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マウスピースを6度吐き出し、失格負けになった男

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
Mikey Williams/Top Rank

 2021年の東京五輪で銀メダルを獲得し、プロ転向後も10戦全勝オールKOと順調に歩を進めている25歳のヘビー級サウスポー、リチャード・トーレズ・ジュニア。

 祖父、父、トーレズと3代にわたってボクシンググローブを握っている。父がコーチを務め、息子はオリンピアンとなった。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 「ボクシングは最も平等な競技の一つだと思うので、自分がどこまでやれるか試してみたい」

 物心ついた時、それがトーレズの目標となった。彼は言う。

 「もし東京で金メダルを獲得していたら、ボクシングを止めていたかもしれない。僕は、最高のレベルに達することを目指しているからね。銀メダルは得たが、まだ飢えている。同時に、今ではそれなりの給料ももらえるので、感謝しているよ」

Mikey Williams/Top Rank
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 そのトーレズの直近の相手は、ペンシルバニア州フィラデルフィア出身の34歳、ジョイ・ダウェコだった。戦績、28勝(16KO)11敗4分の腹の出たホワイトヘビーだ。

 初回、前の手でうるさくフェイントをかけるトーレズは、ストレートを腹に、右フックを上にと言う攻撃を見せる。ダウェコはリング中央であまり動かず、一発を狙うスタイルを見せた。

 2ラウンド、1分30秒、ダウェコがようやくまともに放った左フックがヒットし場内が沸く。が、銀メダリストも負けてはいない。同ラウンドの終盤に、右フック、ボディアッパーを見舞い、エンジンをかける。翌3回も、左ボディアッパーから右フック、ボディへのジャブ、いきなりのストレートと多彩な攻撃を披露した。

Mikey Williams/Top Rank
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 この3ラウンドの1分過ぎあたりから、ダウェコはピンチに陥るとマウスピースを吐き出して、時間を稼ぐようになる。レフェリーが再三、注意を与えたが止めようとしなかった。4ラウンドには2ポイント減点されたが、聞く耳を持たない。そして、第5ラウンドに、また同じ行為を繰り返したところで、失格負けを告げられる。

Mikey Williams/Top Rank
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 結局、ダウェコが自身の体を守る筈のマウスピースをキャンバスに落とした回数は6に上った。

 若手の<斬られ役>として抜擢されたのだから、なるべくダメージ無しでリングを降りたい。でも、金だけは稼ぎたいーー。そんな思いだったのか。誰かの入知恵だったのか。何とも言えない滑稽な男だった。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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