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【ゴッホ】没後130年 絶筆にまつわる新発見 オヴェール・シュール・オワーズを訪ねる

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
ゴッホ美術館(アムステルダム)所蔵の『木の根』(写真はすべて筆者撮影)

今年7月29日は、フィンセント・ファン・ゴッホが亡くなってから130年目にあたる命日だった。

この日と前後して発表になったゴッホ作品にまつわる新発見のニュースを耳にした方も少なくないだろう。

ゴッホはパリ近郊のオヴェール・シュール・オワーズで1890年7月29日未明、37歳で亡くなっている。

胸に銃弾を受けたことが死因になっているが、自殺、あるいは他殺と諸説あり、さらにさかのぼること約1年半、彼がアルルで起こした「耳切り事件」ともども真相はミステリアスなままで、ゴッホの生涯が映画化される時も、それぞれの解釈によって演じられてきた。

ちなみにカーク・ダグラス主演の『Lust for Life(邦題/炎の人ゴッホ)』(1956年公開)では麦畑で自殺。ウィレム・デフォー主演の『At Eternity's Gate(邦題/永遠の門)』(2018年公開)では、10代の子供たちによってあやまって撃たれるという設定になっている。

ところで、このたびの新発見、である。

それは、ゴッホの最後の作品とされている『木の根』のモデルになった根っこがほぼ特定されたというもので、その経緯というのがまた、新型コロナ禍の今年ならではなのだ。

発見者は、ファン・ゴッホ財団のゴッホ研究の権威Wouter Van der Veen氏。彼のインタビューが7月28日付『ル・フィガロ』紙に掲載されているのだが、要約すると次のようなものだ。

ロックダウンで在宅生活を余儀無くされていた今年3月末のこと、コンピュータにスキャンしてあった1900年から1910年のポストカードを何気なく眺めているときに、そのうちの1枚に目がとまり、ひらめいた。その場所こそゴッホ最後の作品の場所だ、と。

場所の特定のきっかけになったポストカード
場所の特定のきっかけになったポストカード

実は、私はこの直後、奇遇にもゴッホの足跡をたどる旅に出るところだった。東京のSOMPO美術館ファン・ゴッホ・ヨーロッパが主催するプレスツアーに参加させていただく形で、オランダ、パリ、南仏を巡るというものなのだが、ゴッホ終焉の地であり、「新発見」の『木の根』の場所が特定されたオヴェール・シュール・オワーズもしっかりとそのプログラムに入っていた。

パリの北西約27キロ、人口7000人ほどの町オヴェール・シュール・オワーズを私たちが訪れることになったのは、8月2日の日曜だった。

駅、役所をはじめゴッホにまつわる施設も町の中心にぎゅっとまとまっている。

役所の広場の掲示板には、新発見についての告知も貼られている。

オヴェール・シュール・オワーズの役所
オヴェール・シュール・オワーズの役所
役所広場の告知板に貼られていた「新発見」
役所広場の告知板に貼られていた「新発見」

ゴッホの終の住処となり、彼が息を引き取ったのも、彼の葬儀が行われたのもそこだという「ラヴー旅館」は役所の向かい。平常ならば、カフェレストランとして営業していて、館内は一般公開されているはずなのだが、新型コロナ禍のために残念ながら長期休業中だった。

ラヴー旅館。ゴッホはこの3階、7平米の部屋で最後の70日を過ごした
ラヴー旅館。ゴッホはこの3階、7平米の部屋で最後の70日を過ごした
地元ガイドさんの資料には、ゴッホが暮らしていた部屋を再現した写真があった
地元ガイドさんの資料には、ゴッホが暮らしていた部屋を再現した写真があった

ガイドさんの案内でゴッホにまつわる場所を巡ったが、もちろん「新発見」の場所にも連れて行ってもらった。

それは意外なほど近くにあった。「ラヴー旅館」から150メートルくらいだろうか、緩やかに左に曲がる坂道を登りきるかどうかというところで、グレーの覆いが目に入った。

役所の告知の最後に「木の根は現在見ることができない。文化省による鑑定中」という一文があったが、なるほどすでにこんなにしっかりとした囲いが設けられてしまった後だった…。

ポストカードで特定できたrue Daubigny(ドービニー通り)の場所
ポストカードで特定できたrue Daubigny(ドービニー通り)の場所
木の根はすっかり囲われていた
木の根はすっかり囲われていた
かろうじて見える土の部分
かろうじて見える土の部分

ところで、ゴッホの最後の作品については諸説あり、かつては『カラスのいる麦畑』に象徴的な最期を投影する見方もあったようだが、ゴッホ本人や近しい人たちの書簡などからの考察によって、現在は『木の根』が絶筆であるというのが定説になっている。

それにしても、森の奥深くではなく、住宅地に面した場所にいまもこのように雑木林が残っているのが興味深い。

そもそもオヴェール・シュール・オワーズでは、薪や建材として利用するために雑木林を生活圏に設けていたようで、泥灰岩土壌の木は生育が早く伐採もしやすいのだとか。そして、伐採した後の切り株からは新しく芽が出て木が育つのを繰り返すいわゆる「萌芽更新」が保たれていた。その結果として複雑に絡み合った根っこが地表に露出していたのがこのポストカードの場所。つまり、ゴッホの最後の作品に描かれた場所なのだ。

ゴッホはビジュアルとしての木の根の異形そのものに単純に惹かれて画題としたのか、それともそこに、「萌芽更新」が想起させる継続、再生、もしくは転生といったような意味合いを意識していたかどうかは知る由もない。だが、絶筆がカラスなのか根っこなのかで、後世の私たちが受ける印象は随分と違ってくるように思う。

『カラスのいる麦畑』(ゴッホ美術館所蔵)
『カラスのいる麦畑』(ゴッホ美術館所蔵)
作品に描かれた場所にはプレートが立っている。ゴッホが『カラスのいる麦畑』を描いたのは7月上旬ということが、彼の手紙からわかっている。私たちが訪れた8月2日、麦はすっかり刈りとられていた
作品に描かれた場所にはプレートが立っている。ゴッホが『カラスのいる麦畑』を描いたのは7月上旬ということが、彼の手紙からわかっている。私たちが訪れた8月2日、麦はすっかり刈りとられていた

ゴッホがオヴェール・シュール・オワーズにやって来たのは1890年5月20日。亡くなる7月29日までの70日間、ここでじつに78点の油絵を制作している。

ゴッホ詣でのためにこの地を訪れる人はあとをたたない。

『カラスのいる麦畑』の場所からすぐの共同墓地にゴッホは眠っている。

傍には、物心両面でこの兄を支え、半年後にあとを追うように亡くなった弟テオの墓。

折しもそこには、ヒマワリの花が手向けられていた。

ファン・ゴッホ兄弟の墓。テオはユトレヒトの精神科病院で亡くなったが、墓は未亡人の意思により1914年に兄の隣に移された
ファン・ゴッホ兄弟の墓。テオはユトレヒトの精神科病院で亡くなったが、墓は未亡人の意思により1914年に兄の隣に移された
アイビーに覆われた墓の上には命日のものだろうか、ヒマワリの花束があった
アイビーに覆われた墓の上には命日のものだろうか、ヒマワリの花束があった

※動画「ゴッホゆかりの地を訪ねる旅 オヴェール・シュール・オワーズ」編もどうぞご覧ください。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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