市松模様の客席でコンサートの新様式に想いを馳せる(コロナ禍と音楽活動/小曽根真の“前”と“後”)
7月25日、久しぶりに音楽ホールのコンサートに足を運びました。
日本に緊急事態宣言が発出される前からコンサートやライヴハウスでのライヴは自粛され、ボクが「新しい生活様式」以前に行った最後のライヴは3月17日に東京・丸ノ内のコットン・クラブで行なわれた大西順子トリオだったから、ほぼ4ヵ月ぶり。
ライターはコモっていたのか?
その間、音楽専門誌のインタヴューではミュージシャンと対面することも数回ありましたが、いずれもマスクを外さないままという、もうすぐライター歴40年を迎えるボクでも経験したことのない事態が常態化し、物珍しさと戸惑いの入り混じった複雑な心境で過ごすことになりました。
余談だけど、インタヴュー相手がインフルエンザにかかって、取材当日はマネージャーのスピーカーホン越しに話を聞いた、という経験はあるのですが、これは電話取材の範疇だから“前例”とはいえないですね。
また、テレビ会議システムを使った取材も増えて、こちらはマスクなしで表情を見ながら進められるから、とても有効なツールであることを確認できたという意味で“収穫”といえるのかもしれません。
と、音楽ライターとしてのコロナ禍との向き合い方の話題はこのへんにして、コンサートの話に移りましょう。
小曽根真の“前”と“後”
先ほど、大西順子トリオのライヴが“前”の最後だったと書きましたが、その少し前の2月末から3月頭にかけて拝見したなかに小曽根真によるステージがあったので、そこからコロナ禍前後のコンサートの話を進めたいと思います。
というのも、2月26日にソロ・ピアノのコンサート、7月16日にワークショップ、7月25日に交響楽団との共演と、コロナ禍によって社会が閉じた状態になる直前と直後と言っていいタイミングで同じ人物が、興行中止という自粛手段に拠らないアクションをとっていたことに、“意義がある”と思ったからです。
2月26日、東京・銀座のヤマハホールで行なわれた“小曽根真スペシャル・コンサート”に出向いたのは、「ピアノの本」からの取材依頼があったからでした。
新型コロナウイルス感染症が中国や横浜港に停泊している豪華客船に限られた話では済まなくなりそうな論調のニュースが多くなり、ボクの耳にもジャズクラブでのライヴを自主的に取り止めるミュージシャンが増えてきたという情報が入り始めたのがこのころ。
2月24日から3月1日にかけての1週間で、3本予定していたライヴ取材のうち1本が中止。3月2日から8日は3本のうち2本が中止、3月9日から15日は2本がいずれも中止となり、3月17日の大西順子トリオ公演を最後にライヴを観る機会が途切れました。
小曽根真の“スペシャル・コンサート”は、会場となったヤマハホールがリニューアルオープンして10周年を迎えた記念行事の一環として開催。チケットは前売りソールドアウトで、取材者分はなんとかするからというほどの状態だったものの、コロナ禍の影響でキャンセルが発生、それでも当日は2割程度の空席という、結果的には“新しい生活様式”を意識する直前の、観客も演奏側も困惑と意地がないまぜになったような、“前”の状態を象徴するようなイヴェントだったのではないかと思っています。
そして“後”。
7月16日に東京文化会館大ホールで開催された小曽根真によるワークショップが、緊急事態宣言解除後初の“リアルな現場取材”でした。
今回で8回目を迎えるこのワークショップ、小曽根真がピアノ演奏を挟みながら、ジャズをより楽しむためのヒントを“チラ見せする”という趣向。ボクの記憶では、東京文化会館小ホールでスタートし、改修中はよみうり大手町ホールに場所を移したりしたけれど、でもやっぱり対話式のワークショップには小ホールが適しているという印象のイヴェントでした。
それが今回、大ホールでの開催となったのは、もちろんコロナ対策によるもの。客席数649席の小ホールから2,303席の大ホールに変更することで、東京都のロードマップによる5,000人以下会場でのイヴェント開催制限である収容人員の50%、つまり1,151人というキャパシティを確保でき、649席を完売していても(席の配置は変わるが)対応できることから実施したものと推測しています。
実際に会場へ足を運ぶと、入場時の検温とともに前売り券の配置換えの案内が掲示され、「前後左右の座席には人が座らない状態」すなわち市松模様に着席する配置がとられていました。
また、最前列から4列目までを空席にするなど、出演者との距離を確保する配慮もなされて、“密”に関しては考えられる限りの対策がとられていたといえるでしょう。
もちろん、こうした対応がベストではなく、本番中に客席との距離が遠いと感じた(のではないかと思います)小曽根真がステージ最前まで出てきて客席に話しかける場面があったりと、不慣れなソーシャル・ディスタンスに戸惑うがゆえの行動があったのは仕方のないことだと思っています。
そして7月25日。この日は小曽根真がオーケストラとともにピアノ協奏曲を演奏するというプログラムが組まれていたのです。
オーケストラ公演の再開に光明が差した夜
「小曽根真 Jazz meets Classic」と題されたコンサートもまた、小曽根真が継続的に取り組んでいるプロジェクトで、シリーズ・テーマは「2つの音楽ジャンルの邂逅とそこから生まれる新しい可能性」。
これまで(主にジャズ側からの)ゲストを迎えながら、クラシックとジャズのレパートリーを対比的にプログラムするなど、“混ぜる”ではなく“在り方を考える”というコンセプションで実施されてきたこの企画。meets=出逢いとはどうすることなのかを、観衆だけでなく演奏者自身も考えながら音を発するという、ある意味で現場主義的なジャズ者ならではの方法論に、21世紀のジャズを最前線で背負う立場の小曽根真の意気込みを感じ、注目してきたコンサート・シリーズです。
今年はどの時点で企画内容にコロナ禍の影響が及んだのかは定かではありませんが、演奏者としてのゲストは迎えずに、目玉となるのが小曽根自身の作であるピアノ協奏曲「もがみ」の再演という、一歩も二歩も企画側の内面へ踏み込んだ、チャレンジングな内容になっていました。
ただ、情報解禁時に決定していたアラン・ギルバート指揮による東京都交響楽団の出演が太田弦指揮による新日本フィルハーモニー交響楽団に変更。さらに、合唱のパートをハモンドオルガンに振り替えての本番という、目に見える影響もあったことは仕方ないでしょう。
会場はワークショップと同じ東京文化会館大ホールですが、こちらは当初から大ホールでの開催を予定。つまり、キャパシティの小さな場所から大きな場所に移行して対処したのではなく、キャパシティを50%以下に制限するというハンディキャップを覚悟しての開催だったことがうかがわれます。
客席はワークショップのときと同様に市松模様配置と前から4列を空席にする対応。
オーケストラについては、楽団のガイドラインに準じた距離をとり、管楽器など口を使用する楽器の奏者以外はマスクを着用というスタイル。
ちなみに、小曽根真と太田弦はマスクなし。
正直な印象として、主催者・出演者ともにやれる限りの対策をとり、ボクがこの2月以降にコロナ対策のにわか勉強をしてきたレヴェルに照らし合わせても、不安を払拭するに足るコンサートの実施だったと言えます。
そしてなにより、第1部のモーツァルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K488」の冒頭で、小曽根真のピアノ前奏に続いてオーケストラによるテーマが始まったときの、音の大きさだけでは説明できない“波動”が会場にあふれていったときの嬉しさを体験できたことは、“後”の最大の収穫だったといえるでしょう。
目玉の「もがみ」については、ワークショップで小曽根真がこの曲が生まれた経緯などを解説していたことが、鑑賞に際しての理解度を深めることにとても役立っていたと感じています。
これまでの彼のワークショップは、“楽器による表現”を“音によるコミュニケーション”につなげるにはどうすればいいのかという、彼自身が悩んで試行錯誤してきたことが軸になっていて、それが音楽教育に携わる参加者の比率を高めていたものと推測しています。
今回のワークショップでは、自作の演奏が控えていたことで、概論よりも踏み込んだ具体例による解説がなされ、それがコンサートの鑑賞にも好影響を与えることになったわけです。
作曲者自らテーマを得るための具体的なイメージについて語ってくれることは、一般的なコンサートのパンフレットの紙幅では収められないものだったりします。それを彼はワークショップで実演を交えながら披露してくれたわけですから、これ以上の贅沢でお得なプレゼントはなかったのではないでしょうか。
さらに彼は、この曲を生み出すために参考になった曲としてレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」をあげ、そのコードについての解説をしてくれたのですが、ボクはワークショップから帰る電車の中で「不安の時代」をダウンロード。しっかり予習となる復習をしていったおかげで、「もがみ」のオーケストレーションの妙味を(自己満足的であることは承知していますが)ちょっとだけ深く味わうことができたと思っています。
感染症とコンサートの“後”について
座席が固定されているコンサート会場に関しては、入場時の健康管理(検温など)や除菌、座席のソーシャル・ディスタンス(つまり前後左右を空ける)によって、新型コロナウイルス感染症に関しては開催をクリアできる対応が可能であることを体験できたと思っています。
もちろん、問題はそれだけではなく、入場時の健康管理の徹底に伴う負担(人的なものや整備費的なものなど)にどう対応するのか、座席の前後左右を空けることによって入場可能人員が半数以下になったときに収益を確保できるのかなど、最重要課題が積み残しになっているのは気になります。
そして、こうした座席に余裕のある(ソーシャル・ディスタンスが取りやすい)ホール会場の事例がレストラン・タイプやスタンディング・タイプのライヴハウスに準用できないことも、このコロナ対策が一筋縄ではいかないところでしょう。
ライヴを提供する店舗はホール会場以上に千差万別です。ここの線引きについては興行場法というものがあるのですが、いわゆるライヴハウスと称する店舗は(規模的に適用外のため)興行場法の許可を受けず、飲食店として分類されることが多いようです。
飲食店としてのライヴハウスについては、椙江茂起氏(横浜7th AVENUEオーナー、日本ライブハウス協会代表)による分類がわかりやすく、これを参考にさせてもらっています。
第一種=PA照明などの機材を保有しライブを毎日開催できる店舗を所有する、ライブを客へ提供する事が営業の主な目的とする。演奏曲は主に出演者が決める。客との精算はチケットにて行う、客席はスタンディングか可動式、客へのサービスは飲食を伴う場合もある。
第二種=PA照明などの機材を保有しライブを毎日開催できる店舗を所有する、ライブを客へ提供する事が営業の主な目的とする。演奏曲は主に出演者が決める。客との精算はチケット又は伝票にて行う、客席は固定、客へのサービスは飲食を伴う。
第三種=PA照明などの機材を保有しライブを毎日開催できる店舗を所有する、ライブを客へ提供する事が営業の主な目的とする。演奏曲は主に店側が決める。客との精算は伝票にて行う、客席は固定、客へのサービスは飲食を主とする。
第四種=三種までに入らない店舗、ライブは不定期に行う、PA照明などの有無はなし、客との精算は伝票にて行う。客が演奏曲を決めたり客がライブに参加できる場合もある。客席は固定式、客へのサービスは飲食を主とする。(お客様参加型店など)
第五種=日々通常営業ではライブを行わない飲食店舗であったり倉庫などの空間であったりする。限られた日時のみライブを行いPA照明などの設備はなし。客との精算はチケット伝票問わずその日の何らかの方法で行う。(その他多くのライブをたまにやるところ)
営業スタイルの違いで便宜的に分類されたものですが、このうちでポップス/ロック系に多い第一種が、コロナ対応ではもっともハードルが高い、リスク低減に苦労することが予想される業態ではないかと思われます。
逆に、収容人員が100席に満たない着席タイプのライヴハウス(ジャズ系に多いと思われます)は、損益分岐を誤らなければ、経営的な問題はクリアしやすいのではないでしょうか。
第三種から第五種については、ほかの飲食店と同様の対応で打開策を見つけていくことになるのかと思います。
また、すべての種において、演奏者のソーシャル・ディスタンス、つまり演奏者同士および演奏者と最前列の観客の飛沫感染防止対策を必要とします。
まとめ
最後に、withコロナ時代で生演奏を楽しむ文化を継続していくためには、どのようなことに注意すればいいのかを、ライヴハウスという場の特殊性をあげてまとめておきましょう。
まず、大前提として、不特定多数の人が集まる場であるリスクをどう低減できるかの対策を、運営者、主催者、出演者、参加者(観客)が協力して実施すること。
熱や咳などの風邪の症状がある場合には人が集まっている場には行かない──これは新型コロナにかぎらずすべてのシーンに対して適応されるべきマナーではないでしょうか。学校や会社のような要であり急な用事があったとしても、まず医師の診断を受け、その結果を所属組織へ報告して欠席、自宅での療養というのがセオリーです。「ライヴを観に行って発散すると風邪ぐらいなら治っちゃうから」なんて考えはNG。うつさない、広めないというのも、ライヴという文化を守るためには必要不可欠なマナーなのです。
一方、店側は、
- 入場時の検温
- 参加者の連絡先の記録
- 参加者の手指の除菌
- 参加者のマスク着用の要請
- 会話や声がけなどを控えるように要求
- 店内の定期的な除菌
- ステージと客席、客席同士の間隔を十分に確保
- 店内の定期的な換気
などを実行するべきです。
特に「換気」に対する意識を高めるだけでも、クラスターのリスクはかなり軽減できるようです。
不要不急と名指しされ、救済の対応も後回しにされがちな生演奏の体験文化の関係各所は、このコロナ禍によって壊滅的なダメージを負うことが予想されます。
マナーや対策は、それを完全に防ぐ方法とはなりえないでしょう。そして、ひとつの業態が時代のニーズや状況の変化によって消滅してしまう例は、これまでもありました。しかし、考え方を変えることで、カタチを変えて継承することは不可能ではないと思っています。
ボクは、生演奏の体験文化を提供する場が危機的な状況にあることを感じ、それが消滅してしまうことを強く心配しています。
それぞれの当事者が知恵を絞り、また専門家の意見を適宜受け容れて、「新たな音楽ライヴ様式」を生み出してくれることを願っています。