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世界最大のマイナンバー制度から読み解く、インドのデジタルエコシステム

土橋克寿クロフィー代表取締役、テックジャーナリスト
行政サービスのデジタル化を推進するモディ政権(写真:ロイター/アフロ)

2009年、インド政府は固有番号12桁を全国民に発行するマイナンバー制度「アドハー(Aadhaar)」プロジェクトを発足させた。アドハーは、生体情報(指紋や虹彩など)を有効活用した世界最大の生体認証プログラムである。

例えば、アメリカには社会保障番号があるが、これらはただの番号であり、本人確認や生体認証を行うことはできない。対して、アドハーでは様々なSDKやAPIが公開されており、簡単に既存サービスへ組み込めるようになっている。本人確認に始まり、決済や医療など全てのサービス領域において活用が進む。

これに加え、その規模も桁違いだ。アドハーは任意登録であるものの、各種補助金などの経済メリットと共に普及し、登録者数がこのほど10億人(申請開始は2010年)を突破している。まさに世界有数のビッグデータプロジェクトとも呼べるーー、アドハーがインドの“リープフロッグ”(新興国が一足飛びで最新技術を導入する現象)をさらに加速させている。

アドハー運営組織の公開情報をもとに筆者作成
アドハー運営組織の公開情報をもとに筆者作成

一足飛びで最新技術が浸透

「インドで起業できたら、世界のどこでも起業できる」

インド人起業家が自らそう揶揄するほど、10年前のインドのビジネス環境は難しいものだったが、今や様変わりしている。このインド発展の秘訣を一言でまとめると、“リープフロッグ”に尽きる。

ネット通信においては、3Gを飛び越えて2Gから4Gへと一足飛びで進化した。デバイスは固定電話からスマートフォンへ切り替わり、決済はクレジットカード普及を経ずにモバイルペイメントを用いるようになった。つまり、インド国内のネット環境は、どの国のそれとも異なる進化を辿っている。

インドでスマートフォン人気に火がついたのは2~3年前と遅く、電話機全体の売上に占めるスマートフォンの割合は今でも40%程度に留まる。世界トップレベルの研究水準・理工系人材と評されるインド工科大学を卒業し、現在はアプリ事業を手掛ける若手起業家も「最初にスマートフォンを購入したのは2012年でした。それでも、仲間内では私が一番最初でした」と話したほどだ。

ただ、それ以降の普及速度は目覚ましかったという。ある者は音楽配信サービスに惹かれ、ある者はメッセージアプリの必要性に駆られて手にした。インドでは、2015年に1億600万台のスマートフォンが売れ、その後の2年間でさらに3億台の販売されるという見立てもある。

世界最大のデジタルエコシステム

2014年5月に発足したナレンドラ・モディ政権は、スタートアップやデジタル化を推進するためのプログラムを次々と打ち出した。モディ首相のデジタル・ソーシャルメディア選挙キャンペーンを率いて歴史的勝利につなげた、インド人民党ナショナル・テクノロジー・ヘッド兼デジタル・インディア・ファンデーション創設者のアルヴィンド・グプタは「新経済サミット2016」で次のように話した。

「我々は全てのインド人に銀行口座を持たせるための計画をスタートさせ、僅か1年弱で2億1000万人の利用者を獲得しました」

オンラインバンキング口座が開設されると、貯蓄、ローン、決済システムの利用が進む。インド政府はこういったデジタルエコシステムを公共財として開放し、起業家はオープンデータプラットフォームとして活用できる。一方、このデジタル革命の中で規制を避けてきた。規制しないことで、シリコンバレー発のサービスをそのままインドへ持ち込めるようにしたのである。

「政府のデジタルDNAが、規制すべきではないと理解しています。基本的に、政策は技術に追いつくことができません。技術の進歩の方が遥かに早いからです。付加価値が生まれるのであれば、98%は規制しないというカルチャーです」(グプタ)

その姿勢はデータサイエンスを台頭させるだけでなく、他にも大きな果実を生んでいる。例えば、配車アプリ・ウーバーなどのシェアリングサービスによる雇用創出は、既に25万人以上に達する。モディ首相が議長を務めるシンクタンク・NITIアアヨグCEOのアミタブ・カントは、スタートアップによる膨大な雇用創出に大きな期待を寄せる一人だ。

「世界で最も若者の多いインドにとって、雇用の確保は差し迫った問題です。その受け皿として、スタートアップの成長に期待がかかっています」

その代表格の1つーー、Delhivery CEOのサヒル・バルアはまだ31歳でありながら、従業員1万5000人を率いている。事業展開は450都市以上に広がりを見せており、企業価値は6億ドルを超えた。

全土が一気にモバイルファーストへ

インドのネット人口は4億人まで拡大している。既に米国を超え、中国に継ぐ世界2番手だ。ただ、ネット普及率はまだ30%程におさまっており、これは中国50%、米国87%と比べても低い水準である。各国のネット普及率が20%を超えたのは、中国では2008年頃、米国では1997年頃の話だが、前者ではアリババやテンセント、後者ではアマゾンやイーベイが存在感を強めてきた時期と重なる。

インドのネット利用で特徴的なのが、モバイル経由が65%を占めている点だ。国内eコマース市場においても、現時点でモバイル経由が41%を占める。インドソフトウェア・サービス協会(NASSCOM)会長のRチャンドラシェーカーはこう話す。

「インド人の生活はテクノロジーによって劇的に変化しており、eコマースは既に田舎にまで浸透し始めています」 

インドでシード・アーリーステージ向けVCの設立準備を進めるプラベガ・ベンチャーズ共同創業者兼パートナーのムクル・シンガルは、インド市場が多国籍IT企業から強い関心を集めていると語った。

「グーグル、フェイスブック、ユーチューブ、リンクドイン、アマゾンなどの主要サービスにおいて、インドユーザーが平均8〜10%を占めています。彼らにとって、インドは米国に継ぐ第2のインターネット市場となっているのです」

膨大な中間層の増加を背景に、遅れた“弱み”をそのまま“強み”に変えるーー。この“リープフロッグ”に立脚した前向きな姿勢、世界最大のマイナンバー制度、そして開かれたデジタルエコシステムが、成長著しいインドを益々熱くしている。

クロフィー代表取締役、テックジャーナリスト

1986年東京都生まれ。大手証券会社、ビジネス誌副編集長を経て、2013年に独立。欧米中印のスタートアップを中心に取材し、各国の政府首脳、巨大テック企業、ユニコーン創業者、世界的な投資家らへのインタビューを経験。2015年、エストニア政府による20代向けジャーナリストプログラム(25カ国25名で構成)に日本人枠から選出。その後、フィンランド政府やフランス政府による国際プレスツアーへ参加、インドで開催された地球環境問題を議題に掲げたサミットで登壇。Forbes JAPAN、HuffPost Japan、海外の英字新聞でも執筆中。現在、株式会社クロフィー代表取締役。

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