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[高校野球・あの夏の記憶]「やればできる」の済美、空前の大偉業まであと一歩

楊順行スポーツライター
(写真:岡沢克郎/アフロ)

 いまから20年前。2004年夏の甲子園は、駒大苫小牧(南北海道)が北海道勢初優勝を遂げたことで知られるが、では準優勝は? 答えは、済美(愛媛)である。創部3年目の済美は、この年のセンバツで初出場優勝。夏も当然初出場で、駒苫との決勝は一時、最大4点のリードを奪っているから、もう少しで「いずれも初出場で春夏連覇」という空前絶後の大偉業もありえた。

「不滅の記録に挑戦しよう」

 大事な試合になると、テーマを設定して臨む済美。決勝のテーマがこれだった。センバツで優勝し、連覇に挑むこの夏は、準々決勝で中京大中京(愛知)に勝ち、甲子園初戦から8連勝と従来の記録を更新。10連勝まで伸ばせば、初出場で史上6校目の春夏連覇という、ほとんどアンタッチャブルなレコードを樹立することになる。まさに不滅の記録だ。

 創部3年目。このときの3年生が部の1期生だから、歴史をたどるのはたやすい。1年生だけで臨んだ2002年の夏は、さすがに初戦負けだった。その秋は2つ勝ったが県大会に進むのがやっとで、03年春は喫煙事件が発覚して出場を辞退。03年夏は、丹原に0対10でコールド負けだった。

夏の地方大会初勝利から頂点目前!

 それが、初出場した今年のセンバツ。土浦湖北(茨城)・須田幸太(元DeNA)、東邦(愛知)・岩田慎司(元中日)らの好投手を攻略し、東北(宮城)との準々決勝は高橋勇丞(元阪神)のサヨナラ3ランで波に乗り、準決勝では「まだ海のものとも山のものともつかない」(上甲正典監督)創部以来、ずっと練習試合を組んでくれた明徳義塾(高知)を振り切り、決勝では愛工大名電(愛知)……と、初戦以外はいずれも1点差の苦しい試合をしのぎ、初出場優勝の偉業を達成した。

 この夏も、春夏連覇への挑戦権を得たが、これには紆余曲折があった。主砲の高橋が寮の規則違反を犯し、選手登録が不可能に。しかもこのトラブルで、5〜6月の大事な時期に、対外試合禁止の処分が下る。最後の夏の大会に出場できるかどうかも、不透明な状況だった。新キャプテンに指名された新立和也は「動揺はなかったです。その分、実戦練習ができましたから」と装ったが、ある選手は「へこみました。きつい練習をするのにも、モチベーションがないんですから」とホンネを明かす。

 7月5日にはなんとか、日本学生野球協会の処分が警告に決まり、夏の大会出場には問題なし。ここから選手たちは結束し、夏に向けた練習に拍車がかかった。たとえば岩国(山口)との3回戦、外野守備で美技を連発した鵜久森淳志(元ヤクルトほか)によると、

「練習の成果ですかね。監督やコーチが、3メートルくらいのところからボールをトスして、それに飛びついて捕るんです。タマ際に強くなることと、飛びつく勇気を養う練習ですが、1時間半も続くんですから、それはもう……」

 ということになる。

ラッキーゾーン撤去後の最多本塁打 

 この鵜久森、バッティングでも魅せた。センバツでもすでに2本塁打していたが、この大会でも秋田商戦、岩国戦で一発。圧巻は準決勝だ。相手の千葉経大付は極端なシフトを敷くチームで、鵜久森の打席になると、レフトがフェンスまで1.5メートルと長打を警戒する。だが0対2の6回の打席。「頭を越えりゃ文句ないだろう」とばかり、松本啓二朗(元DeNA)からレフトに一発。あのKK、元木大介(元巨人)につぎ、ドカベン香川伸行と肩を並べる甲子園通算5号だ。1992年のラッキーゾーン撤去後は、最多である(当時)。

  甲子園の5試合でチーム打率.390と、ガンガン打つ豪快なイメージが先に立つが、緻密さも済美の持ち味だった。岩国戦では、洗練されたけん制プレーを見せている。セカンドの野間源生が二塁ランナーのけん制に1球入り、ベースを離れる。ランナーが安心して再度離塁した瞬間に、背後からすかさずショートの新立がセカンドベースに入る。それも、走者の右足に重心がかかったタイミングだから、帰塁できない二塁走者を刺したことがあった。

「練習中に、自分たちで考えたプレーです。ここぞというときしか使えませんが、してやったりでしたねぇ」

 と野間が明かした。

 あるいは大会期間中、練習量が少ないために選手の体重が増えたセンバツの反省から、ふだんのトレーニングで使っているローイングマシンを宿舎に持ち込んだ。1分半ほどそのマシンをこぐと、400メートルの全力疾走に相当する負荷がかかる。それを、1日最低5本。選手たちは、2000メートルを全力疾走した計算になる。こうして体調を維持し、甲子園9連勝。決勝こそ「かつての池田、山びこ打線を思い起こさせる」(上甲監督)駒大苫小牧に敗れ、空前の春夏連覇は成らず。

「大会中は、”春夏連覇なんて、まるで意識していない“といっていたけど、それは表向き。高校野球をやっていて、挑戦権がある以上、達成したいという思いでいっぱいでしたよ。悔しいねぇ」

 生前の上甲監督、こうもらしたことがあったが、春夏とも初めての甲子園で9勝1敗の、優勝・準優勝。これはこれで、もはや破られることはないだろう。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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