「ニュースの客観性」をジャーナリストが否定する、3倍も多い批判の理由とは?
「ニュースの客観性」をジャーナリストが否定するケースが、肯定論の3倍も多かった――。
カリフォルニア大学バークレー校の研究者、ジョナサン・ストレイ氏が、メディアサイト「ニーマンラボ」で、そんな調査結果を明らかにしている。
「客観性」はこれまで、メディアの信頼を担保する、基本的な指針と考えられてきた。だが今ではむしろ、ジャーナリストたちの批判の対象になっているという。
メディアの信頼や存在感が低下する中で、「客観性」の何が問題なのか。
そして、「客観性」に代わるメディアの信頼の新たな物差しとは?
●ジャーナリストたちの声
カリフォルニア大学バークレー校「人間互換人工知能センター(CHAI)」上席サイエンティスト、ジョナサン・ストレイ氏は4月25日付の「ニーマンラボ」への寄稿で、そう述べている。
ストレイ氏が調査対象とした3サイトは、米国の代表的なジャーナリズムメディアだ。その中で、ジャーナリズムの「客観性」がどう語られているかを、195本の記事から分析したという。
その結果、「非常に否定的」59件、「やや否定的」52件、「どちらでもない」46件、「やや肯定的」32件、「非常に肯定的」6件となり、否定論が肯定論の約3倍(56.9%対19.5%)に上ったという。
この割合は、メディアごとにやや濃淡がある。
「ニーマンラボ」(調査対象62件)は否定論が51.6%で肯定論が17.7%と、賛否の比率は全体の傾向に近いが、「どちらでもない」が30.6%と最も多い。「コロンビア・ジャーナリズム・レビュー」(同66件)は否定論が68.2%に対して肯定論は13.6%と、賛否に5倍の開きがある。「ポインター」(同67件)は否定論50.7%、肯定論26.9%で、賛否の開きは2倍に収まっている。
否定論の主な論点について、ストレイ氏はそう指摘する。
前者を代表するのが「白人男性の視点」だ。「客観性」の基準が、米国のジャーナリズムの現場(編集局)で多数派だった「白人男性」以外の属性(民族、性別、性自認、性的指向など)の視点を排除することにつながってきた、との批判だ。
後者の「誤ったバランス」は「両論(併記)主義」と呼ばれる。対立する2つの主張を機械的に併記することで、極端な暴論にも一定の評価を与えてしまうという批判だ。両論併記にナチスの主張を含めるべきなのか、との議論だ。
メディアが信頼を担保する指針としてきた「客観性」には、このような欠陥があると受け止められ、報道現場の変化を後押ししつつある。
●「客観性」への攻撃
いずれもアリゾナ州立大学ウォルター・クロンカイト・ジャーナリズムスクール教授で、元ワシントン・ポスト編集主幹のレナード・ダウニー氏と、元CBSニュース社長のアンドリュー・ヘイワード氏は、2023年1月26日付で公開した報告書「客観性を超えて:今の編集局で信頼されるニュースをつくる」の中で、そう指摘している。
ダウニー氏らは、従来の「客観性」に代わるジャーナリズムの信頼を担保する柱は何か、という問いかけを、報道機関のトップ、ジャーナリスト、専門家らへの75件のインタビューをもとにまとめている。
報道機関のトップのコメントの多くは、白人男性を中心とした編集局の「客観性」の欠陥に集中する。
「誰の基準で客観的なのか? その基準は、白人で高学歴でかなり裕福な男たちのようだ」(元AP通信編集主幹、キャスリーン・キャロル氏)。「ジャーナリストが取り組むべき仕事は真実であって、客観性ではない。私たちは皆、バイアス(偏見)や情熱を持ちながら、現実に近づいていくということだ」(NPOメディア「マーシャル・プロジェクト」創設者、ニール・バースキー氏)。「若手ジャーナリストのコンセンサスは、我々はすべて間違っていたということだ。(中略)客観性は捨てなければならない」(サンフランシスコ・クロニクル編集長、エミリオ・ガルシア=ルイス氏)。
そして、その対応としての編集局の多様性の取り組みが紹介されている。
「私たちは常に肌の色の多様性について話してきた。(中略)しかし、宗教の多様性、出身校の多様性、地理的な多様性は本当に欠けている」(元CNN社長、ジェフ・ザッカー氏)。
多様性とともに挙げられるのが、透明性だ。
「報道機関に信頼を根付かせる方法とは何か? 1つは透明性だ。そして透明性の実践の1つは、自分の仕事の進め方を明示することだ」(NPOメディアのコンサルティング「ミンション・パートナーズ」社長兼CEO、キャリー・フォックス氏)。
●「透明性が新たな客観性」
「客観性」とは、バイアスに歪められていないこと、と定義される。
党派色が濃かったジャーナリズムの指針として「客観性」が掲げられるようになったのは、第1次大戦から戦後にかけて。その歴史は100年ほどのものだという。
メディアの「客観性」に疑問が指摘されるようになったのは、2000年代半ばだ。
ブログなどのソーシャルメディアの登場によって、ブロガーなど誰もがメディアと同等の情報発信が可能になり、マスメディアの存在感が相対化される中で懐疑論がわき上がる。
ニューヨーク大学准教授のジェイ・ローゼン氏は2003年9月、メディアの表面的なバランス報道を指して「捉えどころのない視点」と称した。
ジャーナリストのダン・ギルモア氏は2005年1月に「客観性の終焉」を提唱。バイアスやバックグラウンドを持つ人間として、「客観性」に代えて、「徹底性」「正確性」「公平性」「透明性」という4つの柱を提示した。
ソーシャルメディアの専門家、デビッド・ワインバーガー氏は2009年6月、「透明性は新たな客観性である」とのメッセージを掲げた。
20年近い議論とメディア環境の激変の中で、「客観性」の欠陥は、編集局の中でも現実的な課題として受け止められている。
●ユーザーが求める「多様性」
「客観性」の欠陥への対策として、ダウニー氏らの報告書でもしばしば言及されていたのが、多様性の確保だ。
多様性は、ユーザーからも求められている。ただ、その声もまた多様だ。
ナイト財団とギャラップが2020年8月に公表した米国の成人2万人に対する調査では、メディアの政治的バイアスについて、46%が「かなりある」、37%が「ある程度ある」と回答している。
また、「客観的」であるはずのニュース報道に強いバイアスがあることについて、68%が「重大な問題だ」とし、その割合は2017年(65%)からわずかに上昇しているという。
回答者の大多数(75%)は、報道機関はジャーナリストの多様性を高めるように雇用を行うべきだと回答している。
だが、多様性の方向は一様ではない。民主党支持者(47%)と黒人(56%)は人種/民族の多様性を優先する一方、共和党支持者(48%)と白人(34%)は政治的見解の多様性を優先する傾向が強い。
もう1つの対策は、データに裏付けされたジャーナリズムだ。
「コンピューター支援報道(CAR)」「プリシジョン(精密)ジャーナリズム」から続く、社会科学的な手法を取り込んだ「データジャーナリズム」の潮流だ。
※参照:データジャーナリズムは難しくないし、未来はすでにここにある(06/08/2014 新聞紙学的)
※参照:データジャーナリズムでやってはいけないこと(10/07/2013 新聞紙学的)
データのビジュアル化や、データ分析から導き出す現象の可視化などに特徴があり、過去10年のデジタルツールの進化で、高度化を続けている。
●信頼低下の歯止め
「客観性」への批判の根幹にあるのは、メディアの信頼の低下だ。
ギャラップの2023年10月19日の発表では、米国におけるマスメディアへの信頼度は32%。史上最低を記録し、ドナルド・トランプ氏が大統領選に当選した2016年と同水準となっている。
ワシントン・ポストによるウォーターゲート事件の調査報道で、当時のリチャード・ニクソン大統領が辞任した1974年のマスメディアの信頼度は69%。その2年後の1976年の調査では、信頼度は過去最高の72%となっている。
「客観性」批判への対応を、メディアの信頼にどうつなげるか、信頼低下の歯止めとなるか。それが、問題の核心だ。
(※2024年4月30日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)