“令和の駄菓子屋”が名古屋で開業1周年。今どきの子どもたちにウケる理由とは?
絶滅危惧種の駄菓子屋を、廃墟をリノベして開業
昭和の時代は町のいたるところにあった駄菓子屋。カラフルなお菓子を前に10円玉をにぎりしめて何を買おうか真剣に悩んだ、そんな思い出を懐かしむ昭和世代も多いのではないでしょうか。
しかし、コンビニやスーパーに押され、さらに嗜好の多様化、子どもの減少もあって、その数は近年減少の一途。1970年代に全国に約14万軒あったとされる駄菓子屋は、今では1/10程度に激減しているといわれます(統計では「駄菓子屋」という業種区分はないため経済産業省などの各種データからの推計)。
そんな中、2021年末に名古屋市中村区で開業したのが「みんなで駄菓子屋(仮)」です。レトロなアーケード街の一角で、店舗は築およそ75年の廃墟同然だった物件を改装したもの。古くて新しいこの令和の駄菓子屋は、去る12月3日に一周年を迎えました。
なぜ“絶滅危惧業態”ともいえる駄菓子屋を令和の時代に始めたのか? 1個数十円の駄菓子を売って儲かるのか? 昭和レトロな店と菓子は今どきの子どもたちにウケるのか…? 気になることだらけで訪ねてみました。
子どもたちで大にぎわい。店舗2階では宿題も
名古屋駅から西へ約1・5km。全長50mほどの短いアーケード街、大門(おおもん)横丁の一角にその駄菓子屋はあります。大門はかつて遊郭街として栄え、現在も下町情緒が残るエリア。横丁には小さな居酒屋やスナックが、閉業した店舗も含めて10数軒、軒を連ねます。
平日の午後3時過ぎに訪ねると、店の入口から小学生の子どもたちが勢いよく飛び出してきます。しゃぼん玉を飛ばす女の子に、追っかけっこする男の子たち。横丁前の道路は車が入ってこられないため、子どもたちの格好の遊び場になっています。
店内でも何人もの小学生がたむろして、駄菓子を物色したり、腰かけて真剣な表情でくじをめくったり。その間、常に誰かしらが「あいざわさん、あいざわさん」と店主に話しかけ、わいわいがやがやにぎやかです。
「午後2時に店を開けて夕方まで営業。多い日だと30人以上の子どもたちが来てくれます」と店主のあいざわけいこさん。買い物をしてすぐに帰る子は少なく、学外の遊びの拠点として利用している子が少なくないよう。「2階も開放していて、宿題&読書&お絵描きのために使ってもらっています。店に来るなり上へ上がっていく子もいますよ」(あいざわさん)といいます。
「多い時は週5くらい来る。ここに来れば友だちに会えるし、店の前でバトミントンやったり、おしゃべりできたりして楽しい」と小学4年生のりくし君。
「週1~2回は来ています。『ヤッター!めん』(くじ付きのラーメンスナック)に夢中です。宿題もできるし、あいざわさんとおしゃべりするのが一番楽しい」とは2階で一緒に宿題をやっていた小学4年生のさくらちゃん、りなちゃん。
「店ができてからずっと通ってます。近所の公園行ってもボール使っちゃダメとか、があるし、ここに来た方が自由というか。塾へ行く前にブタめん(ミニサイズのカップ麺)食べに来ることも。店長と話すのが楽しいんです。テスト勉強のこととか、何でも話しやすいんです」とは中学1年生のてる君。
「上の子は一人でも来ていますが今日は下の子も連れて家族で。普段買うのは100円分くらいですが、今日は私が一緒なのでかごにたくさんお菓子を入れていますね(笑)」とは小学2年生のゆいとくん、年中のりょうくん兄弟のお母さん。
小学生から中学生まで、幅広い学年の子どもたちが常連になっているようです。駄菓子自体はスーパーなどにもコーナーがあり、子どもの心をつかむのは昔も今も変わらないと感じます。
「駄菓子屋って小学校のすぐ近くにあるところが多いんですが、ここは周辺の4校くらいの学区が重なっているんです。いろんな学校のいろんな学年の子がここで一緒に仲良くしているのを見るのも楽しいですね」とあいざわさん。
店で待ち合わせて、ここで一緒に遊んだり、宿題をやったり、連れ立って塾へ行く子もいるよう。駄菓子屋が子どもたちのコミュニティーに欠かせない場として機能しているのです。
駄菓子屋開業が目的ではなかった。店主の意外なホンネ
「本当は駄菓子屋をやりたいわけでも、何かお店を開きたいわけでもなかったんですよ」
開業のいきさつを尋ねると、まずこう明かすあいざわさん。自分でも思ってもみなかった“駄菓子屋さん”になったのはどうしてだったのでしょう?
「本業はグラフィックデザイナー。大門は昭和の雰囲気が残っていてもともと好きなエリアでした。2018年に地域のイベントのポスターなどのデザインを依頼されたのがきっかけで、地域の活動にもかかわるようになったんです」
大門は若い事業者らを中心に地域の活動が盛んで、もちつきや夏祭り、音楽フェスなどのイベントが年に4~5回程度開催されていました。あいざわさんもマップ制作など、本業と合わせてこれらの企画をサポートするように。ところが、そんな時にふってわいたのがコロナショックでした。
「2020年の1月にもちつきをやって、“3月にまた何かやろう”と話しているうちにコロナ禍の時代になって、そこから何もできなくなってしまいました。感染拡大が少し収まって準備に取りかかろうとすると、“まん防”などが出て中止になる、のくり返し。それでも大人はオンラインでコミュニケーションを取るようになりましたが、子どもたちは遊んでいる姿を見ることもなくなってしまった。子どもたちが自由に集まれる場所をつくりたい、だったら駄菓子屋だよね、と考えたんです」
地域の人たちに協力してもらいながら物件を探すと、戦後間もなく建てられ、およそ40年空き家のままだった元スナックが見つかりました。昭和のまま時が止まったかのような建物で、リノベーションすれば駄菓子屋にふさわしい空間になると、あいざわさんは一念発起してここを取得することを決心します。
「この時点では、自分はお膳立てだけして、意欲のある若い人に店をやってもらえれば、と考えていました。でも、助成金の申請などとにかく時間がかかる上になかなか通らないし、コロナもいつまでたっても収まらない。子どもたちのことを思うと一日でも早く形にしたかったので、だったら自分でやっちゃえ!と決断したんです」
リノベーションの工事は、地域の活動で知り合った地元の面々が中心になって行い、あいざわさん自身も作業に参加。スナック時代のネオンをディスプレイとして残すなど、もともとあった空間の趣を残しつつ、駄菓子屋として再生させました。
開業直後から子どもたちが殺到するもコロナに翻弄
こうして晴れてオープンしたのが2021年12月。コロナ禍で行動を制限されて行き場を失っていた子どもたちが、待ってました!とばかりに押し寄せました。
思い描いていた通りの、子どもたちの笑顔にあふれた場としてのスタート。ところが、ほどなくしてまたしてもコロナに翻弄されます。2022年1月21日に愛知県下に“まん防”が発令され、夜の駄菓子屋スナック営業もあったため、営業を自粛。3月半ばまでおよそ2か月間、休業を余儀なくされました。
「休んでいる間、6年生の子が『お店、開けないんですか?』『何か手伝えることありますか?』とLINEでメッセージを送ってくれたりして、みんなすごく気にかけてくれました。開業準備の時期からずっと気持ちが張り詰めていたので、このタイミングで小休止したことで、“無理して頑張りすぎない”と思うことができました」(あいざわさん)
その後、軒先だけでの限定営業や、入店時間3分以内と制限を設けるなどして、そろりそろりと営業をスタート。そして、秋からようやく通常営業を再開できるように。筆者が見た子どもたちであふれかえるにぎやかな風景は、やっと取り戻せた日常だったというわけです。
1個10円~の駄菓子屋は儲かるのか…?
さて、経営状態も気になるところ。ぶっちゃけ駄菓子屋は儲かるのでしょうか?
「う~ん、それをいうと夢のない話になっちゃうんですけど…」と苦笑いするあいざわさん。「店舗の工事に取りかかると物件が想像以上に痛んでいて、初期費用が想定よりもかなりかさんでしまいました。売上は駄菓子だけだと一日数千円程度。やってみて大変さを感じることも多いので、逆に若い子にまかせたりせずに自分でやってよかったなと思っています」
販売している駄菓子は1個10円~130円。これだけで利益を出すのはかなり難しいのが現状です。これをカバーするのが大人のお客。店ではアルコール類も取り扱い、子ども連れの母親が息抜きにビールを空けたり、駄菓子バーのように利用するなじみの客も。最近始めたたません(名古屋の駄菓子屋発祥の簡易お好み焼きのような食べ物)は1枚300円(子どもは200円)で持ち帰りもでき、売上でも利益率でも貢献度が高い一品になりそう。また、子どもたちからは消費税を取らない分、その分を補てんするための募金箱をレジ前に置いてあり、大人のお客は高確率でおつりをここに入れていくといいます。
「やるなら初期費用をできるだけ抑えて、家の軒先に商品を並べたり、移動販売で売上を確保するのもいいのでは」と自らの体験を踏まえて語るあいざわさん。駄菓子屋開業のコンサルティングをして全国に駄菓子店を広めてもらいたい‥‥! なんて調子のいいことまで、駄菓子ファンの筆者は考えてしまいました。
駄菓子の町・名古屋だからこそのメリットも
名古屋という土地柄も駄菓子屋をやるには大きな強み。名古屋駅からほど近い明道町(めいどうちょう)界わいは、全国でも有数の駄菓子問屋、メーカーの集積地なのです。
「仕入れは週に1回。遠方から仕入れに来ているお店は1カ月分くらい買い込んでいますが、うちは小さな店なので在庫をあまり抱えずに済むのはありがたい。お菓子が何か足りなくなったら、自転車で買いに走ることもできますから」(あいざわさん)
経営を軌道に乗せるまでにはまだ様々な工夫が必要なようですが、それでも「駄菓子屋を始めてよかった!」とあいざわさんは迷いなく言い切ります。
「ひとり娘はもう成人しているので小中学生と日々接するのは10数年ぶり。“子どもってこんなにかわいかったっけ?”と思っています。今の子って、敬語を使えて礼儀正しくて気づかいもできる。“最近の子どもは甘やかされている”といわれがちですが、世界がどんどん厳しくなっていて、精神的には決して甘やかされてはいないと思うんです。だから、1人くらい甘やかしてくれる大人がいてもいい。もちろんダメなことはダメといいますが、できるだけ子どもたちがやりたいということには応えてあげたいんです」
駄菓子屋は子どもたちの最初の社会勉強の場。みんなでいろんな体験を
店の名前を正式に決めていないのも、子どもたちと一緒に店をつくっていきたいという思いからだといいます。
「店の楽しみ方やあり方をみんなで考えて決めていきたい。屋根裏の使い方も中学生の子が中心になっていろいろ考えてくれています。たませんを焼いてみたい子には自分でやらせてみる。希望者には一日店長もやらせてみたい。駄菓子屋って子どもたちにとっては社会勉強の場でもあって、初めて来た時は自分でお金の計算ができなかった子が、3日目にはちゃんとできるようになっていたこともありました。今後は消費税もちゃんと取るようにして社会のことを学ぶきっかけにしてもらいたい。いろんなことをここでやってみる。そういう場にしていきたいと思っています」
子どもたちとあいざわさんの楽しそうなやりとりを見ていると、自分の家の近所にもこういう店があってほしかった…!と思いました。学校や家とは違う、自主的かつ自由に多様な関係性を体験できる。子どもたちにとって駄菓子屋はそんな場としてとても重要なのではないでしょうか。
昭和の子どもたちに欠かせない場所だった駄菓子屋。今どきの子どもたちにとっては、実はそれ以上にたくさんの役割を担う場所として求められているのかもしれません。
(写真撮影/すべて筆者)