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【切腹の歴史】なぜサムライたちはこれほど苛烈な最期をむかえる風習を、進んで続けていったのか?

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

ときは1868年3月。歴史的にはマイナーですが、日本を揺るがす1つの大事件が勃発しました。それは時代が江戸から明治へと変わる、わずか数ヶ月前のことでした。その日、大阪の堺の港町でフランス軍の水兵たちが、お酒でも飲んだのか陽気に遊び回っていました。

しかし、すでに日が沈んで時刻はもう夜。近くの住民が「あのう、彼らが騒ぎすぎて、うるさいです。何とかして頂けせんか」と、地元の警察隊に苦情が入ります。

そのとき一帯の警備は土佐藩のサムライが担当しており、何人かでフランス兵の元へ行き、帰るように説得。しかし言葉が通じず口論に、土佐藩士たちはやむをえずに、取り押さえようとしました。しかしフランス兵はこれに抵抗してエスカレート、双方の戦闘へとつながってしまいます。

世にいう“堺事件”です。これによりフランス兵11人が死亡し、これを知ったフランス政府は激怒。「どう責任を取ってくれる?」とばかり、外交を通じて迫ってきました。フランスは今でもヨーロッパの大国ですが、当時は世界でも最強クラスの帝国です。まだ足元の近代化もろくに固められていない日本にとって、とても敵対できる相手ではありません。

戦闘に関わった土佐藩のサムライ20人には、最終的に切腹が言い渡されました。フランス側の責任者たちも立ち合いのもと1人ずつ行い、事件の幕引きを図ろうとしたのです。しかし当然ながら、フランス人にとって“ハラキリ”を見るのは初めてです。

「うおぁぁぁーー!」「ええぇぇーーい!」自ら腹部に刀を突き刺し、かっさばくという凄まじさ。全員、青ざめながら眺めていたことは、想像に難くありません。そして11人目が切腹したとき、流石にいたたまれなくなったのか、退席してしまいました。

「ここまでやるのか、信じられん」「もういい、もう十分わかった」。突然いなくなった背景には、このような思いがあったのかも知れません。いずれにしてもフランス側の立ち合い人がいなくては、続行はできず。

切腹は中止となり、残り9人のサムライは生き残ることになりました。これほど苛烈な儀式を見せられては、フランス側の戦慄は最もですが、それにしても日本の武士たちは何故、これほどまで凄まじい切腹を発明し、しかも何百年も続けて行ったのでしょうか。

切腹を自ら望んだ武士たち

切腹は、いつ誰が発明したのでしょうか。その詳しい記録は残っておらず様々な説があります。有力なものとしては、日本の中でも東側に根を張る武士が始め、そのため関東を拠点に天下の覇者となった源氏に由来し、鎌倉時代以降に定着したという説があります。

たしかに平安時代の人物であったり、源氏に敗れた平家の武士が「かくなる上は、切腹いたす!」などという話は、皆さんも耳にしたことがないのではないでしょうか。

では“何のために行ったのか”という理由の部分ですが、かつて旧5千円札に載った“新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)”“武士道”という著書で、このように説明しています。

「切腹とは武士がみずからの罪をつぐない、不名誉を免れ、友を救い、誠実さを証明する方法である」。これは、いったいどういうことなのでしょうか。

この本では武士が大切にする精神がいくつか説かれているのですが、中でも最上級に重んじたものは“名誉”であり、それは時に自分の命よりも勝るものでした。

切腹はフランス人が戦慄したように、とてつもない苦痛と恐怖を伴う最期です。しかし、だからこそやり遂げた人物の胆力や潔さは、武士として立派と賞賛されました。

そのため今の価値観では信じられませんが、刑罰や強制されたわけでもなく、武士が自ら切腹を望むケースさえありました。例えば江戸時代の前半には主君が亡くなると、家臣が殉死する風潮が流行り、今でいう佐賀県の鍋島藩などでは、最大26人が切腹しています。

これは「彼こそまことの武士」「なんと見事な忠義よ」と言われる名誉であり、それはまさに、自らの命よりも勝る価値だったのです。これがあまりに流行ったため、わざわざ徳川将軍家が禁止令を出したほどでした。

名誉心のメリットとデメリット

武士として“名誉”こそ至高という考えは、ひとたび戦いとなれば、とてつもない強さにも繋がりました。どんな戦士でも命を失うかもしれない戦場は恐ろしいものですが「名誉こそ至高!」とばかり、命を顧みずに向かってくる相手ほど、手強い敵はいません。

また冒頭の土佐藩士たちの様に、悪事を働いた罪人としてではなく「自分達が切腹することで、皆が助かる」と、全体や他人のために潔く切腹を受け入れるケースもありました。そのような精神は武士らしく高潔とされ、実際に切腹した土佐藩士は多くの人々から賞賛されました。

今の時代でも“サムライ”といえば海外でも通じる言葉ですが、“騎士”というカテゴリ―もある中、各国が翻訳せずにそのままの日本語で使う理由は、それでしか表現できない独自性の証と言えるかも知れません。

しかし一方で名誉を求めるということは、不名誉に恐怖するということになります。「武士の名折れだ」「面汚しめ」という評価は、何としても避けたい言葉になるのです。

そうしたこともあってか、過去の事例では“だらしない姿を見せた”“飲んで騒いでいた”など、今の価値観からすると「え、そんなことで」という理由で、切腹につながった武士もいました。

誰から見られても恥ずかしくない高潔な人間を目指す考えは尊く、それはとてつもない力に繋がります。しかし、一方で行き過れば息苦しい完璧主義となり、世間の目を気にし過ぎる風潮に繋がってしまう点もあります。

武士道は現代にも息づいている?

ここまで切腹という風習に沿い、おもに名誉を求める武士の価値観を、ご紹介してきました。しかし、この考えは必ずしもサムライだけに限らず、広まっていたことが感じられる記録もあるのです。戦国時代に日本を訪れたフランシスコ・ザビエルは「この国の人々は、何よりも名誉を重んじる」と書き残しています。

ここからは筆者の考察が入りますが、もしかするとこうした価値観は、知らず現代にも受け継がれているのかも知れません。自らに誇りを持ち、世の中に対して恥ずかしくないように。

それらは寸分の狂いもない職人の技術や、何百年も受け継がれる伝統。正確な電車やバスの時間など、海外の人々も驚く日本の良さにも繋がっているかも知れません。

しかし一方で、恥を恐れる気持ちが“英語をカタコトでは人前で話せず、上達しにくい”という性格や、“人と違うことは出来ず、イノベーションが起きにくい”といった保守性を生んでいる可能性も考えられます。

歴史や文化は、時として今の時代にも繋がるヒントもたくさん存在します。仮に武士道が現代にも息づいているとすれば、短所は自覚して克服しつつ、唯一無二の長所はぜひ伸ばして、世界に羽ばたいて行きたいものです。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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