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天安門事件30周年や香港デモに無言の日本――「中国への忖度」か?

六辻彰二国際政治学者
逃亡犯条例に反対する香港のデモ(2019.6.17)(写真:ロイター/アフロ)
  • 天安門事件30周年や香港デモなど中国の人権問題に関して、日本政府が公式にコメントすることはない
  • いくつかのメディアはこれを「中国への配慮」と論じているが、それよりむしろ人権より国家の主権や独立を優先させる日本の立場によるところが大きい
  • 相手の国次第で人権を都合よく強調する立場は、基本的に人権を尊重していない点で、人権を抑圧する立場と大きく違わない

 天安門事件30周年や香港デモで中国の人権問題が改めて関心を集めるなか、日本政府が明確にこれを批判することはない。そこに「中国政府への忖度」という見方もあるが、日本政府の沈黙はむしろ昔からのものである

中国への忖度?

 1989年の天安門事件から30周年の今年、アメリカのポンペイオ国務長官が改めて中国政府を批判したのに対して、中国政府は「内政干渉」と反発し、人権問題は米中の一つの争点となったことをうかがわせた。

 一方、政治犯などを中国本土に引き渡す条例の制定をめぐり、香港で200万人規模のデモが行われている状況に関しても、かつて香港を支配したイギリスのメイ首相は「懸念」を表明するなど、欧米諸国は高い関心をみせている。

 これに対して、日本政府からこれらを明確に批判する声明は出てこない。天安門事件についての見解を問われた河野外相は「自由、基本的人権、法の支配は国際的に共有されるべき価値観だ」と原則論を述べるにとどまり、その他の政権・自民党幹部も大同小異だ。

 これに関して「日中関係が改善の軌道にあるなかで中国政府に配慮した」という見方もあり、「習近平国家主席も出席する6月末のG20大阪サミットが近いことを日本政府が意識した」という解説もある。

タイミングは重要ではない

 こうした見方は一見もっともらしいが、実はあまり関係ない。日本政府が中国の人権問題に口を出さないのはいつものことだからだ

 実際、政府要人の往来もほとんど途絶え、「中国との関係がこれ以上冷え込む余地がない」状況だった2011〜2014年頃でさえ、ネット検閲や新疆ウイグル自治区でのムスリム迫害など中国の人権問題を日本政府が明確に批判することはなかった。

 そのため、日中関係の改善や、ましてやG20大阪サミットなどのタイミングは、大きな意味をもたない。

 これに対して、「天安門事件の時、援助の停止といった経済制裁に日本も加わった」という反論もあり得る。とはいえ、確かに日本政府は天安門事件の後、中国向け政府開発援助(ODA)を停止したが、これはむしろ例外とさえいえる。そのうえ、日本による援助の停止は欧米諸国のほとんどが制裁に踏み切った後で導入され、しかもその解除は最も早かった。

中国に限らない静けさ

 念のためにいえば、日本政府のこの態度は、相手が中国の時ばかりでなく、基本的にどの国に対しても同じだ

 例えば、ロヒンギャ問題が深刻なミャンマーに対して、欧米諸国は政府や軍の責任を明確に批判しているが、日本政府はロヒンギャ難民の帰還などで支援しながらも、基本的に何も言わない。

 もっといえば、1988年にクーデタで軍事政権が成立した後のミャンマーに、欧米諸国が援助を基本的に停止したのに対して、日本は援助を続けた。

 こうした場合、「関係を維持しながら状況の改善を働きかける」というのが日本政府の建前だが、ミャンマーに関していえば、民政移管を定めた2008年の新憲法採択などは軍事政権の側の事情の変化によるもので、日本政府の働きかけによるとはいえない。

 日本の援助と相手国の政治状況を統計的に調査したマラヤ大学のフルオカ准教授は、日本が援助を民主化のテコとして用いたという証拠はないと結論している。

アジアと西側の狭間

 日本政府のこの立場は、内政不干渉を強調する立場に基づく。

 「それぞれの国家には国家としての権利、主権があり、外国の問題に口を出すのは主権の侵害、内政干渉に当たる」というのは国際関係の古典的な考え方で、アジア諸国にはこの考え方が強いが、日本もその例に漏れない。

 この立場は、国内の人権問題はそれぞれの国で処理すべきで、外国からとやかく言われる筋合いはない、という主張につながる。

 ただし、日本の立場は欧米諸国と異なる一方、他のアジア諸国とも異なる。他のアジア諸国は欧米諸国、とりわけアメリカの「内政干渉」に批判的で、天安門事件の鎮圧にもほとんどのアジア各国の政府は(控えめではあっても)理解を示した。

 これに対して、第二次世界大戦後の日本政府は「西側先進国の一国」であることを外交的な立場として何より優先させてきた。つまり、日本の場合、自らは内政不干渉を重視していても、他の西側先進国の言動を批判することはもちろん、その動向とあまりにかけ離れることもできない

 天安門事件への制裁やクーデタ後のミャンマーとの関係でみられた、西側とアジアに両股をかけた対応は、そのなかで生まれた。

 より最近の例をあげよう。北東アフリカのスーダンでは6月3日、民主化を求めるデモ隊に治安部隊などが発砲し、60名以上が死亡した。これを受けてスーダン政府は欧米諸国から批判されただけでなく、周辺のアフリカ諸国が加盟するアフリカ連合(AU)からも参加資格を停止されたが、日本政府は発砲を「非難する」という声明を出しながらも、今年8月に横浜で開催されるアフリカ開発会議(TICAD)でのスーダン出席の取り消しなどには言及していない。

人権を貶める者

 良くも悪くも、日本政府の立場は戦後ほとんど変わらない。そのため、冒頭の「中国への配慮」を強調する取り上げ方は、故意か偶然かはともかく、相手が中国だからという点に焦点を当てすぎているばかりか、あたかも「日本はそれ以外の場合、人権問題に積極的に関わっている」というミスリードにさえなりかねない。

 同じことは、香港デモに関して「中国が世界各国から非難されている」という論調に関してもいえる。

 中国の人権問題を公式に批判しているのは一部の欧米諸国だけで、世界の大半を占める開発途上国、新興国はこれに沈黙している。そこに中国の経済力への配慮があることは否定できなくても、より根本的には内政不干渉を重視するスタンスによるものだ。実際、中国が今ほどの経済力を持たなかった1989年の天安門事件の際も、ほとんどの開発途上国は中国政府の立場に理解を示した。

 中国を擁護する気は全くない。しかし、「気に入らない」という感情を「人権」のワードで正当化することは、日本を含むそれ以外の国の人権問題を軽視する風潮にもつながり、結果的に人権の理念を貶めるものといえる

 それは中国の人権問題には熱心でも、友好国であるという理由でサウジアラビアのジャーナリスト殺害事件やインドのムスリム迫害などには口をつぐむアメリカ政府に関しても同じだ。言い換えると、都合のいい時だけ人権を持ち出す立場は、人権を基本的に尊重していないという意味で、中国政府の立場と大きく変わらないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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