是枝監督の『怪物』の騙し方は誠実。映画の“サムネ詐欺”について
今年のサン・セバスティアン映画祭で上映された是枝裕和監督の『怪物』。スペイン人ジャーナリストたちの評を読んでいたら、「騙し方が不誠実だ」と怒っている人がいた。
『怪物』の面白さはサプライズにある。
同じ一つの物語が3つの視点で語られ、3つそれぞれに見え方が違う。悪者だと思っていたら良い人だったり、その逆だったり。怪物じゃないと思っていたら怪物だったり、その逆だったり……。
是枝監督は私たちを騙す。
騙されたことで、私たちは偏見や思い込みの怖さ、物事を一つの視点だけ――例えば被害者視点だけや加害者視点だけ――で語ることの怖さを知るのである。
■不誠実な騙し=詐欺、誠実な騙し=誤解
で、不誠実な騙し方とは何か?
映像で騙すことである。実際には起こっていない嘘映像を見せて、起こったように見せかけること。
要は、サムネイル詐欺と同じ。
もう、2年前のことなどでネタバレしてもいいだろう。『ラストナイト・イン・ソーホー』にはサムネイル詐欺がある。殺人シーンをきっちり見せておいて、実は殺されていない、というやつだ。
殺人がないのなら、なぜ殺人のシーンがあるのだ!!!!!
死んだと思ったら生きていた、の騙しは編集でやるべきである。
ナイフを振りかざした瞬間に画面が暗転し、悲鳴が上がる。死んだんだな、と観客は思い込むが、実は死んでいない=誤解。これはOK。
ダメなのは、ナイフを突き刺さされ血しぶきが上がるシーンを見せておいて、実はナイフは刺さっていない=これは詐欺。
私たちの目である映画のカメラで、実際に起こっていないシーンを目撃させ、私たちを騙してはいけない。嘘映像でどんでん返しを作るのは反則であり、映画監督として不誠実である。
とはいえ、映像で騙すことがすべて不誠実なわけではない。
例えば『シックス・センス』。
私たちがカメラを通して見ていたものが、実は他の人には見えていないものだった。
登場人物に死者が見えるという特殊能力があるのであれば、生きているように私たちに見えていた人が実は死んでいた、というトリックはあり、である。
あるいは精神を病んでいて幻が見える、という設定であれば、その幻覚で私たちを騙すのは不誠実とはならない。
こちらには『シャッター アイランド』や『ビューティフル・マインド』という好例がある。
まとめると、
●どんでん返しのために嘘映像をでっち上げるのは、サムネ詐欺と同じ。
●どんでん返しは編集の妙でやるべき。
●ただし、特殊能力者が見る霊や精神を病む人が見る幻は嘘映像ではなく、それに騙されるのは正当などんでん返しである。
■騙し抜きでは成立しない作品
『怪物』にはサムネ詐欺はない。
異なった視点の映像を撮り、編集だけで、映像の切り取り方と挿入の仕方だけで、映像自体を細工せずに、私たちを騙した。騙された方が気持ち良くなる見事な騙し方だった。
我がスペイン人の同僚は“編集で細工せず、技巧に走らず、素直に見せてくれ”と言いたかったのかもしれない。
だけど、この騙しは技巧のひけらかしではない。物事を一つの視点だけで語ることの怖さを見ている私たちに思い知らせる、という明確な目的がある。
それに『怪物』の推進力は謎解きである。
「怪物だーれだ」の答え探しで、私たちを2時間一気に引っ張っていく。
昨年サン・セバスティアン映画祭で見た『ベイビー・ブローカー』が、のらりくらりと蛇行しながら進むロードムービーだったのに対し、こちらは怪物探しというテーマが一貫しており飽きずに見ることができた。誠実な騙し抜き、サプライズ抜き、サスペンス抜きでは、こうはならなかった。
みなさんもぜひ『怪物』に騙されて、気持ち良くなってほしい。
※関連記事
映画『神が描くは曲線で』で考えた、サプライズの良い仕込み方、ズルイ仕込み方
赤ちゃんを売る! そこに葛藤はあったのか? 映画『ベイビー・ブローカー』(ネタバレ)
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭