再び英国領となりました。この戦いは両国とも大きな犠牲を払うことになりましたが・・指導者の明暗は、完全に分かれます。敗北したガルチェリ大統領には、国民の怒りが頂点に。

ガルチェリ大統領は失脚して、軍隊政権は崩壊。その後アルゼンチンは、民政政治へと移行しました。

一方、フォークランドの奪還に成功したイギリス軍が本国へ帰還すると、サッチャー首相は、言いました。

「われら誇り高き大英帝国の旗のもと、助けをもとめる民がいる限り、見捨てることはありえません!」

この発言・・そして凱旋のイギリス軍を、国民の多くは熱烈に称えました。「英雄たちの凱旋だ!」「英国のため、よく命をかけて闘ってくれた!」

・・かつては、名実ともに世界一の勢力を誇っていた、大英帝国。しかし第二次大戦後は多くの領土を失い、また経済も停滞し、自信を失っていました。

しかしフォークランド紛争の勝利は、多くの国民に、英国の誇りを想起させたのです。かくしてサッチャー首相の支持率は急上昇し、政権は盤石となりました。

さて、このように戦争にまで発展してしまった、アルゼンチンとイギリスですが、その後1990年に国交を回復しました。

フォークランドは今でもイギリスが実効支配していますが、アルゼンチンも自国領という主張は取り下げたわけではなく、依然として争いの火種はくすぶっています。しかし、何とか実際の紛争は起きず、いま両国の対決といえば、殆どの人が思い浮かべるのはスポーツです。

2023年10月現在・・。

男子サッカーFIFAランキング イングランド4位、アルゼンチン1位。
男子ラグビー世界ランキング イングランド6位、アルゼンチン9位。

いずれも日本にとっては格上、2国とも全世界がトップレベルと認める存在同士です。

ねがわくば、このさきも両国の戦いは、政治によって引き起こされるのではなく、スポーツで世界の頂点を目指すライバルとして、競い合う。そうした関係が続く未来を、願ってやみません。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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