久保建英の「中央寄りのポジション」の是非を問う。そもそも論に立ち返って。
冬の移籍市場が閉幕した。
最大のトピックスは、久保建英のヘタフェ移籍だった。無論、日本人としては、だが。ただ、マルティン・ウーデゴールのアーセナル移籍、ルカ・ヨヴィッチのフランクフルト移籍と、いずれもレンタルながら改めてレアル・マドリーの保有権を有する選手が置かれている状況の難しさが浮き彫りになった印象だ。
話を久保に戻そう。ヘタフェに移籍してから、4試合でプレーした。「ぶっつけ本番」となったエルチェ戦(○3-1)を除き、ウエスカ戦(○1-0)、アスレティック・ビルバオ戦(×1-5)、アラベス戦(△0-0)と久保はスタメン出場している。
彼の年齢では、試合に出なければいけない。それが私の基本的な考えだ。なので、今回の移籍に関しては、すでに正解だったと言えると思う。ホセ・ボルダラス監督が、システムチェンジを断行してまで、久保とカルレス・アレニャを起用しているのだから。
だが、それは久保のビジャレアルでの失敗を帳消しにするものではない。少なくとも、ヘタフェの1部残留には貢献して欲しいところだ。でなければ、厳しい言い方になるが、マジョルカ時代と何も変わらない日々を過ごしたことになる。それはつまり、残留を争うようなチームでは活躍できるが、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグ出場権獲得を狙うチームでは居場所を確保できないというクラスのプレーヤーであるということだ。
久保は所属クラブでレギュラーではないのに代表に呼ばれている。久保には得点力が不足していて、意識改革が必要だ。往年の名選手やコメンテーターが、久保に対して批判の声をあげている。
しかし、そういった声を聞くと、私は「問題設定」が間違っていると感じる。もっと言えば、それは「そもそも論」だ。
代表のOBや辛口評論家のオピニオンが一定以上の効果を挙げてしまうのは、そもそも、久保について日本のメディアが必要以上にポジティブキャンペーンを張っていることへのカウンターであると言える。
ふと、電車に乗った際、電子版の広告に「ヘタフェの久保が●●分出場」というニュースが流れる。正直、私は辟易する。ヘタフェの選手のことなど、どうでもいいではないか。いや、どうでもよくはないのだが、大々的に報じるニュースなのかという違和感は、ずっと拭えずにいる。
そして、そもそも、彼がドリブラーであり、テクニシャンであるというのは、果たして正しい認識なのかどうか?
この点を議論しなければ、どうしようもない。ここからは図を用いながら解説していくが、私は久保をドリブラーだとは考えておらず、また最近では(識者とファンを含めて)日本の方々が大好きな久保の「ハーフスペースでのポジショニング」「中央寄りのポジション」に非常に懐疑的である。
それが効果的であれば、まったく問題はない。だが攻撃のメカニズムが整っていない状態で、盛んにあのポジションを取る久保に対して、私はポジティブな印象を抱けずにいる。そこにはある種のエゴの存在は認識できても、フットボールの本質的な要素とゴールに直結するプレーは感知できない。
そういった意味で「久保に得点力がない」というのは正しいかも知れない。幾分、ざっくりしているが。正確にいえば、久保に得点力がないのではなく、「久保の得点に向けたアプローチが足りない」のだ。さらに言うと、足りないし、間違っているのである。
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■久保の中央寄りのポジショニング
グダグダと理屈を並べたが、具体的に落とし込んでいく。
リーガエスパニョーラ第21節アラベス戦で、ヘタフェは【3-4-2-1】というシステムを敷いた。
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