今年もバース氏ら「助っ人」の殿堂入りなしに落胆の声 球界に抜け落ちた視点は
先週1月14日、毎年恒例の野球殿堂入り表彰の発表があった。日米通算313セーブ(韓国・台湾も入れると347セーブ)の高津臣吾現ヤクルト監督、50代までマウンドに立った元中日の山本昌氏らの殿堂入りへの期待が高かったが、今年は23年ぶりにプレーヤー、エキスパート表彰ともになし。作家の佐山和夫氏とアマチュア野球指導者の川島勝司氏の2名が特別表彰されるにとどまった。
この結果を前に、三冠王2度、NPBシーズン最高打率の.389の記録を残し、一大ブームを巻き起こした1985年の阪神タイガース優勝の立役者となったランディ・バース氏がエキスパート表彰の対象となった昨年から2年連続で殿堂入りがならなかったことに多くのファンから落胆と批判の声が上がった。
これまで日本にルーツをもつ野球人以外で「殿堂入り」を果たしたのは、競技者・プレーヤー表彰された白系ロシア人のヴィクトル・スタルヒン、ハワイ生まれの日系2世の若林忠志(日本国籍)、与那嶺要(米国籍)、それに2002、03年の新世紀特別表彰で表彰されたフランク・オドール、ホーレス・ウィルソンのみで、一般に「助っ人」と呼ばれる外国人選手の表彰はない。
バース氏については、票を投じる記者(殿堂入り表彰は野球報道に関して15年以上の経験を持つ委員の投票によって決まる)の中には、日本のプロ野球(NPB)在籍期間が6年と長くないことを理由にする者も少なくないが、NPB在籍11年で通算1579安打、通算打率は、昨年ヤクルトの青木宣親が基準となる4000打数に達し抜かれるまで1位だったレロン・リー氏、同じく在籍10年で1413安打、MVP1回、本塁打王1回、首位打者2回、打点王4回の「外国人」選手初の三冠王、ブーマー・ウェルズ氏、在籍13年でNPB歴代13位の通算464本塁打、現ソフトバンクホークス会長である王貞治氏に並ぶシーズン55本塁打を記録したタフィ・ローズ氏、それに「外国人」初のNPB通算2000安打を達成し名球会入りを果たした前DeNA監督のアレックス・ラミレス氏など殿堂入りが当然とも考えられる面々がいまだ表彰されていない。
さすがに本場アメリカの野球殿堂は、競技者としての表彰には、メジャーリーグでの通算3000安打もしくは300勝が目安とされ、そのハードルは高い。しかし、殿堂は野球が盛んな各国にもあり、それらの国では、たとえ当該国のプロリーグでの活躍度がない、もしくは低くても、「その国の野球に貢献した」という視点から「殿堂入り」の表彰を受けることは珍しくない。例えば、2014年から表彰を開始している台湾の野球殿堂、「棒球名人堂」では、台湾でのプロキャリアがない、先述の王氏や戦前戦後の日本のプロ野球で活躍し「人間機関車」と呼ばれた故・呉昌征氏、それに台湾プロ野球でプレーしたのはキャリアの最晩年だけという元中日の郭源治氏らが「殿堂入り」を果たしている。
日系人セミプロチーム「バンクーバー朝日」も殿堂入りしているカナダ
WBCやオリンピックなどの国際大会の常連ながら、野球はアイスホッケーやフットボールに次ぐ2、3番手のスポーツとされているカナダにも野球殿堂はある。自国の「ナショナルリーグ」がなく、北米のトッププロリーグであるMLB球団はトロント・ブルージェイズ1球団しかないこの国では、1983年以降カナダ野球の発展に寄与したものに対し、個人だけでなく、団体やさらには事象も殿堂入りの対象とし、国籍や出身国にこだわることなく、幅広く表彰を行っている。
カナダ殿堂のメンバーには、メジャーリーグでは1366安打に終わったが、メジャーデビューをかつてモントリオールにあったMLB球団、エクスポズ(現・ワシントン・ナショナルズ)で飾り、メジャー19シーズンで実に12球団でプレー、日本の中日でも1シーズンプレーしたマット・ステアーズ氏や、同じくエクスポズでデビューしたラリー・ウォーカー氏(元ロッキーズ)、プロとしては母国でプレーしたことのないメジャーリーグ首位打者1回のジャスティン・モーノー氏(元ツインズなど)らのカナダ人はもちろん、MLB初のドミニカ人監督としてエクスポズを指揮したフェリペ・アルー氏も名を連ねている。
また、トロント・ブルージェイズがワールドシリーズ連覇を果たした1992、93年はカナダ野球の黄金時代とされているが、このチームでプレーした選手も、やはり国籍にこだわらず表彰されている。メジャー生活16シーズン中7シーズンをブルージェイズで送り、この連覇に貢献したアメリカ人のジョー・カーター氏やこの時代の名セカンドのプエルトリカン、ロベルト・アロマー氏、また連覇時にはすでにチームを去っていたが、メジャー生活の大半をブルージェイズで過ごした元西武のドミニカ人、トニー・フェルナンデス氏らがそうだ。
ジャッキー・ロビンソン氏の名を知らない野球ファンはいないだろう。いわゆる「カラーバリア」を破ったアメリカ殿堂入りを果たしている英雄だが、彼もまた、メジャー昇格前の1946年シーズンを当時ドジャースの3A球団だったモントリオール・ロイヤルズでプレーしたゆえをもってカナダでも殿堂入りを果たしている。
さらには、MLBでは未勝利に終わったトミー・ラソーダ氏も現役時代の大半をモントリオール・ロイヤルズで送ったこともあり、その指導者としての功績ゆえに表彰され、米加両国で殿堂入りを果たしている。
「バンクーバー朝日」と言えば、7年前、妻夫木聡、亀梨和也らの出演で映画化されたことで日本の野球ファンにその名を知らしめているカナダのセミプロ野球チームである。19世紀末から20世紀初めに多くの日本人が貧困から抜け出すため太平洋を渡ったが、彼らは母国・日本で人気スポーツとなっていた野球を出稼ぎ先でもプレーし、やがて定住することになったその地でチームを結成するようになった。「朝日」もそのようなチームのひとつだったが、いまだ民族差別の残る中、現在の日本野球に通じるスピードと小技を生かしたいわゆる「スモールボール」で現地の強豪とわたりあい、人気を博し、日系人のアイデンティティを支える存在となった。そして、日本のプロ野球黎明期には、最初のプロ球団、日本運動協会との対戦のため来日(1921年)、のちに巨人軍となる大日本東京野球倶楽部の北米遠征(1935年)の際にも対戦している。
太平洋戦争勃発後、カナダの日系人は強制収容されるなど苦難の道を歩むことになった。「朝日」のメンバーもその例にもれることなく、メンバーの多くが収容所に入れられることになるが、それぞれの行く先でも彼らは野球をプレーしたという。その苦難の歴史に敬意を表して、カナダ野球殿堂はこのチームを2003年に表彰している。
さらには、野球の母国アメリカではじめてこの競技が行われたより1年早い1838年にオンタリオ州で行われた「ベースボール」という競技も「殿堂入り」を果たしている。
自国リーグでの活躍度や国籍にこだわることなく、「ラテンアメリカ野球の発展」という視点から表彰するメキシコ
近年、代表チームが来日し、侍ジャパンとテストマッチを行い、一昨年のプレミア12ではアメリカを破り五輪切符を手にするなど、日本の野球ファンにもその存在を知られるようになったメキシコにも野球殿堂がある。この国でも、表彰対象は幅広い。自国リーグのメキシカンリーグやウィンターリーグのメキシカンパシフィックリーグの名選手、名監督だけでなく、キャリアの早期にアメリカに渡りメジャーリーグに足跡を残したフェルナンド・バレンズエラ氏(元ドジャースなど)、テディ・ヒゲラ氏(元ブリュワーズなど)らも母国でのプレー年数の少なさにもかかわらず殿堂入りを果たしている。
さらには彼らメキシコ人だけでなく、カラーバリアがなかったためにアメリカのニグロリーグ(この度「メジャーリーグ」の認定を受けることになった)の選手が集い、高いレベルを誇った1940年代のメキシカンリーグでプレーした「黒いベーブルース」ことジョシュ・ギブソン氏や、メジャーリーグで最初にプレーしたラテン系投手で母国では首位打者にも輝いた「ザ・プライド・オブ・キューバ」ことドルフ・ルケ氏も指導者としてメキシカンリーグで3チームを率いた実績などから殿堂入りを果たしている。この両名は、それぞれ母国のアメリカ、キューバでも殿堂入り表彰を受けている。
このように、アメリカ以外の国では自国リーグでの活躍という地理的な制限や国籍、出生地にとらわれることなく、殿堂入りの表彰を行っている。グローバル化が進む現在、我が国の野球殿堂も「日本」という小さな枠組みにとらわれることなく、「野球人」としての対象者の貢献度に目を向けて殿堂入り表彰を行ってほしいものである。
(文中の写真は筆者撮影)