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適中(的中)せねば「ざんげ録」と批判された天気予報の「採点」 今は客観的評価で精度向上に寄与

饒村曜気象予報士
手書き100点サインのイラスト 学校の先生風(提供:Kinusara/イメージマート)

天気予報は開始時から評価

 日本の天気予報の評価は、明治17年(1884年)6月1日に天気予報の開始とともに始まっています。

 当時の天気予報は、天気状態により全国を北部・南部、東海岸・南海岸・西海岸・北海岸などに分けて行っていましたので、評価は、この大きな予報区に対して、「正中」「偏中」「不中」の3つに分けて評価していました(表1)。

表1 天気予報開始当時の予報精度
表1 天気予報開始当時の予報精度

 明治22年(1889年)1月に制定された「地方天気予報適否調査法」などで、天気予報評価の方法を決めていましたが、次のように主観的で、評価者によって分類が多少異なり、しかも継続して行われていたわけではありません。

地方天気予報適否調査法(一部)

・風向は左右40度以内を正中とし、90度までを偏中とし其余を不中とす。ただし静穏は偏中とす。

・予報晴れにして曇なれば偏中、雨又は雪なれば不中とす。

・雨又は雪と予報して雨なるも、或いは雪のみなるも正中とす。

採点表の採用

 戦後すぐの昭和21年(1946年)に中央気象台(現在の気象庁)は、表2のような採点表を作って評価を始めました。

表2 昭和21年(1946年)の採点基準表
表2 昭和21年(1946年)の採点基準表

 しかし、昭和23年(1948年)6月頃に天気予報の精度が話題となり、採点の基準が一般の人の感覚と違うのではないかと疑問が出されました。

 このため、中央気象台では、管区気象台にも調査を依頼し、詳細な採点表を作っています(表3)。

表3 天気予報採点基準表の一部
表3 天気予報採点基準表の一部

 アンケート調査で決めたとはいえ、一般の人にはわかりにくいものでした。

 例えば、「晴れと予報・実況で雨」なら0点、「晴れと予報・実況で雪」なら0点というのは分かり易いのですが、受け取り方に個人差がある点数もあります。

 「晴れと予報・実況で晴れ一時曇り」なら92点、「晴れと予報・実況で晴れ時々曇り」なら84点、「晴れと予報・実況で曇り」なら60点、「晴れ時々曇りと予報・実況で雨」なら18点などと、784通りの予報と実況の組み合わせに点数がついていました。

 昭和24年(1949年)から東京地方の天気予報の評価に採用された採点表ですが、昭和37年(1962年)9月に評価は中止になっています。

 「曇りと予報していると悪い点数をとることがなく、比較的良い平均点が得られる」ことなどから、採点を意識した予報が行われる弊害が出てきたからです。

 しかし、天気予報の精度が問題になってきた昭和46年(1971年)10月から、問題点を残したまま再開となっています(図1)。

図1 東京地方「あす予報」の採点年変化(昭和21年(1946年)から59年(1984年)、9年間の中断を含む)
図1 東京地方「あす予報」の採点年変化(昭和21年(1946年)から59年(1984年)、9年間の中断を含む)

 昭和21年(1946年)から59年(1984年)までの東京地方「あす予報」の採点では、最低点が昭和21年(1946年)の74.5点、最高点が58年(1983年)の82.2点で、年により高低がありますが、次第に予報精度が向上しています。

気象庁行政監察

 行政管理庁(当時)は、昭和54年(1979年)10月から12月にかけて、気象庁の業務の事態を調査しています。

 測候所の再編整理を含む業務運営の効率化や予報精度の向上等を図る観点からのもので、翌55年(1980年)10月に気象行政監察結果報告書が出されました。

 この中には、予報精度の一層の向上に資するため、「地方予報担当官署に対し、予報成績の評価を定常的に実施するよう指導すること」「予報成績の評価要領を作成し、予報成績の評価の客観性、妥当性を確保すること」が盛り込まれていました。

 気象庁では、この勧告を受け、昭和56年(1981年)1月に予報部内に「天気予報及び週間天気予報成績評価要領作成委員会」を作って検討をし、予算(予報課に2名増員)が認められた昭和59年(1984年)5月に予報部内に「予警報総合評価業務準備委員会」が設置されています。

 そして、準備が整った同年10月から、アメダスの観測値を使い、関東甲信地方、東海地方、北陸地方の予報や警報の総合評価が行われ、その結果は常に公表されることになりました(図2)。

図2 最初に公表された予警報の総合評価(昭和59年(1984年)10月)の一部
図2 最初に公表された予警報の総合評価(昭和59年(1984年)10月)の一部

 予警報の総合評価では、一般的に使われている「的中率」ではなく、「適中率」という言葉を使っています。

 「的に当たるという意味」を持つ「的中」ではなく、「正しく当たるという意味」を持つ「適中」をあえて使ったのです。

 予警報の総合評価は客観的な方法で、誰が行っても同じ点数になり、予報精度の向上のための問題点が抽出でき、予報の改善に役立つ方法でしたが、当初は全国の予報官らに不評でした。

的中せねば「ざんげ録」

予報官が反発したのは、「この評価が昇進などに影響する勤務評価につながる」とか、「ミスを恐れ、自分で判断しない予報官が増える」などの理由からでした。

天気予報「採点」に予報官は低気圧

的中せねば「ざんげ録」

「気温」「雨」で判定

「気になって思い通りの判断できない」

 東京地方の今夜の天気予報は「北東の風、ときどき晴れ」さて当たりますか。

 気象庁は予報の的中率を上げようと、今年1月「予報と実際の天気の「誤差」を厳しくチェックする「予警報総合評価判断」を作った。誤差が大きかったときは、理由を説明した報告書を出すきまりだ。ところが、その報告書が、一線の予報官から「ざんげ録」と呼ばれ不評を買っている。

気象庁は2年前から「予警報総合評価体制」の整備に着手。ベテラン予報官2人を評価専門の調査官に任命し、「従来方式」に加えて、今年1月から、まず東京管区気象台管内の16地方気象台(関東・甲信、東海、北陸地方)を対象に、評価を始めた。札幌、仙台両管区でも実施するための人員増を組織要求しており、将来は全国に広げる方針だ。

引用:朝日新聞(昭和61年(1986年)9月25日朝刊)

 報告書は無記名で、目的は「誤差の原因がどこにあったかを調べ、今後の予報の改善に役立てる」ことでしたので、勤務評定に利用できない方式でした。

 第一、任命された評価専門の調査官2人うち、一人は経験を積んだベテラン予報官でしたが、もう一人は、予報官クラスの調査官になったばかりの筆者でした。

 上司に相当する予報官の勤務評定をする立場ではありません。

 その後、予警報の総合評価は、全国で行われるようになり、気象庁ホームページ等で公開されています(図3)。

図3 東京地方の令和2年(2020年)までの予報精度(夕方発表の明日予報)
図3 東京地方の令和2年(2020年)までの予報精度(夕方発表の明日予報)

 そして、日常生活と密接にかかわっている天気予報や注警報をより正確に発表するため、気象庁全体で取り組んでいます。

図1の出典:「気象庁予報部予報課(昭和60年(1985年))、予警報総合評価業務について(報告その1)、測候時報、気象庁」をもとに筆者作成。

図2の出典:気象庁予報部(昭和61年(1986年))、東京管区気象台管内における予警報総合評価に関する資料(第1号)。

図3の出典:気象庁ホームページ。

表1、表2、表3の出典:気象庁予報部予報課(昭和60年(1985年))、予警報総合評価業務について(報告その1)、測候時報、気象庁。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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