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私たちは運動会の見方を変えた方が良い〜組体操で我が子が大怪我をした保護者のインタビュー〜

平岩国泰新渡戸文化学園理事長/放課後NPOアフタースクール代表理事
今年の運動会は今週がピークです(ペイレスイメージズ/アフロ)

5月に入り、今年も運動会の季節が来ました。昨今、小学校の運動会は多くが5月に移されました。その中で以前より「組体操問題」が議論になっています。

多くの学校が運動会で取り組んで来た組体操を続けるべきか、否か。そんな中、実際に組体操で小学6年生の娘さんが大怪我をしてしまったお母様にインタビューができました。皆さんは組体操問題、また小学校の運動会をどう思われるでしょうか?

インタビューから見えて来たのは、「運動会をする学校側だけの問題ではなく、見る側の私たちの見方を変えた方が良いのでは?」ということでした。

【事故が起きた状況】

○5月28日、事故発生

13時30分 仕事中、電話が鳴る

発信元は小学校から。良い電話には思えなかったが、こわごわ電話を取った。

学校「もしもしお母さんですか、○○小学校6年X組担任の△△です」

「お嬢様が右ひじを骨折されました。学校に来ていただけますか。」

骨折と聞いて、ギブスをつけて数週間すれば完治するものだとイメージした。電話で娘の容体は聞かされなかった。

14時 母、学校に到着

保健室:「かかりつけの整形外科医院はありますか」

母:(近所のクリニックを答える)

保健室:「お母様、そこの医院じゃ救急車入れませんよね」

母:「…」

母はここで初めて事の重大さを知る。

保健室のベッドには6年生になる娘が体操着のまま横たわっている。開口一番「私、運動会どうなっちゃうんだろう…」。娘はケガの痛さではなく、運動会に出られなくなるであろうことで泣いていた。

14時30分 学校に救急車が到着

救急車に乗り込む。救急車に向かう最中、保健の先生より「あの、お母さん。保険のお話なんですが…」それは、今しなければいけない話なんだろうか?

16時 診察終了

「全治2か月、即手術が必要です」

診断名は上腕顆上骨折(じょうわんかじょうこっせつ)。利腕の右。医師より症状について説明された。

医師:「お母さん、何かご質問は?」

母:「わからないことが多すぎて何を質問すればいいかわかりません」

19時30分 手術開始

全身麻酔の手術終了後、娘は1泊することが決まっていた。娘一人で泊まることもできたが、気丈な娘が珍しく母に「一緒に泊まってほしい。」と言ったこともあり、泊まることに。

弟(小学2年)はどうする?学童にいる弟は、夫方の祖母に迎えを依頼。夫は出張中。今夜彼は一人になってしまう。明日の学校はどうする?結局、近所の仲良しのご家族にお願いして、そこに泊まらせてもらうことに。それらの手配で一気に時間が過ぎる。食事の時間もない。

22時 手術終了

娘は麻酔もあり、手術後は寝続けた。母は同じ部屋で、板のようなベッドで一夜を明かした。

○事故が起きた様子

この日の組体操の練習が最初の全体練習でもあり、最後の練習でもあった。4人でチームになる技があった。3人が下、娘が上だった。下の3人の中の1人がその日は休んでいた。1人欠けた状態で練習を続行した。1度目はふらついてストップ。

「もう1回!」と2度目の練習にチャレンジ。下の子がふらつき転倒した。地上1メートルもないところからだったが、娘は落ちて右ひじ一本で着地した。先生は生徒たちを囲むようにしてサポートに入っていた。最初で最後の全体練習だったからか、日頃参加していなかった先生までが練習に駆り出されていた。娘のそばにいたサポートの先生はそれまで組体操の練習に一度も立ち会ったことのない、新任の女性A先生だった。

「練習の時は担任の男の先生がサポートに入って何度かキャッチしてもらった。その日はA先生で慣れていなくてキャッチ出来なかった。」と娘は言っていた。

○5月29日、一夜明けて

5月29日 7時

目が覚め悪夢のようだったが、全て現実。娘も目を覚ました。まだ一人では立ち上がれず、点滴の管をつけたまま、看護師さんに付き添われてトイレに行く。食欲はなく、大好きなゼリーも口は一切つけない。

9時 診察

傷口の消毒の際に娘が初めて傷口を見て大泣きする。腕にボルトが3本入っている。L字型の金属が腕の外側に出ていた---というのは、医師から写真を見せられて知ったこと。娘は結局一度も傷口を私に見せてくれなかった。娘は最後の運動会となる鼓笛の指揮のオーディションにも受かって張り切っていた。「鼓笛に参加させることはできませんか?」と医師にお願いをした。

医師:「どうしても避けなければならないのは、転ぶことと汗をかくとこと。再手術になるからです。汗をかくと、腕に入っているボルトに菌が繁殖します。容認できません。運動会に行ったとしても、眺めるだけです」

「もう一泊しても良い」と医師から言われたが、娘は「もう一泊すると運動会に行けない。一生後悔する」と心を決めて退院。

医師からは難しいと言われた鼓笛隊の参加については、担任の先生に涙ながらに相談した。

「朝礼台に座って、最初と最後に笛を吹くだけ」という形で参加することになった。

○5月30日 運動会当日

運動会、学校も事故のことは全く関係ないような雰囲気で進行。鼓笛隊の演奏、娘は笛を吹くだけ。母は日傘係。保冷材で冷やしながら汗をかかぬように腕を守り、日傘でずっと曲の間中をカバー。変わった母親だと思われたかもしれない。

「運動会、絶対勝とうね〜!」と娘の間近で言う子どももいる。娘は何も感じなかったと言っていたが、母は泣くのをこらえるのが必死だった。娘が座っている朝礼台の前を演奏しながら通る同級生が皆、温かい視線を向けてくれたことが本当に嬉しかった。嫌だったのは、事故当日の練習で総監督だった先生の一言。登校時に駆け寄ってきて「○○さんの気持ちは皆、わかってるから! あなたの分もがんばるからね!」。私たちの気持ちが本当にわかるのか。教育者がそんなに軽々しく言っていいことなのか。気持ちもふさがっていたため、悪い方悪い方に考える。

○暑い夏、苦しいリハビリの日々

利き腕を怪我した娘には食事もトイレも介助が必要。汗をかいて菌が繁殖したり、転んだりしたら再手術になる。家の中では常にクーラーをかける。移動する時もタクシーを使う。費用が嵩む。

フルタイムで仕事をしている母は悩んだ末、待ってもらえる仕事は全面ストップ、どうしても代わりのいない仕事のみ続行することを決意。費用のことを考えれば、仕事を全面ストップできなかった。断腸の思いだった。仕事相手が理解してくれたのが本当にありがたかった。

リハビリの医院にはほぼ毎日通院。それ以外にプールに週2回、ジムに週1日通う。もちろん全部自費で賄うことになる。夏の間中、リハビリ通いと、勉強のキャッチアップが続く。

○9月、訴訟すべきか否か

9月に入り落ち着いてきたところで弁護士から訴訟を提案された。事故が起きて以来、弁護士にも相談はしてきた。危険を認識しながら無理に練習を実行し、たびたび落下するリスクのある状況で不慣れな教員をサポートに付けたのは、明らかに学校の落ち度とも言える。校長も口頭ではっきりと謝罪していたこともあり、学校側の責任を立証することは容易だろうと言われ、すぐに示談になると思っていた。

だが、示談にならなかった。。

区の教育委員会は示談には断じて応じない。「余計なお金を払いたくないのでしょう」と弁護士に言われた。

「訴えますか?」と弁護士さんに迫られる。

訴える場合、私が出廷しなければいけないかもしれない。覚悟がいる。そして、訴訟になれば、また嫌なことを思い出すことになる。親が学校を訴えると「モンスターペアレンツ」と思われやしないか。息子が嫌な思いをすることはないか。弁護士さんだけでなく、いろんな人に相談して、悩みに悩んだ。心も体もすり減らした。

母:「もう嫌だ、終わりにしたい。嫌なことは忘れて、前に進みたい」

父:「今後こういう事故が起きないために、学校側のためにも訴えるほうがいい」

擦り切れるような話し合いの結果、訴えないことにした。

○12月末、リハビリ終了

事故から7カ月、ようやくリハビリが終了した。医師からは「体の成長に伴って腕が変形する可能性は常にある」と言われる。ケガをした後、肘以外のところが痛んでも「もしかしたら肘が関係しているのではないか」と気にしてしまう。傷口は今も残っていて、女の子だからこそ気になる時期もやってくるだろう。同じ女性として胸が痛くなった。

【事故が起きて初めて知ったこと】

○保険の屈辱

事故が起きてから、保健室の先生とは保険のやりとりばかりだった。保険では、実際の治療費プラス1割の見舞金が存在することも知った。移動の費用、仕事を休んだマイナス、家族皆が受けたダメージを考えると1割では全く足りていない。かえって1割のお金をもらうことで値踏みされている気にもなった。

○想像以上だった精神的ダメージ

誰よりも娘が辛かったが、自分も親として今までに感じたことのない精神的なダメージを受けた。娘の生活の補助、包帯の世話、また常に転ばないように、汗が入らないようにと神経をとがらせた。経験したことのないダメージの大きさだった。

○兄弟への影響の大きさ

娘のボルトが取れた日、弟は「俺もう我慢しなくていいんだね…」と思わず口にした。娘が事故にあってから文字通り娘中心の生活になっていた。娘の対応のことで夫婦喧嘩も増えた。そんな中、年端もいかない息子は可哀想に大きな孤独感を感じていたのだ。事故が起きてから1ヶ月ほど経った時、息子の担任の先生から、息子の「悪事」が書き連ねられた手紙が来た。授業中に落ち着きがないという程度の「悪事」だったが、同じ学校の先生なのに、息子が不安定な理由の一端は姉の事故にある、となぜ分かってくれないのか。先生に対して腹が立つ以上に、親として情けなく、自分を責めた。子どもたちの前では泣けないから、トイレで泣いた。息子は、家ではとてもいい子にしていたが、その反動は学校で出てしまったようだ。頑張って我慢していた息子の気持ちが痛々しかった。

【事故を振り返って】

○誰の責任か?

結果的に今回は責任追及をしなかった。責任の所在はわからないまま。泣き寝入りをした悔しい気持ちもあるが、先生を責めたくない気持ちもある。小学校での「危険」にいちいち目くじらを立てていたら、小学校なんて行けなくなる。でも、今でももやもやが消えない。

〇組体操が必要か?

団結力を養うための競技だと理解しているが、果たして組体操でなければならないのか?組体操が社会的に課題として取り上げられている以上、少なくとも参加するかどうかを選択できる権利を家庭が持てるようになったら良いと感じる。その際に「NO」に手を挙げても白い目で見られない環境作りが必要だと強く感じる。

以上が今回のインタビューです。

今週が春の運動会シーズンのピークです。新年度からゴールでウィークを挟む僅かな時間で準備することとなり、急ピッチで練習が重ねられています。組体操問題については年間で8,000件以上の事故報告があり、2016年3月にはスポーツ庁からも都道府県教育委員会あてに「組体操等による事故の防止について」という通知が出されました。通知の冒頭には以下のように書いてあります。

「1、各学校においては、組体操をするねらいを明確にし、全教職員で共通理解を図ること」

この通知は読んでみると、「やるなら狙いを明確にして、気をつけてくださいね」という印象を受けます。実際の学校現場でもまだまだ「組体操をやめる!」というほどではなく、組体操をベースに一部変更、という学校が多いです。今年度も組体操と「パーフェクトヒューマン」を合体したり、昨年のオリンピックのテーマ「Hero」と絡めた感動的な展開にしていたり、という練習を見ました。「やっぱり組体操が好きなんだなぁ。。」という印象です。

運動会は他にも危険な競技があります。また私たちは当たり前のように見てしまいますが、あれだけ多くの競技を時間通りに収めるのは先生方の職人芸のような世界です。準備が短期間化したことで、先生方の負担も非常に大きなもので、先生も疲れきっています。さらに放課後や公園でも5月は怪我が増えます。日中に子どもたちが運動会の練習で疲れきっていることも一因です。

海外を見るとスポーツフェスティバルはあっても、あのように特殊競技が一日中すごいペースで開催されるイベントは皆無だと思います。

運動会の競技、特に組体操の問題、学校側も考えてもらうことはあろうかと思いますが、見る側の私たち大人も運動会の概念や期待感を変える必要があるように思います。もう少し軽く準備が出来て、安心して見られて、笑顔で終えられるような一日で良いのではないでしょうか?組体操で感動しないと本当に気が済まないでしょうか?今年もそんな思いを持って運動会の子どもたちを応援したいと思います。

新渡戸文化学園理事長/放課後NPOアフタースクール代表理事

1974年東京都生まれ。1996年慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社丸井入社、人事、経営企画、海外事業など担当。2004年長女の誕生をきっかけに、“放課後NPOアフタースクール”の活動開始。グッドデザイン賞4回、他各種受賞。2011年会社を退職、教育の道に専念。子どもたちの「自己肯定感」を育み、保護者の「小1の壁」の解決を目指す。2013年~文部科学省中央教育審議会専門委員。2017年~渋谷区教育委員、2023年~教育長職務代理。2019年~新渡戸文化学園理事長。著書:子どもの「やってみたい」をぐいぐい引き出す! 「自己肯定感」育成入門(2019年発刊)

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