宇治川はあの世とこの世の堺。道長(柄本佑)がまひろ(吉高由里子)への愛に生き過ぎる「光る君へ」
道長VS三条天皇
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)第42回「川辺の誓い」(演出:中島由貴)。三条天皇(木村達成)の時代になると、道長(柄本佑)に次々困難がふりかかる。まず、顕信が出家して明子(瀧内公美)がショックのあまり倒れてしまった。
「あなたが顕信を殺したのよ」
三条天皇から提示された顕信の蔵人頭就任を道長が受けなかったため、絶望して現世を去ったのだ。
「あなたが顕信を殺したのよ」とは物騒な言い方だが、定子(高畑充希)のときから描かれていたように、この時代の出家とは死と同義語なのである。お寺に家出してみた、というようなカジュアルなことでは決してないのである。
臥せった明子は「比叡山は寒いでしょう。身一つで行ったゆえ……」「凍えてはおらぬであろうか」と出家した息子を心配し、俊賢に「兄上、暖かい衣をたくさん、たくさん届けに行ってくださいませ」と頼む。
比叡山、確かに寒そうだ。息子のために「暖かい衣を」というセリフを書くところが大石静さんのすてきなところだと思う。
結局のところ「光る君へ」の権力争いは兼家(段田安則)のときから何かと家族の問題とつながっている。
明子はすっかり衰えて口調がはっきりしない。振り返れば、詮子(吉田羊)が亡くなる直前も、吉田羊ははっきりしゃべれない演技をしていた。よくドラマを見ていて、死に際、そんなにはっきりしゃべれないだろうと気になることがあるが、「光る君へ」はこのへん、リアルなのである。
その次は、皇后問題。
三条天皇が東宮妃・娍子(朝倉あき)を皇后にすると言い出し、道長を悩ませる。道長の娘・妍子(倉沢杏菜)が三条天皇の中宮になったものの、なかなかお渡りがないままで、娍子を皇后にすれば妍子の元に渡ると三条天皇は交換条件をつきつけてきたのだ。
「そなたがこれを飲まぬなら朕は二度と妍子に元には渡らぬ」
仕方なく要望を聞くも、このまま引き下がれない。娍子の立后の日に妍子の内裏参入をぶつけるという対抗策を講じる。左大臣の面目を守るためだった。
娍子の立后の儀の時間をずらしたが、誰もが道長に遠慮して欠席し、参加したのは実資(ロバート秋山)のほか、隆家(竜星涼)、懐平、通任の4名だけだったとか。道長の威光強し。
三条天皇は実資を取り立てようとするが、実資はあくまで中立(?)的な立場である。
あからさまに険悪な状況で、三条天皇は妍子のもとに渡らない。理由は、あくまで妍子が若い男性をはべらせていて、年の離れた自分の出番がないというものであった。男女関係のこじれである。
道長、倒れる
心労のせいか、道長はしだいに健康状態が悪くなっていく。顕信が出家した比叡山に訪ねていったら僧に石をぶつけられた(比叡山の僧の霊力?は強く石にもたたりの力があると言われれいるとか)せいであろうか。道長が馬から降りなかったから怒って石をぶつけてきたのだとか。道長も意外と不遜だよなあと思うのだが……。
弱ったときは、まひろ(吉高由里子)のもとへーー。
一条天皇には絶大な効果のあった「源氏の物語」は「もはや役には立たぬのだ」と言いながら道長は「なんとかならぬか」とまひろの知恵を借りようとする。
「もはや役には立たぬのだ」のセリフはSNSで大不評であった。
もはや自分のできることは何もないのかと虚しくなるまひろ。
「もの思うと 勝る月日も知らぬまに 年もわが世も今日や尽きぬる」と書く。
物思いばかりして月日が過ぎたことを知らないままに、自分の生涯も今日で尽きるのだろうか、という意味合いの和歌は、「源氏の物語」第41帖「幻」に登場。紫の上を亡くした光源氏が詠んだ辞世の歌である。
この歌、吉高由里子が主演した朝ドラこと連続テレビ小説「花子とアン」で主人公の花子が詠んだ「まだまだとおもいてすごしおるうちに はや死のみちへむかうものなり」とも心境が近いように思う。花子(モデルの翻訳家・村岡花子)は幼くして「源氏物語」を読んでいたのだろうか。いやいや、偶然であろう。
というか「花子とアン」に主演したときに、すでに吉高由里子は紫式部を演じる運命にあったと思えた。
「もの思うと 勝る月日も知らぬまに 年もわが世も今日や尽きぬる」
雲隠
そして、まひろは「源氏の物語」は終わったと書くことをやめて、このまま出家しようかしら、などと言い出す。そして「雲隠」とだけ書いて実家に戻ってしまう。文鎮が三日月型で趣がある。
その頃、道長は病で倒れ、左大臣を辞する決意をする。するとたちまち宮中に怪文書が出回る。いったい誰が味方で誰が敵なのか。
夕顔や空蝉のようにすっかり儚げになる道長。白い着物をまとい、柱に力なくもたれている姿は絵に描かれた貴族のようだった。ひぐらしの音もあまりにも似合う。
心配した百舌鳥彦(本多力)の報告を受け、宇治で静養している道長に会いに行くまひろ。
病を押して道長はまひろと連れ立って川を見る。
「早めに終わってしまったほうが楽だというおまえの言葉がわかった」と生きることにほとほと疲れた様子の道長。
「私との約束はお忘れくださいませ」とまひろ。
「おまえとの約束を忘れればおれの命は終わる」と道長。
ふたりの眼の前には宇治川ーー。
すべては川からはじまった。
川で出会ったふたり。流れ流れてずいぶん遠くまで来てしまったように思うが、気づけば川に戻って来ていた。ただし、序盤の川はたぶん、鴨川で、今回の川は宇治川である。鴨川は桂川と合流し、桂川と宇治川は合流して淀川につながる。川はどこかでつながって海への流れていく。
大河ドラマの川、三途の川の川、川はいろいろなものを象徴している。
宇治川はあの世とこの世の堺とも言われている。
「ならば私も一緒に参ります」
まひろも道長も人生に疲れている。実際、年もとっていて、役目が終わったまひろはいっそこのままふたりで流れてしまおうかと道長に持ちかける。
「この川でふたり流されてみません?」
すると、道長は、まひろには「おまえは俺より先に死んではならん」と言う。
愛する人の死を見たくないのが愛情である。
要するに、道長はまひろだけが大事なのである。自分がこれまで権力の頂に上り詰めてきたのはひとえにまひろにえらくなって社会を変えてほしいと言われたからだった。周囲にどれだけそしられようと、たくさんの人を不幸にしようと構わない、まひろのためにてっぺんを取ろうと頑張ってきただけなのだ。でももうほとほと疲れてしまったのである。
「ならば道長様も生きてくださいませ。道長さまが生きておられれば私も生きられます」とまひろは言う。
まひろだって同じこと。道長の死を見たくはない。
道長はすんとした顔をぐしゃぐしゃに崩して泣く。いままでずっと我慢してポーカーフェイスを貫いてきた道長が自分の弱さをさらけ出し、あの世にいきかかった足を現世に戻したのだ。
まひろは、「宇治十帖」執筆にとりかかる。紫式部の作品ではないのでないかという説もあるが「光る君へ」ではまひろと道長の愛の証として、そして互いが生きるための物語となるようだ。
なんてすてきな愛の物語であろうか。
ただ、政治も文学もすべてがふたりの恋愛に回収されてしまうと、スケールがいささか小さく感じてしまうのも否めない。大河ドラマでそれをやったことがチャレンジなのだと思うけれど。
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか