高校での日本史必修化を考える ―未履修問題、受験の在り方、自国理解について
「海外に出るなら、自国の歴史を充分に学び、理解する必要がある」として、文部科学省がこの夏の中央教育審議会にて高校生の日本史必修化について検討をするという発表がありました。そこで、日本史を学ぶ意義について考えてみたいと思います。
◆裏カリキュラムを採用する進学校
1989年の学習指導要領改定で高校の社会科は「地理歴史」と「公民」に別れ、世界史が必修に、日本史か地理は選択になりました。しかし、1999年から大学進学実績に重きを置く一部の高校で世界史等の未履修問題が発覚しはじめ、2006年に富山の県立高校での未履修発覚報道をきっかけに全国で600校以上の未履修や教育委員会に提出されたカリキュラムとは違う「裏カリキュラム」の存在が発覚しました。この問題は世界史だけに限ったものではないのですが、学校や教員側がその教科の必要性を疑問視していること自体が、この問題の根幹にありそうです。
◆歴史を学ぶ理由
予備校などで社会科を講義する際、毎年必ずされる質問に「なぜ歴史をやらなければいけないのか? 過去のことを知ったって将来役に立つとは思えない」というものがあります。また以前、東京大学の学生に「古典なんて過去のものを読むことになんの価値があるのですか?」と質問されたこともありました。未来志向あるいは活動的な学生ほどそういう意見を持っている傾向がある気がします。また、親の認識の影響も多分に考えられます。「うちの子は歴史ばっかりやっているが、もっと役に立つ勉強をやるべき。先生からも言ってやって下さい」などと依頼されることも度々です。これは歴史が暗記物であるという誤解から来るものでしょうが、受験業界では特に社会科は軽視される傾向にあり、関西地区の中学受験では国算理の3教科受験の学校も多数あります。
歴史を学ぶことには幾つか意義があると思いますが、一つは「温故知新」つまり、過去の事象を踏まえた上で現在の行動に活かすこと、もう一つは「因果関係」を学ぶことにあると考えます。論理だけで世界を説明することは出来ませんし、必ず例外や綻びがあります。そのことを社会に出る前に想像出来るようにすることが歴史を学習する意味ではないでしょうか。とはいえ、入試や試験の出題が年号などの重箱の隅をつつくような問題に終始すれば、その意義は失われてしまいかねません。学校や教員が、まずその意義を伝えることが大事だと感じます。
◆日本を説明出来ない日本人学生
留学やギャップイヤーなど海外に目を向ける学生達と接していると、特に良く聞くのが「日本のことを聞かれて困る」という意見です。日本独自の文化について聞かれても、忍者や侍、歌舞伎や漆器など自分たちにとって身近でないものしか挙がらないと言います。「日本人は日本のことを知らない。私たちの方がよっぽど日本を説明出来る」なんていう海外の学生もいました。
日本人は強く自分の意見を主張することが苦手だと言われますが、その理由の一つには日本について学ぶ機会が少ないことが挙げられると思います。領土問題をとっても、実際、北方領土や尖閣諸島、竹島が日本の歴史上どういうなっていたかを説明出来る学生は少ないです。自信を持つためには、知識と論理も必要な要素ですし、特に国際的な問題においては自国の立場を含めた各国の認識を知っていなければ話になりません。もちろん、小中学校で日本の歴史を学ぶ機会はあるのですが、やはり理解や興味も年齢によって大きく変わっていきます。だからといって高校日本史を必修にすれば済むというような簡単な問題でもなさそうです。
本来は、教育基本法に則った学校教育と、それに見合った試験が実施されることが理想なのですが、現状そのような実践は多くの学校機関で出来ていないように思います。であるならばせめて、学校機関の最大の意義は「受験」ではないという認識が学校・教員と生徒・保護者双方で必要なのではないでしょうか。 (矢萩邦彦/studio AFTERMODE)