新生京都オープンの前に、運命のいたずらで淀に散ったライスシャワーを振り返る
京都で偉業を阻み続ける
今週末、新生京都競馬場がオープンする。
京都競馬場といって思い出されるのは、やはりライスシャワーだろう。美浦・飯塚好次厩舎所属で、1992年の3歳(当時は4歳表記)クラシック戦線を歩んだリアルシャダイ産駒の牡馬。三冠競走最初の一冠目となる皐月賞(GⅠ)ではミホノブルボンから1秒4も離される8着。二冠目の日本ダービー(GⅠ)はまたもミホノブルボンの後塵を拝するが、0秒7差の2着。2頭の間に他の馬は入らず、ジリっとその差を詰めた。
すると、京都競馬場が戦場となる三冠目の菊花賞(GⅠ)ではついに逆転。0秒2差2着にミホノブルボンを下し、同馬の三冠制覇を阻むと同時に自身初のGⅠ制覇を成し遂げた。
淀を舞台にしたライスシャワーの物語は、しかしこれで終わりではなかった。
翌93年の天皇賞(春)(GⅠ)。今度は同レース3連覇を狙い、圧倒的1番人気に支持されたメジロマックイーンに0秒4差をつけて真っ先にゴールイン。自身2度目のGⅠ制覇を、一冠目と同じ京都の長丁場で達成した。
淀で行われた宝塚記念で……
競馬史に残る偉業達成の瞬間を阻み続けた事で、ヒール役になってしまう雰囲気もあった。しかし、その後、怪我での長期休養から復帰し、95年に2度目の天皇賞(春)制覇をしてみせた時は、万雷の拍手がこの京都を得意にしたステイヤーに贈られた。
こうしてついに市民権を得ると、陣営が次走に選んだのが宝塚記念(GⅠ)だった。例年、阪神競馬場で行われるこのレースだが、この年は阪神淡路大震災に伴う改修工事が行われていたため京都で行われた。過去3回制したGⅠが全て京都だったライスシャワーには追い風だと、誰もが思った。しかし、思わぬ悲劇が待っていた。3コーナーでバランスを崩し、競走を中止。唐突に星になってしまった。淀に咲いたライスシャワーは、瞬く間に淀に散ってしまったのだ。
果たして新装なった京都では、どんな名馬の誕生が待ち受けているのだろう。ライスシャワーが教えてくれた「無事に駆け抜ける」という願いを、どの馬も成就してくれるよう、祈るばかりである。
(文中敬称略、平松さとし)