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たけし、さんま、田村正和たちをドラマで輝かせた伝説のプロデューサー ヒットの法則

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
TBS「さとうきび畑の唄」より(C) TBS

八木康夫、TBSで多くのヒットドラマを作ってきた伝説の名プロデューサーである。

「アンナチュラル」(18)、「MIU404」(20)の新井順子プロデューサーの師匠筋にも当たり、八木さんがいなければ「アンナチュラル」も「MIU 404」も生まれなかったといっても過言ではない。

ドラマに革新をもたらしてきた八木さんは、お笑い芸人のビートたけしさんを社会派ドラマに、同じくお笑い芸人の明石家さんまさんを戦争ドラマに、二枚目俳優・田村正和さんをコメディに起用して、それまでのイメージを覆してきた。木村拓哉さんをTBSに初めて出演させたのも八木さんだった。

独立したいまも、令和2年度文化庁芸術祭で優秀賞を受賞した「完本 怪談牡丹燈籠」(19年 NHK)や、ハイスピードカメラを駆使して京都で時代劇を撮る人たちの姿を描いたドラマ「スローな武士にしてくれ〜京都撮影所ラプソディ」(19年 NHK)などユニークなドラマを作っている。2021年1月2日には人気の絵師・伊藤若冲(中村七之助)の才能の目覚めを、彼を支えた僧・大典(永山瑛太)との関わりをブロマンス(男同士の精神的な親密な関係)ふうに描く正月時代劇「ライジング若冲(じゃくちゅう)~天才 かく覚醒せり~」(NHK総合・BS4K よる7:20〜8:35)が放送される。これとこれをかけ合わせるとは!という大胆な組み合わせの妙は健在だ。

八木ドラマにあこがれてTBSに入社した植田博樹プロデューサーが、過去の名作がどうやってできたか八木の伝説を紐解いていく。好評、植田Pと振り返るTBSドラマのレジェンド・4人め。

◯脚本打ち合わせには演出家は参加させない

植田:僕がTBSを志望したのは八木さんのドラマに憧れてなんですけど、八木さんの作るドラマはホームコメディーから社会派のカッティングエッジなものまで、驚くほど幅広い。しかも、この脚本家にはこの路線という規定がなく、同じ作家で全く違うドラマを作っている。いったいどうやって企画を考えているんですか。

八木:もともとドラマ志望ではなく、これだというこだわりがなかったのと、僕がドラマを作りはじめた時代(80年代)は、いまほど編成の意向に縛られることもなく、自分が面白そうと思ったことが自由にできたんですよ。そうは言っても、僕の作るものは“ホームドラマ”が多かったですね。というのは、僕が小学校低学年の時に、ちょうどテレビの受像機が我が家に来て、テレビは家族そろって見るものという認識のもと、ドラマはほとんどホームドラマでした。外国のテレビドラマも「うちのママは世界一」とか「パパは何でも知っている」などが放送されていた。ラブストーリーが増えてくるのは、それからだいぶ後なんですよね。「金妻」(「金曜日の妻たちへ」83年)くらいからじゃないかな。

植田:僕は、八木さんとは「烏鯉」「もしも願いが叶うなら」(94)の2作でご一緒していますが、いずれも脚本打ち合わせに関わらせてもらったことがないんですよ。八木さんは、作家さんとお二人でやるイメージがあって。

八木:そうだね。基本的にはディレクターは入れないね。その代わり、ホン(脚本)を作ったら、あとはディレクターに任せて、演出に関しては一切口出さないんですよ。作家とプロデューサーで作ったホンをディレクターが演出、編集することによって、付加価値がついて、いろいろな可能性が生まれる気がするんです。

植田:ひとりの作家があれだけ違うジャンルのものを書き分けているってことは、作家から生まれてきたものというよりは、八木さんが、お題を渡しているんじゃないかと思うんですが。

八木:いや、そんなに大層なもんじゃないよ。

植田:八木さんは読書量も幅広いと感じていて。僕はAD時代、会社によく泊まっていて、朝になると、八木さんが最初に出社されるんですよね。ADより誰よりも八木さんが先に来る。で、新聞や、本屋さんから取り寄せた、あらゆるジャンルの本を読んでいた。

八木:金松堂ね。

植田:百貨店のコピーから生まれたドラマがありましたよね。

八木「恋を何年、休んでますか」(01)は、伊勢丹のファッションキャンペーンポスターからもらった。新宿から伊勢丹のほうに行く地下の通路にポスターが貼ってあって「恋を何年、休んでますか」というコピーがあったわけ。それを見て「あっ、すごくいいコピーだな」「あっ、これはドラマになるな」と思ったの(笑)。

植田:「ドラマになるな」という、世の中からの切り取り方がすごいですよね。僕には、百貨店のコピーは、コピーだとしか思えないので。「カミさんの悪口」(93)も、確かそうですよね。

八木「カミさんの悪口」は本のタイトル。本屋に並んでいる本を眺めていて「ああ、いいタイトルだな」と思った。あれは、中身のストーリーは全く違うんだけれど、村松友視さんに原作料を払っています。

植田「さとうきび畑の唄」(03)もそうですよね。

八木:あれは、遊川和彦君と一緒に森山良子さんのコンサートにオーチャードホールに行ったとき閃きました。その前に森山さんにドラマに出ててもらったご縁で、ご招待をいただいて。そこで聞いた「さとうきび畑」が胸に迫るものがあって。あれ、戦争で亡くなったお父さんを想う歌なんですよね。帰りに、飯なのかお茶なのか忘れたんだけど、遊川君と話して、「あれ、ドラマにならないかな」みたいな話をしたら、「やりましょう!」って言ってくれたんです。

◯作家とは日常から共に過ごす

植田:企画を考えるためにどこかに籠もるみたいなことはされないんですか。

八木:それはない。僕の場合、普段から、作家といかに無駄飯を食うというか、いかに時間を共に過ごすかなんですよ。遊川君も池端俊策さんも、山元清多さんも同じ。「いついつドラマ予定しているから企画を考えましょう」じゃなくて、日常的に、飯食ったり、お茶飲んだりとかして、その中で無駄話をしつつ、「最近、どんな本を読んだ」「どんな映画見た」と雑談する、その延長線上で企画が生まれることが多かったと思う。

植田:そういうプロデューサーって少ないですよね。

八木:そう?

植田:少なくとも僕は、具体的に「この時期に何か企画考えませんか?」みたいな感じだったりします。以前、八木さんがドラマ制作部の部長だった頃かな、僕が、八木さんに「フジテレビのヤングシナリオ大賞のような、作家のオーディションとかしないですか?」みたいなことを言ったら、「僕が作家さんに責任が持てないから自分はシナリオ公募をやらない」みたいなことをおっしゃった記憶があります。

八木:そうだっけ? 僕は「ヤングシナリオ大賞」は素晴らしいと思う。あそこから出てくる作家ってすごいじゃない、質も、量も。テレ朝もやってるよね。でもTBS は育てようとしないもんね。僕の場合、当時、遊川君と山元さんと池端さんと吉田紀子さんの4人ぐらい、レギュラー的にお願いする作家さんがいたから、間に合うって言うのは失礼ですけど、そんな気持ちもあったんじゃないかな。

植田:それだけその4人を大事にされていたんでしょうね。僕は「責任が取れない」とおっしゃったことが、すごく印象に残ってるんです。作家さんと、それだけ自分の人生を切り結んでいるんだなって。

八木:そう言った記憶がないんだけど(笑)。でも、やっぱり、作家さんを育てるの大変だとは思う。そういった意味で、今、新たな作家さんを見つけて育てている若いプロデューサーはすごいよね。

植田:作家さんの作品の幅を広げるにはどうしているんですか。

八木:たとえけんかになっても、お互い言いたいこと言い合ってるよね。特に遊川君とはやり合ったかな。でも「真昼の月」(96)と「魔女の条件」(99)は、2つとも僕が投げた題材ですけど、それを具現化する才能はやっぱりすごいんですよ、彼は。「真昼の月」は、当時、医療指導してくださっていた堤邦彦先生から聞いた話から生まれたドラマで、そこから「トラウマ」とか「PTSD」という用語が一般化していった。そういった意味では、ネタをもたらしてくれる人との出会いに恵まれていました。

植田:八木さんって、そうやってたくさんの人とやりとりしているけれど、話術のテクニックでごまかすみたいなことはなくて、どっちかというと朴訥じゃないですか。

八木:あいつがプレゼンすると、すべてのドラマが大ヒットするみたいに思わせるプロデューサー、いるよね(笑)。その点、僕は全然だめ。スポンサー説明会のとき、営業や編成の人が、「八木さん、企画書は面白いんで、あんまりしゃべらないでいいです」と止められてた(笑)。いまだに苦手でね、NHKでの企画のヒアリングでしどろもどろしてる。

植田:八木さんほどのベテランがNHKでは企画のプレゼンをするということですか?

八木:もちろんしますよ。TBSにいたころはわりとラフで、「来年、いつ空いてるの?」「じゃあ、このクールとこのクール」っていうだけで企画が進められた。

植田:それは八木さんクラスだからですよ。「八木さんは何月空いてます?」と枠のほうから八木さんのほうにお願いするような感じで。そういうのは、八木さんと貴島誠一郎さんと伊藤一尋さんだけですよ。

八木:いまなら、新井順子×塚原あゆ子コンビなら、そういうやり方でオーケーなんじゃない?(笑)

◯スケジュールは、出てくるもの。だからこそ粘れ

植田:八木さんの場合、俳優も八木さんに合わせてくれるんですよね。「このキャスト、連ドラ入ってますよ」と心配しても、「八木さんの企画書を読んで、スケジュール空けました」という俳優さんがいっぱいいて。しかも、理想の俳優が揃うまで、ぎりぎりまで粘る、あの胆力たるや、すごいと思います。

八木:「さとうきび畑の唄」の明石家さんまさんは、まさしくそうだった。戦争の話だから、主人公は明るい人にしたくて、さんまさんに当て書きして企画書を作りました。もちろん出演してもらえる確信がないにもかかわらずです。で、企画書をさんまさんのマネージャーに見せて、「マネージャーレベルで結論出さずに、必ずさんまさんに見せて」とダメ元でお願いして。当時のさんまさんは今よりもっと忙しくて、スケジュールが埋まっていて、沖縄ロケに12日間空けるようなことはどうしたって無理なのだけれど、それでもお願いして。そしたら2、3日後に「師匠、やるって言ってます」って(笑)。出てくるわけ、スケジュールが。だから、僕は、スケジュールでだめだって言うマネジャーを信用しないんですよ(笑)。

植田:たいていはスケジュールで断られますよね。

八木:それこそ、田村正和さんの「うちの子にかぎって…」(84)は、その前、2クールものをやっていて、視聴率が悪くて、1クールで打ち切りになって、急遽新作を作ることを頼まれて、田村さんにダメ元でお願いに行ったんです。

植田:急遽の企画だったんですか。満を持しての企画だと思いました。

八木: あの時、田村さんはフジテレビの時代劇「乾いて候」を京都で撮っていたんです。だから、東京のドラマはスケジュール的に難しいだろうし、しかも、「うちの子にかぎって」は、金八先生みたいに、先生がスーパーヒーローで何でも解決するっていうキャラクターじゃないわけですよ。

植田:そうですよね、先生が振り回されるほうでした。

八木:生徒に振り回されるという情けない先生なわけですよ。それでマネジャーが「八木さん、天下の田村に、これをやらせようと思ってるんですか?」とまあまあ怒られたんですよ(笑)。これ、今だから話すんだけど、一応、万が一の時のことを考えて、所ジョージさんを押さえてあったんですよね。そのうえでダメ元で田村さんに直接プレゼンさせてほしいとマネージャーに頼んで成城のご自宅まで伺った。そしたら「あっ、やります」って。結果的に大ヒットしたわけだけれど、これは田村さんご自身のセルフプロデュース能力だと思うんですよ。

植田:それは八木さんの神企画が田村さんの心を動かしたんでしょうね。

八木:僕じゃなくて、ホンですよね。ホン。やっぱり役者は面白い本だったら出たいと本能で思うんですよ。それを痛感したのは「おやじの背中」(14)でした。あれは三谷幸喜さんの回だけあらかじめイメージキャストがありましたが、あとは全部、ホン、先行でした。田村さんも、役所広司さんも、渡辺謙さんもホンを読んで、出演を決めてくれたんです。田村さんのおっしゃった言葉ですごく印象に残っているのが、「役者は、役者自身がこの作品をやりたいとか、この役をやりたいって言っちゃだめだ」というもの。役者がやりたいものをやるのではなく「お客さんが見たいものに応えていくことが第一でしょう」と言うわけ。「今度、田村正和にこういう役をやらせたい、こういう役をやったら面白いっていうふうに思われるような役者でいたい」って。こういう考えは素晴らしいですよね。

植田:「うちの子にかぎって」がなかったら「パパはニュースキャスター」(87)もないし、もっと言ったら「古畑任三郎」(94 フジテレビ)もないと思うんですよ。古畑って、八木さんが作った田村さんの役の延長線上に僕はあると思うんですよね。それまでのかっこいい正和さんではなくて、笑いを演じるという点で。

八木:うん、まあ、そうかな。

TBS「うちの子にかぎって…」より (C) TBS
TBS「うちの子にかぎって…」より (C) TBS

◯失敗をおそれず、異色な抜擢

植田:田村さんをはじめとして、八木さんの抜擢力は抜群で、初プロデュース作である「昭和四十六年 大久保清の犯罪 戦後最大の連続女性誘拐殺人事件」(83)でたけしさんを起用するとか、「人生は上々だ」(95)で浜田雅功さんを主演にして木村拓哉さんと組ませるとか、大胆ですよね。TBSで木村さんが最初にドラマ出演したのは八木さんの作品ですよね。

八木:そうそう。

植田:そういう抜擢っていうのはどういう基準でやってるんですか。

八木:そこに計算はないよ。

植田:いつか……とあっためてらっしゃるわけではない?

八木:あっためるんじゃなくて、「面白そう!」っていう下世話な興味(笑)。「うちの子にかぎって」で田村さんが子供たちに振り回されたら面白そうとか、ただそれだけなんですよ。その前に「くれない族の反乱」(84)という不倫ものがあって、大原麗子さんが主役で、田村さんが相手役で。なかなかすてきなラブストーリーなんですけども、田村さんが離婚のために実の子と別れる遊園地のシーンが切なくて、モニター見ながら、泣いちゃったんですよ。その時に「田村さんと子供っていうのはあるな」っていうインプットはあったんですよね。

植田:大久保清は、なぜ、たけしさんだったんですか。

八木:これは、かっこよく言っちゃうと勘ですよね。あの時は、編成には大反対された。当時、役者としての実績がなかったから。でも、俳優じゃないほうがリアリティーが出ると思ったんですよね。

植田:「男女7人夏物語」(86)でさんまさん主演でラブストーリーをやった生野慈朗さんもすごいと思うんですけど、たけしさんであのシリアスなドラマをお作りになった八木さんもすごいですよね。

八木:役者・ビートたけしとしては、あれからもう、ずっといろんなことやられていますけども、大久保清の演技がベストだと思うんですよ、やっぱり。あの佐藤慶さんとの取調室のシーンがベストだと思っています。

植田:結果オーライですけど、失敗した場合はこわい賭けですよね。

八木:そのリスクはあるけれど、僕は、もともとドラマ制作志望ではなくて、ほんとうは音楽の仕事がしたかったこともあって、当時、このままドラマをずっと作っていく覚悟をしていなかった。それで失敗を恐れず、押し切ることができたんです。ビギナーズラックじゃないけど、運が良かったんでしょうね。

◯プロデューサーの時代を作った

植田:音楽番組志望だったんですか。

八木:そう。 TBSには『サウンド・イン"S"』とか、すてきな音楽番組があって、そういう番組をやりたかった。僕はドラマに関しては素人でした。TBSでドラマ志望者は、学生時代に演劇や映研活動をしていた人がーーとくに演劇が多かったね。そのなかで僕は、大学でジャズのビッグバンドのサークルに入っていたから、まったくドラマツルギーみたいなものがなく、そんな僕の素人感覚と、視聴者の感覚がフィットしたのかなと思う。上司から、僕の作ったドラマはドラマじゃないって言われたこともありましたけれどね(笑)。

植田:ディレクター至上主義だったところから、プロデューサーのバリューを打ち出したのは八木さんが最初だと思うんですよ。

八木:ディレクターとプロデューサーっていうのは全く違う職能っていうのがみんな気付きだしたんだよね。当時、二十代でADをやって、三十代でDをやって、四十代でPになるというのがドラマ制作のヒエラルキーだったのが、たまたま僕が、「大久保清」を32歳でプロデュースして、それがちょっと評価されて、その後の「うちの子〜」も良くて。30前半で僕がプロデューサーになったことで、それまでの認識が崩れるきっかけにはなったかもしれない。

植田:僕なんかは、八木さんのドラマを見て、作品を作るのはプロデューサーなんだと思ったんですよ。企画を考え、脚本を脚本家と共に作るのはプロデューサーの仕事だと。八木さんがそういう立ち位置をつくらなければ、その後の伊藤さんや貴島さんも、果ては僕らなんかも、磯山晶もそうですけど、立ち位置が全くなかったですからね。

八木:僕も伊藤も貴島も、ディレクターとしては失格なやつがプロデューサーをやってるんだよ(笑)。いま、若い子に、プロデューサーとディレクター、どちらを選べばいいでしょうかと聞かれると、僕は一も二もなく、「ディレクターのほうが面白い」って答えますよ。テレビドラマの人たちは、プロデューサーがヒエラルキーのトップと勘違いしていて、プロデューサー志向のほうが多いけれど、あれはもう全く間違いだね。土井裕泰の仕事などを見ていても、ディレクターってすごいと思うな。

◯レコード会社のサンプルは全部聞く

植田:主題歌を選ぶのもプロデューサーの仕事で、貴島さんはビッグアーティストを連れてくるけど、八木さんは未知な才能を連れてきて、片っ端からヒットさせてるじゃないですか。八木さんはどうやって、新しい才能に出会っているのだろうと思ったら、いろんなレコード会社さんが持ってくるデモテープを全部聞いて良いものと不要なものを仕分けしていると。

八木:よく知ってるね(笑)。

植田:いや、もう、ずっと憧れて見てましたから、八木さんの仕事を盗めないかと思って(笑)。

八木:ドラマプロデューサーの仕事で、僕が一番楽しいのは主題歌を決めることだったんですよ。もともとレコード会社ないしは音楽番組の仕事をしたかったから。サザンとかユーミンは大好きだけれど、すでに売れているから、あえてまだ世に出てない人を起用していたら、たまたまみんなヒットした。ドリカム(「笑顔の行方」)とブルーハーツ(「トレイン・トレイン」)と宇多田ヒカル(「ファースト・ラブ」)、これは自分の中でもやった感があった(笑)。

植田「はいすくーる落書」(89)と言えばブルーハーツみたいな、こう、ぽーんとドラマと音楽が一緒に浮かんできますもんね。

八木「もしも願いが叶うなら」は中山美穂ちゃんの「ただ泣きたくなるの」はレコード会社から提案されるのがどれも良くなくてなかなか決まらなかった。彼女の主演ドラマだから、彼女が歌うことは決まっていたけれど、楽曲が決まらなくて。ちょうど僕が、いいなと思ってとってあった国分友里恵さんの曲を歌ってもらうことになったんだよね。

植田:僕、その瞬間、見てました。僕、APとして撮影スケジュールをせっせと切っていたんです。浜田雅功さんのスケジュールの問題でロケには出られないから、セットで撮ることにしたりしたら、40シーンのうちの38シーンがセットでそこに浜田さんが全部出ることになって、逆に大変で(笑)。そんなてんやわんやの合間に「八木さん、主題歌も決まってないですけど」って聞いたら、引き出しからおもむろに一本のデモテープ出してきて。それから一週間ぐらいで決まったんですよね。新井順子が主題歌づくりに粘るのは、八木さんの弟子筋だからだと僕は思います。

八木:彼女は熱心だったよね。「さとうきび〜」の時のADで、華奢だから、体力もつかなと心配だったけれど、すごい頑張り屋だった。

◯役者と距離感をとる

植田:作家とは日常的に食事したりされるそうですが、役者さんと食事に行ったりは?

八木:しない。こう見えても、人見知りするんですよ。特に役者には。プロデューサーは「いまのいいお芝居でしたね」と褒めるのも仕事のひとつだと思うけれど、僕はそれにはそれができない。言えば言うほどお世辞みたいな感じになっちゃって。

植田:「もしも〜」の時に、浜田さんが「八木さん、八木さん」って呼んで、役者の中に八木さんを取り込んで話した時に、中山さんが「長い間、仕事してるけど、八木さんと初めてしゃべった」っていうのを聞いて、「ほんとかよ」って思ったんですけど、何か、ほんとにそんな感じだったんですか?

八木:「はいすくーる落書」(89)は斉藤由貴さんが主役で、打ち上げの時に「私のことあんまり良く思ってなかったんですか?」みたいなことを聞かれました。確かに「おはようございます」と「お疲れさま」しか言った記憶がないんだよね(笑)。「いやあ、ごめん、ごめん」って。貴島は、そこら辺がすごいうまいんだよ。「最高ですね、今のお芝居」とか何か(笑)。

植田:貴島さんは営業と編成出身だから(笑)。

八木:かっこよく言っちゃうと、役者とはあんまり仲良くなっちゃだめだと思うんですよ。やっぱりある距離感を保たないとだめだなと。

◯やっぱり芝居を大事にすべきである

植田:「おやじの背中」は父と子をテーマに、10人の脚本家の書いた1時間ものの競作で、第一線で活躍する作家が集まったことが快挙でしたよね。三谷幸喜さんはTBSで書いていないし、倉本聰さんにしてもなかなかお書きにならないのに。しかも、10人の作家の提示した内容が、まったくかぶっていなかった。普通、ああいうテーマでやったら、2、3本、同じようなエピソードが出てきそうなものなのに、作家のほうから「皆さんどういう話を書くんですか?」と一回も問い合わせがなかったにもかかわらず、見事に全部違っていたということを知って感心しちゃって。

八木:皆さんがあの企画に快諾してくれたのは、作家さん自身のいまのテレビドラマに対する危機感だと思うんですよね。いま、オリジナルがほとんどなくて、原作ものばかりじゃないですか。このままだとまずいなっていう、作家さん自身が思っていたんじゃないかな。

植田:いまは、コミック業界にテレビがおんぶに抱っこになってる感じがして、それがコミック業界に申し訳ない気がするんですよね。漫画の世界は、トライ・アンド・エラーを繰り返してるのに、テレビ業界はそれを全然しないままやせ細っていってる感じがして。

八木:もったいないよね。トライ・アンド・エラーするんだったらオリジナルで勝負したほうがいいと思うんだよね。何でそうなっちゃってんのかな。連続でなくてもいいけど、単発スペシャルをやったり、8月には戦争ものをやったり、芸術祭へちゃんとした作品を出すとか、そういうことの積み重ねが大事だと思うよ。

植田:そういう危機感を覚えられたのは、ここ10年ぐらいですか?

八木:そうだね。僕たちの時代は、プロデューサーになることはやりたいことをやる手段だったけれど、いまは、プロデューサーになることが目的になって、あとの仕事はドラマの原作を探すだけみたいな……(苦笑)。植田はプロデューサーになって、「ケイゾク」(99)や「SPEC」(10)など自分の世界観を出しているでしょう。新井順子なんかもそうだ思うし。植田はこの先、やりたいことはないの?

植田:ホームドラマをやりたいです。僕、TBSに入ったとき、八木さんのドラマみたいなものをやりたいと思って、実はホームドラマの企画書を幾つも作ったのですが、八木さんのドラマと比べると全然面白くなくて。俺にはホームドラは無理だと断念していたんです。それが五十代にして、いよいよホームドラマに挑んでみようかと。あえて、石井ふく子先生のドラマのようなマルチ撮影で、稽古場でリハーサルもやって……などと考えているところです。(注 マルチ撮影とは四台から六台のカメラを一度に回して撮影する手法)

八木:やっぱりマルチだよね。カット撮りだと芝居が途切れる。いま、映像主義っていうか、カットをたくさん割って、アングルもたくさんあってというものが好まれているけれど、ここぞというシークエンスでは芝居を続けたほうがいい。映像優先か芝居優先かで、芝居を優先するならマルチのほうがいい。とりわけホームドラマはマルチのほうが全然いいわけですよ。

植田:僕は「ケイゾク」の時に、オールロケスタイルでドラマ作りを、TBSの中で最初に始めちゃったから、「セットドラマの文化をとり戻さないと」と思って、あえてセットドラマをやりたいですね。「大久保清」のあと八木さんがやった「雨の降る駅」(86)という傑作があります。ホームドラマではないけれど、ワンセットもので、実景以外は全部セット。そこに、たけしさんや、島倉千代子さんなど錚々たる方々が入れ代わり立ち代わり登場するなかで、大原麗子さんと正和さんが別れ話をする。あれは名作ですよね。ワンセットで2時間もたせてみせるぞって30代半ばのプロデューサーが決断することってすごい。

八木:それは鎌田敏夫さんっていう優れた脚本家がいたおかげですよ。マルチはいいけれど問題は、いま、スイッチャーがいないことだよ。いる、まだ?

植田:昔は、伝説のスイッチャーが何人もいましたけど。新規にチャレンジする技術マンを探しているところです。

八木:ホームドラマは映像じゃないからね、やっぱり。

植田:間合いですよね。

八木:間合いだ。間合い、間合い。僕はいつか、「おやじの背中」のお母さんバージョンをやりたいと思っています。

profile

八木康夫 Yasuo Yagi

1950 年、愛知県生まれ。73年、TBS入社、2016年退社。現在TBS 顧問プロデューサー。84年「くれない族の反乱」で初プロデュース以後、数々のヒットドラマをプロデュースする。連続ドラマ「うちの子にかぎって」「パパはニュースキャスター」「ママはアイドル!」「真昼の月」「魔女の条件」「おやじの背中」、スペシャルドラマ「昭和四十六年 大久保清の犯罪」「さとうきび畑の唄」「スローな武士にしてくれ〜京都 撮影所ラプソディー〜」「令和元年版 怪談牡丹燈籠 Beauty&Fear」など。

植田博樹 Hiroki Ueda

1967年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業後、TBS入社。ドラマ制作部のプロデューサーとして、数々のヒットドラマを手がける。代表作に「ケイゾク」「Beautiful Life」「GOOD LUCK!!」「SPEC」シリーズ、「ATARU」「安堂ロイド~A.I .knows LOVE?~」「A LIFE~愛しき人~」「IQ246~華麗なる事件簿~」「SICK‘S」などがある。

◯取材を終えて

「スローな武士にしてくれ」は、筆者のここ数年のベストドラマの一本に挙げたいほど面白いオリジナルドラマだった。脚本がよくできていて、俳優が生き生きしていて、それをまた最新機材で撮影した、気迫を感じるドラマだった。

1月2日に放送される「ライジング若冲(じゃくちゅう)~天才 かく覚醒せり~」は同じく京都で撮影したドラマ。古典と現在を鮮やかに混ぜ合わせたパッケージの手つきが鮮やか。まさかのBLふうな雰囲気も女形の七之助だからこその説得力がある。

先日、たまたま、「ライジング若冲」に関する取材に筆者が参加したとき、遠くで八木さんがいろんなヒトに「八木さん」「八木さん」と尊敬の眼差しで見られていた。植田さんとの対談では、口下手、人見知りなどと謙遜されていたが、たくさんのおもしろいドラマを作ってきたスーパープロデューサーのカリスマ性はいまだ健在だ。

八木康夫さんのドラマは、ホームドラマが有名ではあるけれど、外国のホームドラマを見て育ったからだろうか、発想が自由で、広がりがある。「パパはニュースキャスター」とか「ママはアイドル!」とかタイトルだけで事件感がある。プロデューサーデビュー作の「大久保清」もタイトルとキャスティングだけ一瞬でヒトの心をキャッチする。でもタイトルだけでなく中身もしっかり充実している。

八木作品にあこがれているという植田さんは、パッと見では判断できないひねったドラマを作っているのだから不思議なものだと思うが、共通するのは何かヒトのこころをざわつかせるところだろうか。

そんなふたりがそろって俳優の芝居を優先したドラマの復権を語っていたことは興味深い。芸術祭に出すようなドラマを作っていくべきという話しも出た矢先、八木さんのプロデュースした「完本 牡丹燈籠」が令和2年度文化庁芸術祭優秀賞をとったことも喜ばしい。

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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