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今の日産はポスト・ゴーンの「リバイバルプラン」が必要なほど危機だ!

井上久男経済ジャーナリスト
日産自動車に迫る難局を乗り切る覚悟と力量はあるのか。日産の西川廣人社長兼CEO(写真:つのだよしお/アフロ)

 日産自動車の西川廣人社長兼CEOが日本経済新聞などのインタビューに応じ、特別背任などの容疑で、逮捕・起訴されたカルロス・ゴーン氏の経営手法について、海外事業などは「うまくいっていたのは幻想だ」と述べ、「ゴーン流経営スタイル」を完全に否定するかのような発言をしている。

「日産VS.ゴーン」その功罪とは

 しかし、筆者はゴーン氏のやり方がすべて間違っていたとは思わない。ゴーン氏が日産の経営トップに君臨していた過去20年間を振り返り、その功罪を検証してみたい。

 筆者は、朝日新聞記者時代の1998年8月に日産担当となって以来、フリーに転じてからも日産を観察してきたし、ゴーン氏には単独インタビューを何度も行った。この20年間を振り返ることは、記者としてのライフヒストリーを振り返るような気持ちでいる。

拙著『日産VS.ゴーン 支配と暗闘の20年』の中で、創業者・鮎川義介氏以来の歴史を振り返りながら、ゴーン氏の功罪や私物化の構図も紹介した。それを一部紹介する形でこれから述べていきたい。主要メディアがあまり報じていないことだと思う。

コミュニケーション改革

 ゴーン氏が日産に残した「功」の部分は主に3つある。

 まず最初に「組織内コミュニケーション」の改革だ。来日当初のゴーン氏は、言語や国籍、価値観などが違う様々な社員の考えを吸い上げると同時に、自分の考えを正確に伝え、会社を一つの方向にまとめていくことを重視していた。

 2004年頃、日産の幹部がこう語ったことがある。「ゴーンさんが来て、最も変化した社内システムが社内コミュニケーションの手法。各職場にモニターが1台ずつ配置された。社内システムと繋がり、経営計画や決算など重要な対外的な発表は、すべてこのモニターに映し出せる。社員はゴーン氏の考えをライブで聞くことができるようになった」。

それ以前の日産社員は、新聞やテレビで会社に関しての話を初めて知ることが多かったそうだ。また、その頃のゴーン氏は発表の前に必ず幹部社員を集めて、その狙いなどを説明していた。これにより、会社の意思決定とそのプロセスが瞬く間に社内に伝わるようになった。あたかも滝(カスケード)が流れ落ちるように伝わることから「カスケード・コミュニケーション」と呼ばれた。

 経営者が何を考えているかが末端にまで直接伝わらないと、危機意識が共有できない。実際に動くのは社員たちなので、これでは行動が早くならない。ゴーン氏が来日した当初、日産は経営危機から完全に脱出できたわけではなく、社員に会社の置かれた現状を開示することで危機感をもたせる狙いもあったようだ。

 

人材発掘システムの改革

 2つ目が人材発掘のシステムを大きく変えたことだ。ゴーン氏は99年9月、「ノミネーション・アドバイザリー・カウンシル(NAC=人材開発委員会)」を設けた。海外の子会社も含めて部長以上の管理職の人事や評価は一元化する狙いだった。こうした制度は今でこそ珍しくないが、20年前の日本企業では斬新な制度だった。

 この時にも筆者はゴーン氏にもインタビューしたが、こう語った。「NACの会議室には世界中の管理職の経歴や顔社員を張り付けている。すぐに昇格させる対象者を思い出せるようにしている。これまでのように『あいつはできる』といったあいまいな評価はやめ、これまでの実績と将来期待できる実績をもとに人材起用をしていく。年齢も性別も関係ない」

 そして最も印象に残ったのが「人柄や忠誠心は後回し」という一言だった。これは数字(成果)を出せる人材の昇格を最優先するという意味だ。

 このNACをうまく機能させるために置いた役職が「キャリアコーチ」だった。常に6人ほどいて、人事部に在籍しながらも人事部長の支配下ではない独立部隊という位置付けで、「社内ヘッドハンター」「社内隠密」と呼ばれることもあった。

「社内隠密」と呼ばれた所以は、若くて将来有望と見られる人材に対してその上司に内密でアプローチするからだ。能力が高くても、上司と折り合いが悪いために評価が低いケースもある。あるいは成果主義の導入で、上司が自分の成果を出すために、優秀な部下の将来のキャリア開発を考えずに自分の手元に囲い込んでいることもある。人材を埋もれさせないためにチェックする使命も持っている。ゴーンは「社員は上司のものではなく、会社のアセット(資産)だ」と指示を出した。

「社内隠密」キャリアコーチの威力

 キャリアコーチは、人事の専門家ではない。企画、開発、営業などビジネスの最前線で部長職などを歴任した仕事師たちだ。英語が流暢で、世界を飛び回って潜在能力の高い人材と面接し、リストアップする。取締役会以外は社内のすべての会議に出席できる権限を持っていた。新規プロジェクトのリーダー役の推薦を求められれば、即座に適任者をピックアップして、NACに上申した。

 後にリージョナル(地域)NAC、ファンクショナル(機能)NAC、コーポレートNACの3つに分かれ、地域ごと、生産や開発などの部門ごとに優秀な人材をクロスチェックでノミネートしていった。地域と部門で意見が食い違う場合は、毎月1回開かれるコーポレートNACで判断した。

 このキャリアコーチの人材発掘によって、インドネシアの子会社の役員だった現地人を大抜擢し、アセアン全体の戦略を立案するポストに起用したこともある。これまでの日産だったら考えられない人事だった。

 当たり前のように見えるこうした機能が日本の大企業の人事部には備わっていない。「人事部は評価制度を作ったり、労組と交渉したりする仕事が中心になっており、人材とビジネスを結び付ける能力が低い傾向にある」と人事制度に詳しいコンサルタントは解説する。こうした逸材を発掘する能力の低さが、日本企業の競争力低下の要因の一つになってはいないだろうか。そこにゴーン氏はメスを入れた。

先取りした働き方改革

 3つ目がホワイトカラーの生産性向上だ。ゴーンはここにも注力し、昨今話題の働き方改革を先取りしていた。その生産性向上の活動を01年から本格化させ、「V―up推進活動」と名付けた。Vはバリュー(付加価値)の頭文字を取った。

 日産の製造現場には「日産生産方式」という方法論が浸透しており、仕事が標準化されやすいようになっている。ところが、ホワイトカラーの職場では確立された方法論がなかった。それを改めていこうという活動でもあり、課題解決と意思決定を効率的に進めるためのチーム運営手法の確立に主眼が置かれた。

 たとえば、会議は結論を出すための場と位置付け、効率的に運営するための社内資格「Vエキスパート」や「ファシリテーター」を設けた。そして、研修を受けた者しかその任に就けないようにしている。ノウハウはマニュアル化され研修のテキストにぎっしり記されている。

 その任に就けば、会議運営が効率的になるように資料作成の指示などをサポートすることが求められた。同時にサポートを通じて、組織を見る目や束ねる力を養うことにもつながり、人材育成としても有効だった。

 ちなみに日産では、会議の前にいつまでに結論を出すのかを明確に定め、予定外の議題は持ち込まないことなどが徹底される。細かい議事録も作成せず、ホワイトボードに決まったことを書き込み、それを携帯電話のカメラなどで撮ってメールで関係者に送る。議事録を作成している時間は付加価値を「生産」しているとは見なさないのだ。日産では業務の改革手法を知的財産と位置づけ、そのノウハウを外販している。

 99年の来日以来、ゴーンが取り組んできた改革によって日産に新たな企業文化が芽生えたことは間違いないだろう。

忘れ去られた現場主義

 しかし、05年に転機が訪れた。ゴーン氏はルノーCEOに就いた。日産CEOとの兼任だ。権力の一極集中が始まった。ゴーン氏は日本に住んでいたが、パリに戻り、1カ月のうち3分の1ずつ、パリ、東京、ニューヨークで暮らすようになり、日本の販売や製造の現場に出向くことも少なくなった。

 ゴーン氏は完全に「現場主義」を忘れた。07年3月期決算では来日以来初の減益となった。当時、筆者は日産の工場がある地域や販売店に出向いてゴーン流の数字優先の「コミットメント経営」や過度のコスト削減が限界に来ていることを目の当たりにした。

 ただ、08年にリーマンショック、11年に東日本大震災といった緊急非常事態が起こり、「ゴーン流」の短期間でリストラして浮上する経営手法が奏功した。トヨタ自動車やホンダに比べて日産の回復が早く、ゴーン氏の手法が再評価された。

 しかし、危機を脱し、日産は持続的な成長を求めていかなければならない局面になったが、短期的な収益にこだわりすぎるゴーン氏は、無理な数値目標と良い製品づくりへの投資を怠り、日産の現場を疲弊させた。

 日産を再建させた「カリスマ」「剛腕」といった名声とは逆にゴーン氏の経営者としての力は完全に衰え、「老害」となった。そして会社の私物化に手を染めた。

連結外しの巧みな構図

 その私物化の象徴的な行動が、ベンチャー投資を目的として設立された子会社「ジーア」の存在だ。当初は子会社だったが、連結を外すことで監査などから逃れる狙いがあったのは明白だろう。

 次の図をご参照いただきたい。

                   日産本社

                     ↓

                   欧州総括会社

                     ↓

                   欧州日産

                     ↓

                 日産自動車部品センター

                ↓         ↓

               ジーア社    日産インターナショナル金融

                ↓              (パリの邸宅保有)

             ハムサホールディングス

              ↓        ↓

             ハムサ1      ハムサ2

        (リオのマンション保有)   ↓        

        (租税回避地)        フォイノス        

                       (ベイルートの邸宅保有)

                      

 ジーア社は今では子会社ではなく、日産本社から見れば、孫会社の孫会社という位置づけになっている。そのジーア社の下にさらに会社を設立し、ブラジル・リオデジャネイロやレバノン・ベイルートの豪華マンション、豪華邸宅を保有しているのである。

 この連結外しの案件は、日産側は社内調査によって詳細を把握していると見られる。刑事事件になっているわけではないが、こんなことをしていては、経営者失格と言われても仕方あるまい。

2月12日、大幅な下方修正をした決算について説明する西川廣人社長兼CEO(筆者撮影)
2月12日、大幅な下方修正をした決算について説明する西川廣人社長兼CEO(筆者撮影)

「ゴーン流」を否定するだけでは再生はない

 ただ、最後に敢えてこれだけは付け加えておきたい。こうしたジーア社の案件は、日産の経営会議で提案され、承認されている。さらに、社内やOBの中には「ゴーンさんは裏報酬をもらっているとの噂があったので、逮捕されても全く驚かない」といった声もかなりある。日本人上層部には、ゴーン氏の「罪(刑事事件の罪という意味ではない)」の部分を薄々気づいていながら、ゴーン氏に媚びて地位やカネを得た人たちがいることも事実である。

 日産は2月12日、2019年3月期決算での業績見通しを大幅に下方修正した。主力市場の北米や中国で販売が落ち込み、短期間での回復は至難の業だろう。肝心のガバナンスや商品造りにおいて、これまで何が間違っていて、何が正しいのかを経営陣と社員が一丸となって検証し、再出発しなければならない局面にある。

 こうした中で「ゴーン流経営」を単に否定するだけでは日産の再生はないと思う。ゴーン氏に頼らない「リバイバルプラン」が必要だ。

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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