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セーヌを泳ぐ。パリ市長の息子が源流から河口まで全長780キロ達成

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
パリのセーヌを泳ぐアルチュール・ジェルマンさん。写真/Denise Daries

セーヌの全長を泳ぐという挑戦

いきなりですが、セーヌ河はどこからどこまで流れているかご存知ですか? 

この質問、じつはフランス人でも正解率が低いので、外国人ならまったく想像がつかなくても当然です。

セーヌ河の源流はブルゴーニュ地方。中心都市ディジョンの北西およそ50キロメートルに位置するSource Seine(ソース・セーヌ)という小さな村の森の中にあります。そこからトロワ、パリ、ルーアンなどの町を潤したあと、大西洋岸のふたつの町、ル・アーブルとオンフルールの間で英仏海峡に注ぎます。河の全長はおよそ780キロメートル。パリは流域の中ほどにあります。

2021年夏、セーヌ全長を単独で泳ぎ切るという挑戦をひとりの青年が成功させました。彼の名前はArthur Germain(アルチュール・ジェルマン)。2001年生まれ、今年で20歳という若さですが、2018年には英仏海峡横断泳を最年少で達成した人。母親は、パリ市長のアンヌ・イダルゴさんです。

2021年7月4日、パリのセーヌを泳ぐアルチュール・ジェルマンさん。写真/Denise Daries
2021年7月4日、パリのセーヌを泳ぐアルチュール・ジェルマンさん。写真/Denise Daries

そもそもセーヌって泳げるの?

みなさんきっとこの疑問を抱かれると思います。人が泳げるほどにきれいなのだろうか? と。セーヌ河、とくにパリのような都会では基本的に遊泳禁止です。衛生面の心配はもちろんありますが、安全上のためでもあります。

パリの橋から見下ろすセーヌは一見するとゆったりと流れているようですが、プールとは違いますから、水流の予測が難しく、実際、誤って河に転落して溺死するケースもなくはないのです。

また、セーヌは観光船はもちろん、貨物船が行きかう河川交通の大動脈でもあるので、それらの航行を妨げない意味でも遊泳が制限されています。

例外は消防士。全身ドライスーツに身を包んだ消防署員が、訓練のため、あるいは何かしらのミッションのためにパリのセーヌを泳いでいる姿を時々見かけます。

ブルゴーニュの源流からスタート

2020年から計画されたアルチュールさんのプロジェクトは、セーヌの全長およそ780キロメートルを52日間で泳ぐというものです。決行は2021年6月6日から。出発の基地となったセーヌ源流の家には、母親アンヌ・イダルゴさんも駆けつけました。

セーヌの源流域にあるモニュメントの前に立つアルチュールさん。横にあるカヤックに荷物を積んで牽引しながら泳いでゆく。写真/Denise Daries
セーヌの源流域にあるモニュメントの前に立つアルチュールさん。横にあるカヤックに荷物を積んで牽引しながら泳いでゆく。写真/Denise Daries

源流域はうっそうとした森の谷間の人里離れた場所ですが、源流のモニュメントからすぐ近くのところに1軒だけ家が建っています。わたしはこの家の家族と20年ほど親交がありますが、かつて「セーヌの番人」として源流を見守ってきたポール・ラマルシュ夫妻が暮らしていました。

夫妻ともが他界した現在、家は一人娘のマリー=ジャンヌ・フーニエさんに引き継がれ、夫のジャックさんとともに大改装。かつて納屋、家畜舎として使われていた部分がいまはハイカーのための簡易宿泊所として開放されていて、アルチュールさんも出発前夜、この家に泊まりました。

セーヌ源流の家。写真の手前、草むらになっているところに川が流れている。写真/筆者撮影
セーヌ源流の家。写真の手前、草むらになっているところに川が流れている。写真/筆者撮影

100キロのカヤックを引いて泳ぐ

アルチュールさんは6月6日に源流をスタート。

ですが、セーヌの始まりのあたりは泳げるほどの水量がありませんので、最初は徒歩。そのあとは、総重量100キロほどの荷物を積んだカヤックを牽引しながら泳ぎます。荷物の中身は野宿のための道具、食料、コンロ、コンピュータなどの通信機器、加えて頻繁に水質を測るという目的もあるので、その機材も積んでいます。

パリを通過したのは7月4日。そして最終目的地、ル・アーブルで支援者の歓声に迎えられたのは7月28日。予定よりも早い48日目で挑戦に成功しています。

彼のウエブサイトには、プロジェクトの内容が地図と写真付きで紹介されていますが、暮らしのそばを流れる河ですから、ゴミが溜まっていたり多少汚染されているのは想像に難くありません。流域にはパリのような大都市、工業地帯、そして原子力発電所もあるのです。

水温の低い河を毎日15キロ〜20キロ泳ぐというのはスポーツとしてもなかなか厳しい挑戦ですが、加えて役所との交渉というハードルもあります。都市部ではとくに遊泳が禁止されている河。14の県にわたって流れているので、それぞれの県からの許可を取る必要がありましたが、ぎりぎりまで回答を待たされたり、傍目にはわからない苦労もあったようです。

源流からおよそ10キロメートル、セーヌが溜池のようになった地点。このあたりからようやく泳げるくらいの水位になってくる。写真/Denise Daries
源流からおよそ10キロメートル、セーヌが溜池のようになった地点。このあたりからようやく泳げるくらいの水位になってくる。写真/Denise Daries

18日目。Nogent-sur-Seine(ノジョン・シュール・セーヌ)の原子力発電所前を通過。写真/Denise Daries
18日目。Nogent-sur-Seine(ノジョン・シュール・セーヌ)の原子力発電所前を通過。写真/Denise Daries

パリ、オルセー美術館前を通過。写真/Denise Daries
パリ、オルセー美術館前を通過。写真/Denise Daries

泳げる河、セーヌ

この挑戦を通して、アルチュールさんが伝えたかったメッセージのひとつがセーヌの多様性。より多くの人々が河にもっと注目し、守ってゆこうという気運を高めるきっかけになれば、と考えていました。産業汚染を一概に批判するのが目的ではなく、農業、工業、暮らしなど様々な人間の営みが河と密接に関わっていることを、生物多様性ともども伝えようとしていたのです。

ところで、アルチュールさんはパリ市長の息子ということで、どうしてもそのことが大きく取り上げられてしまいますが、母親アンヌ・イダルゴさんは私人として、スタート前夜の源流に入ったようです。「護衛などもついていない様子で、とても気さくな女性だった」と、源流の家のマリー=ジャンヌさんは語ります。

東京オリンピックの閉会式はそれから2ヶ月後のこと。小池都知事から旗を引き継いだイダルゴ市長の姿が印象的でしたが、環境への配慮をスローガンに掲げた2024年のパリ五輪では、かなりの確率でエッフェル塔を背景にセーヌを泳ぐ選手たちの姿が見られるのではないかと思います。

※アルチュールさんの挑戦の出発点となったセーヌ源流の様子は、こちらの動画でご覧いただけます。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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