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「築地銀だこ」が行った「どんなことが起きても大丈夫」なグループ再編とは

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
群馬県太田市の国道50号線沿いにオープンした「野郎めし」(筆者撮影)

「築地銀だこ」はたこ焼を“和のファストフード”として定着させた。同店は1997年群馬県笠懸町(現・みどり市)で誕生し、今や全国に約500店舗のチェーンとなっている。同チェーンを展開する株式会社ホットランド(本社/東京都中央区、代表/佐瀬守男)はこの分野において独占的な地位にある。

同社が大きく成長したきっかけは“人が集まる場所”での出店を継続したこと。商業施設やイベント会場ができると「築地銀だこ」が存在した。その後“酒場”の業態開発を行った。「築地銀だこ」は過去都心部での展開にチャレンジしたが、たこ焼だけでは客単価が上がらず利益が少ないことから撤退を余儀なくされてきた。しかしながら“ハイボール”を取り入れ、たこ焼をフードメニューに位置付けることで「銀だこ酒場」をつくり上げた。これが都心部の商店街で繁盛するようになった。

さて、このホットランドの成長を押し上げた“人が集まる場所”と“酒場”は、言うまでもなくこの度のコロナ禍で売上を大きく減じた。ではこの間、同社はどのようなことに取り組んだのか。それをたどっていくと周到な戦略が存在した。

東京・築地の交差点に本店を構える「築地銀だこ」(筆者撮影)
東京・築地の交差点に本店を構える「築地銀だこ」(筆者撮影)

冷凍たこ焼・新立地・主食業態

ホットランドがコロナ禍で行った取り組みとは、まず「冷凍たこ焼の製造・販売」である。

そもそもホットランドでは冷凍たこ焼の製造・販売を行っていたが、コロナ禍でこの需要が拡大することを予測し、休業した実店舗の従業員を群馬県桐生市の自社工場に集結させ、冷凍たこ焼の製造を集中して行った。市内のホテルを貸し切り、工場はフル稼働で70~80人の体制でこの作業を行った。

冷凍たこ焼の販売は、大手コンビニチェーンに直談判したことによって叶えられた。これによって製造数増、売上増となった。同コンビニにはPBの冷凍たこ焼が存在しているが、「築地銀だこ」の冷凍たこ焼の価格はその倍の540円(税込)。二つ並んで陳列されているが「築地銀だこ」のブランドが目立つ。この製造が桐生の工場だけでは間に合わなくなり、ベトナムに工場をつくり、冷凍たこ焼は日本のみならず海外への輸出も手掛けるようになった。

冷凍たこ焼はコンビニチェーンのPB商品の倍以上の価格で販売された(筆者撮影)
冷凍たこ焼はコンビニチェーンのPB商品の倍以上の価格で販売された(筆者撮影)

次に「新立地の開拓」を行った。

“人が集まる場所”のショッピングモールやイベント会場では「築地銀だこ」店舗が休業を強いられたことから、2020年の5月ごろからロードサイド型店舗を郊外で展開しようと動き出した。そして10月、東京・立川の五日市街道沿いにこのタイプの1号店を出店した。

同社では、東日本大震災の後に石巻でトレーラーハウスを使用してたこ焼の提供を行った。当時はトレーラーハウスを20台近く桐生にある工場で保有していたことから、出店までの時間を短縮させるという趣旨で、それを活用して店をオープンした。するとテイクアウト需要があることが分かり、たこ焼以外の商品開発を行った。たこめし、焼そば、たい焼を販売したところ好調となり、月商1000万円を超える月もあった。

そこで出店はロードサイドにシフトして、コロナ禍の2年間でこのタイプの店を10店舗出店した。

そして「主食業態」を開発した。

「築地銀だこ」のたこ焼は、客層が幅広く、さまざまな時間帯で需要がある“和のファストフード”である。同社ではかねてこの他に主食業態をつくる構想を温めていた。そこでこの間「野郎めし」という主食業態を開発した。コンセプトは、豪快で、ボリュームがたくさんあり、手軽な価格帯で、おなか一杯食べてもらうというもの。

昨年11月、群馬県太田市の国道50号線沿いにその1号店をオープンした。敷地はコンビニ跡地で1300坪と広大であることから、大型トラックやトレーラーも駐車することが可能。ここで「しょうが焼」をアピールしたことによって、ドライバーだけではなく地元の人々も連日訪れるようになり、稀に見る成功店となった。ちなみに「しょうが焼定食」の並盛は748円(税込)である。これらの定食には「大盛」「野郎盛」もあり、“ガッツリ系”の要望に応えている。これから街中の路面や商業施設内でも人気を博すことであろう。

「野郎めし」のメニューはボリューム感と値ごろ感が大きな特徴(ホットランド提供)
「野郎めし」のメニューはボリューム感と値ごろ感が大きな特徴(ホットランド提供)

伝説の居酒屋を事業承継する

さらに「酒場事業」をテコ入れした。

ホットランドではこれまでギンダコスピリッツというグループ企業が酒場事業を展開、「銀だこ酒場」「おでん屋たけし」「ごっつい」といったブランドで約70店舗ほど展開していた。そこに昨年12月、い志井グループを事業承継してこの事業に組み入れた。

新宿三丁目、末広通りは現在飲食店が立ち並ぶにぎやな一帯となっているが、その祖となったのは、い志井グループの「日本再生酒場」である。牛や豚の新鮮なホルモン焼と元気のよい従業員が醸し出すいなせな雰囲気が売り物で、ホットランド代表の佐瀬氏は酒場事業を推進する上で「日本再生酒場」から多くのことを学んだという。

佐瀬氏は、い志井グループ創業者で代表の石井宏治氏と交流するようになり、コロナ禍で厳しい経営を強いられるようになった石井氏から事業承継についての相談を受けるようになった。そして、同グループを引き継ぐことを決断した。

これによって、同社の酒場事業はい志井グループが培ってきた仕入れやノウハウを使うことができるようになり、酒場事業全体のクオリティがアップしてきている。

今年に入り、ホットランドではグループ会社を再編。「築地銀だこ」の同社が中心となり、主食事業のホットランドネクステージ、酒場事業のオールウェイズをつくった。さらに、ファインインターナショナルという店舗設計や内装を事業とする会社をグループ化し、ここではこれからECサイトの運営をしていく計画だ。ここからは「日本再生酒場」のもつ煮込み、牛すじ煮込みや、この間育ったたこめしといった商品を販売していくという。

ホットランドグループの酒場事業に加わった、い志井グループは街を変貌させるほどの繁盛店をつくってきた(筆者撮影)
ホットランドグループの酒場事業に加わった、い志井グループは街を変貌させるほどの繁盛店をつくってきた(筆者撮影)

「どんなことが起きても大丈夫」

さて、このオールウェイズでは早速斬新な動きを見せている。群馬県桐生市に「日本再生酒場」の地方版を初めてつくり、3月1日にソフトオープンした。場所はJR桐生駅から徒歩10分、かつての繁華街で今日ではシャッター通りとなっている路面。地元の酒・食材など、地元にこだわった独自のメニューを提供していくという。

同店の家賃は数万円で、都心の飲食店街に比べると著しく低く損益分岐点が抑えられる(ざっくりと家賃は東京・渋谷の約50分の1に相当する)。このようなことから、オールウェイズでは人口10万人の桐生市と匹敵するような地方都市で「日本再生酒場」を展開していくことを想定している。

この桐生の店のもう一つの目的は「教育の場」。そこで以下のような構想を描いている。

ホットランドグループでは将来独立を目指して入社してくる人がいることから、前オーナーの石井氏に店に入ってもらい「石井学校」とする。石井氏の元で約1カ月間「商売」についてみっちり勉強する。そこで鍛えられた人物が同社グループの店長になる。また独立のための登竜門とする。

この石井氏が執筆した『新宿三丁目 日本再生酒場物語~昭和の心がしみている~』という書籍が2010年6月に発行されている。ここで論述されているテーマは「商売の心」。石井氏は「ビッグな会社より、ナイスな会社に」ということを信条にしていて、ここで働く人々、取引先の業者、来店するお客との関係性を大切にすることが最も重要なことだと説く。このようなマインドが酒場事業では後発のホットランドに受け継がれて、相乗効果によって同社の酒場事業が類を見ない事業体となることが期待される。

3月1日「日本再生酒場 桐生編」のオープン初日には創業者の石井宏治氏が焼き台に立ち、い志井グループ本来のいなせな雰囲気を醸し出していた(筆者撮影)
3月1日「日本再生酒場 桐生編」のオープン初日には創業者の石井宏治氏が焼き台に立ち、い志井グループ本来のいなせな雰囲気を醸し出していた(筆者撮影)

ホットランドグループは「築地銀だこ」で成長し主力業態となった。このターゲットはファミリーで、テイクアウトが主軸となる業態である。これがコロナ禍によって冷凍たこ焼の販路をつくり、郊外ロードサイド立地での可能性を引き出した。そして「野郎めし」によって主食事業の活路を見出した。酒場事業では「日本再生酒場」が加わることで事業内容を深化させるようになった。

佐瀬氏はこの間取り組んだことをこのように語った。「どんなことが起きても大丈夫な企業グループをつくった」と。ホットランドはコロナ禍をバネとして持続可能な企業グループをつくり上げたと言えるだろう。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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