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NY市警察に殺された日本人留学生事件 この機会に思い出してほしい7年前の悲劇

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
抗議者にペンキをかけられたパトカー(今回ニューヨークで発生したデモより)(写真:ロイター/アフロ)

警察官による残酷な黒人男性の殺害(ジョージ・フロイドさん暴行死)に端を発し、全米中に広がった大規模なデモ。ここニューヨークでも一部が過激化した時期もあったが、現在は規模が縮小し平和的に抗議活動が続けられている。

当初、警察署の周辺一帯はバリケードが張りめぐらされIDがないと通り抜けられないようになっていたが、最近は警戒も緩み始めている。一部の犯罪者により略奪行為なども起こったため店の外側に防護板が取り付けられていたが、再開に向けそれらも少しずつ取り外されてきた。

NYで進む警察改革

デモに参加した人々の抗議内容の1つに、悪しき警察と司法制度の改革への叫びがある。長年、警察による一般市民への暴力や不祥事が、見て見ぬ振りをされ野放しにされてきた。しかしニューヨーク州はこれを機に改革への舵を切った。先週より新たな警察改革法が次々に発表されている。

6月12日、クオモ州知事が署名し成立した法律はこちら。

(1)50-aの撤廃

(2)警官によるチョークホールドの禁止

(3)人種に絡んだ虚偽の緊急通報の禁止

など。

解説

  1. 50-aとは70年代に制定された古い州法。そもそも「危険度の高い職種の身元は法律で守られるべきもの」という考えが前提にある。よって警官や消防士などが過失を犯した場合においても、プライバシー保護の観点などから、懲戒処分記録を開示しなくてよいとする法律。しかしシステムが徐々に悪用され、警官による過剰な権力行使や暴力、違法行為、不祥事があったとしても隠蔽が増え、罪を問われないケースが増えていた。50-aの撤廃により今後は懲戒処分記録が公になり、一般市民が閲覧できる。
  2. 警官が(身の危険に晒されない限り)首を絞めたり首元の圧迫をしたりするのは禁止となる。フロイドさんのように首を圧迫されて殺されたケースとして、ニューヨークでは2014年、黒人男性、エリック・ガーナーさんの死亡事件も人々の記憶に新しい。ガーナーさんはNYPD(NY市警察)の警官に首元を締め付けられ、「息ができない」と何度も訴えながら亡くなった。
  3. フロイドさんの事件と時を同じくしてニューヨークで発生した、白人女性による黒人差別が引き金になった。(詳細:NY 犬の散歩の口論で人種差別問題に発展 SNSで女性への執拗な死の脅迫が続々と

今週に入ってからも、デブラシオ市長により、新たな警察改革法が次々と成立、発表されている。

(4)警官はパトロール中、ボディカメラの着用の義務

(5)警官が銃を発砲した場合、またはテイザー銃により危害を加えた場合、30日以内に録画内容を提出(家族が閲覧後オンライン公開)

(6)警察内部の調査は2週間以内に行われる

(7)捜査、拘留中の容疑者の健康や身体および精神衛生のため、必要であれば適切な治療を提供

など。

州では今回新たに発表した改革内容を来年4月までに徹底しない自治体には、警察への財政支援を停止すると発表し、警察に対する信頼回復に向けた本気度を強調している。

またトランプ大統領も16日、警察改革を巡る大統領令に署名し、チョークホールドの禁止、警官の経歴チェック、規律、訓練、身体や精神衛生の向上などを約束した。記者会見では、ごく少数の警官により黒人を対象とした残虐な事件が起きているのは遺憾とし、さまざまな人種、あらゆる肌の色や宗派を持つ国民に向け、安心で安全な未来のために「最強かつ最高の警察」の再構築を誓った。

「警察=人殺し」というプラカードを持つデモ参加者。黒人や人種差別に対する抗議に加え、悪しき警察や司法システムへの抗議も目立った。(c) Kasumi Abe
「警察=人殺し」というプラカードを持つデモ参加者。黒人や人種差別に対する抗議に加え、悪しき警察や司法システムへの抗議も目立った。(c) Kasumi Abe

ここでもう一度思い出してほしい、日本人留学生の死亡事件

このようにニューヨークをはじめ他州でも、次々に警察改革が進められている。大きなニュースになっていないだけで、一部の悪徳警官により、日々死亡事件や暴力をはじめ、怠慢、権力を悪用した傍若無人な振る舞いなどが蔓延っているのだから、改革の第一歩は市民にとって歓迎すべきことだ。

そんな警察改革のニュースが流れる中、筆者は7年前に起こったある日本人男子留学生の死亡事件をふと思い出した。日本ではそれほど大きなニュースとして取り上げられなかったので、この機会にぜひ知ってほしい。

亡くなったのは小山田亮(おやまだりょう)さん。享年24歳。

小山田さんの死は、ニューヨークの日本人コミュニティにとってはとても信じがたい、そして忘れられない記憶として残っている。

彼は留学中だった2013年の2月21日、自宅のあるクイーンズ区の住宅街の路上で、NYPD(ニューヨーク市警察)のパトカーに突然はねられ亡くなった。深夜0時45分ごろ、近所のデリに買い物に行くため道路を渡っていたところ、緊急通報依頼を受け猛スピードで走行して来たパトカーにひかれたのだ。

警察が「事故」の調査結果として発表したのはこのような内容だった。「パトカーには運転手のダレン・イラーディ警官(Darren Ilardi)と同乗者のジェイソン・カーマン警官(Jason Carman)が乗っていた。緊急通報を受けたため、サイレンと警告灯をつけ時速35〜39マイル(56〜63km)で走っていた。パトカーが走る道路に飛び出して来たのは被害者の方だ」。

一方、現場にいた人の証言は、警察の発表はほとんど「嘘」。警官は右側通行であるべき道路のほぼ真ん中を、サイレンと警告灯もなく暴走し、小山田さんをはねたということだった。また警官は、まだ息のあった小山田さんの救命措置を一切しなかった。

しかし、警察はそれらの証言をすべて覆し、嘘を嘘で固め、あたかも小山田さんに過失があったかのようなストーリーを捏造した。

当時、在ニューヨークの日系メディアをはじめ、いくつかマイナーな米系ウェブメディアがこの事件を報じた。日本から遺族が現場を訪れたが、市やNYPDから警官のミスに対しての謝罪はなかったという。遺族側は市を相手取り800万ドル(約8億円)の損害賠償を求めた訴訟を起こし、街頭防犯カメラの映像の開示を求めたが、当初はそれに応じることもなかった。

(遺族側の発表では、後になって映像を観ることができたが、編集されたものだった。また発表された報告書では、パトカーは実際、時速64マイル(103km)以上で走っており、道路を横断していた小山田さんに気づいた時にブレーキをかけたものの、時速31マイル(50km)のスピードではねた。無灯火でサイレンをつけていなかったことを、2年後イラーディ氏自身が認めている)

4年以上もの月日がかかり結局2017年5月、遺族側が市と54万ドル(約5400万円)で和解したことが発表された。このケースでも警察を保護するための法律が後ろ楯になり、「真実」が揉み消され、「正義」が闇に葬られたというわけだ。遺族の心情はいかばかりか計り知れない。遺族側はNYPDに対して、第二の被害者を出さないためにも警告灯の点灯のタイミングを厳格化してほしいと要求したものの、NYPDは無慈悲にもそんな願いさえも認めず、遺族の心を踏みにじった。

残された人々は大切な家族を失った悲しみに加え、不誠実な対応に大きく失望したことだろう。しかしこれ以上警察の悪事を暴いても大切な人は戻ってこない。事情のよくわからない海外で、しかも警察や司法という大きな権力を前に「緊急走行だった」と正当性と無罪を主張され続ける限り、それ以上の言葉や行動、気力などは残されていなかったのではなかろうか。特にアメリカの裁判は多額の費用がかかる。だから、無念だが和解という形で受け入れ、終結させるしかなかったのだろうと察する。

件の警官は罪に問われず、運転免許証の停止もなかった。「外国人差別だ」「ひどい、許せない」。このニュースを聞いた当地在住の日本人の誰もが、警察の責任逃れに動揺し憤りを感じた。しかし警察という権力が相手なら、殺されても救いきれないのだと悟った。ほかに成す術もなかった。

当時発表された遺族からのコメントには、このようなものがあった。「ニューヨークの人々は、警察が再発防止に向けて何もしていないことを理解する必要があります」。

実に長い年月がかかったが、今やっと警察が信頼回復に向け、改革に着手し始めた。しかしその背景には、フロイドさんや小山田さんなど数々の悲劇があったことを忘れてはならない。

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後記:人命を奪いながらも嘘を嘘で塗り潰し、遺族の気持ちを踏みにじった当時のニューヨーク市とNYPDの対応は悪質だと判断し、本稿では「事件」で統一しました。また2013年は現政権とは異なり、市長はマイケル・ブルームバーグ、NYPD警察長はレイモンド・ケリーの時代です)

(Text and photo by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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