ヘイトスピーチが響く地方都市で、人々の鬱屈が生み出す『ビジランテ』の不穏
今回は本日公開の『ビジランテ』を、同じ年のお二人、入江悠監督と主演の桐谷健太さんの対談でご紹介します。
「ビジランテ」ってどういう意味でしたっけ?怪獣みたいですね、ほら、昔ゴジラと戦った…と言ったら、「それビオランテですね」と入江監督にたしなめられましたが――さておきこの作品、架空の地方都市「渡市(わたり市)」で生まれた3兄弟を主人公に、閉鎖的な社会の狂気を浮き彫りにしてゆく……という、古典的なボケをかましてる場合じゃないほどノワールな作品です。
ということでまずはこちらをどうぞ!
主人公は、小さな地方都市、渡(わたり)市に生まれ育った、神藤家の三兄弟。長男・一郎(大森南朋)は幼い頃に父親の暴力に耐えかねて出奔、次男・二郎(鈴木浩介)は父親の地盤を継いで政治家に、そして三男・三郎(桐谷健太)は地元暴力団の下でデリヘルの店長をしています。
物語は、その父親・武雄の死から動き始めます。三郎の遺産の放棄で、ほぼ全遺産を相続するはずだった二郎は、地元誘致のアトレットモールに土地を提供することで出世を目論見ます。ところが30年ぶりに帰郷した一郎が、遺産の相続分として土地を要求。利権をめぐって政治家と手を取る闇社会は、一郎に相続放棄させようと手段を選ばず動き始めるのですが――その矢面に立たされるのが、桐谷さん演じる三郎なのです~。
入江監督 桐谷さん演じた三郎は、大事なものを守るために突き進み、映画のラストに向けてピュアな部分へ到達してゆく役。いつも登場からインパクトあるアウトロー役が多い桐谷さんが、そういう変化をどう演じるのか見てみたいなと思い、お願いしました。
桐谷健太 実は最初に台本を読んだ時に、よくわからなかったんですよ。三郎という人物が。どう演じようか……全然わからん……もう少し考えれば……やっぱりわからん。その繰り返しで。
入江 ちょうど昨年末の衣装合わせの時に、現場のドキュメンタリーを撮っていたじゃないですか。撮ったものを見たら、びっくりするくらいお互いしゃべってない(笑)。台本を読んでわからないまま初の顔合わせで、すげー不安だったんだろうなと。
桐谷 あのタイミングでいろいろ聞くのもヤボやし、でもコミュニケーションはとったほうがいいなと。それでたどたどしく「三郎は、兄弟の中で一番、皆のことを思ってるんですよね」みたいな、差しさわりのない話を(笑)。でもすごく興味はありましたね。めっちゃハードボイルドだし、同じ年齢の人が「なんでこんな台本を書いたんや?!」と。入江君の経験から出ているんだとしたら、どういうことなんや!って。
一郎は代々の土地に、二郎は“村社会”の権力構造に、三郎は兄弟の絆に。三兄弟はそれぞれの思いで「故郷」に執着し、トラブルに巻き込まれてゆくわけですが、中でも引く気のない二人の兄たちのせいで、どんどん追い詰められてゆく三郎が痛切です。すべて捨ててこの町を出ちゃった方がいい!と思うんですが――やっぱりできないんですね。愛情、嫌悪、思い出、寂しさ、寄る辺なさ、罪悪感、帰属意識……そんなものすべてがまじりあい、故郷へのやるせない思いだけが募ります。
入江 ロケ地の深谷市は僕の地元で。住んでいた当時は「早くここから出なければ」という気持ちしかなかったけれど、それでも僕にとっては拠り所であり、定期的に戻らなければいけない原点でもあるんですよね。
桐谷 俺の故郷は大阪の、ほんとに雑多で騒がしい、オトンがシャンソン歌いながら近づいてくるみたいなところだったので(笑)、「渡市」で育った三郎のイメージがつかめなかった。でも初めて深谷に行った時に、「あ、三郎ってこういう歩き方や」「こんな感じでしゃべるかも」「ちょっとけだるさもあるやろな」と、直感的にわかったというか。
入江 三郎は、演技によって、熱血漢にも疲れた人間にもできる。桐谷さんは映画のノワールなテイストを汲み取って、意識的に抑えた芝居にしてくれましたね。
桐谷 冒頭の場面で出てくる川の風景を最初に見て、冬という季節的なものもあったと思いますが、町の「もの悲しさ」がスコーンと入ってきたからでしょうね。
入江 少子化とか過疎化とかありますけど、深谷に限らず、昔からの商店街があるような地方の小都市はその影響を一番受ける場所。それが風景から滲み出ていて、ポンと行った人が、寂しさや暗さを感じ取るんだと思う。同じ風景の中で子供時代を過ごした僕にすれば、当時の楽しい思い出がある分、余計に寂しく感じますね。
桐谷 地元の人からしたら大きなお世話、楽しく生きてるわよ!っていう人ももちろんおると思うんだけど……実際、こういう地方都市、多いと思うんですよ。以前に四国のある町で、町おこしに奮闘する青年を描いたドラマに出た時も、若い人たちはどんどん都会に出ていくから、地元の人達はほんまに必死で。ほんとそうなってきてますよね。
そうした行き場のない人たちの鬱屈が、映画の不穏な空気を作り出してゆきます。利権を分け合い癒着する政治と闇社会、その中で地位と権力を得ようと魂も身体も売る男と女、閉鎖的かつ排他的な“村社会”のルールに不都合なものや異物は、人であれモノであれ跡形もなく排除され、その叫びが外の世界にまで届くことはまずありません。もうめちゃめちゃハードボイルドでノワールです。つまるところ、父親の理不尽な暴力が支配していた神藤家は「渡市」の縮図で、何かを守りたければ「自警」するしかないということかもしれません。
入江 ビジランテは「自警団」のことで、僕は昔から自警団に興味があったんです。自警の発想は「誰も守ってくれないから自分で守る」というものですが、これは登場人物たち誰にでも当てはまる。別のタイトルも考えたんですが、結局はこの最初のタイトルに戻りました。英語だと分かりにくいかなとも思いましたけど。
桐谷 撮影初日に川辺でお払いをして、神主さんが「桐谷の健太~」みたいに出演者とかの名前を唱えていく時、映画の名前を一回もまともに言えてなかった。「びぃ~じぃ@?▼*◇~」って、それがもう面白くて。お払いやのに!
入江・ごまかしてましたね(笑)。まあ分からない場合は、調べて覚えてもらうのもいいんじゃないかと。
桐谷 今は全部が「分かりやすい」方向に行き過ぎてるんですよ。まあ特定のジャンルを否定するわけじゃないですが、日本映画は「分かりやすいエンターテイメントとしての“高校生の恋愛映画”やったらそこそこ客が入る」というような、ビジネス的判断が強くなってしまってるところはあるかもしれないですね。
入江 それと同じような発想で、日本映画ではリアルな社会問題にはほとんど触れないんです。でもこの映画で描いたような移民問題とか、ヘイトスピーチや排他的な空気感とかは、地方都市には普通にあるものだし、作品に取り入れたかったんですよね。
桐谷 そういうものは確実に身近になってると思いますよ。試写で見た友達も、大阪のちょっと辺鄙なところの出で、「ありそうやわ~」って言ってましたし。もし関りがなくて全然わからなくても、だからこそ映画で体感できるわけだし。
入江 知らない世界を知るのは、映画を見る楽しさのひとつでもありますしね。
桐谷 この映画を見終わった時に、ほんま「ブラボー!」て言うてもうたんですよ。こういう映画にしたくて、そう作れなかった映画もたくさんある中で、攻めてるわ、カッコええわと。ほんま、色んな人に見て、楽しんでもらいたいですね。
(C)2017「ビジランテ」製作委員会