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『虎に翼』華丸大吉があきれた寅子の暴走 もう少しで『ちむどんどん』化するところだった

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

『あさイチ』では朝ドラを話題にすること

朝ドラが終わると『あさイチ』の華丸大吉と鈴木奈穗子アナが、朝ドラの感想を言う。

毎朝のだいたいのお決まりである。

必ず毎日ではないが、週5話のうち少なくとも3回、だいたい4回は話題にする。ときに10回連続で感想を言うこともある。

あさイチが休みだと、当然、感想はない。

高校野球中継は、NHKにとっては一大事業らしく全試合を完全中継しているので、その期間はお休みになる。

天変地異のあともしばらく触れなくなる。ミサイルが飛んでもお休みになる。

そういう特殊な場合をのぞき、だいたい週4回くらい話題にする。

素直におもったことを言う係

喋るのは博多華丸・大吉の二人と、鈴木奈穗子アナである。

喋る内容は、素直な感想だ。

「素直におもったことを言おう」というのが、たぶん(何も取り決めてないとはおもうが)三人の心がけだとおもわれる。

主人公がピンチのときは、心配する。

嬉しいことがあったら喜ぶ。

大きな問題が起こると一緒に悩む。

誰かが死んだら泣く。これは、鈴木アナが受け持っていることが多い。

「逃げ恥」みたいであり「金八先生」をおもいだす

素直な感想というのは、ヒロインが契約結婚にしようと言いだすと、「逃げ恥」みたいでいいんじゃないですか、と、新垣結衣と星野源のドラマの話をしたり(34話/5月16日)、道男くんという少年(和田庵)について「金八先生のころのマッチ(近藤真彦)そのものに見えてしかたがない」という感想を言ったり(57話/6月18日)、まあどちらも華丸が言っていたのだが、感想が自由である。

NHK的な制約にとらわれていない。

ただ、この自由な感想を言う人たちが困ったことがあった。

真っ当なヒロインが暴走した回である。

わかりやすく三人が困っていた。

優等生じゃない部分を見せようとしたのか

今回の『虎に翼』のヒロインは、日本初の女性弁護士を描いている。

とても優秀な人だったようで、しかも自分の道を切り開いていったパイオニアでもある。

彼女の前には「古い機構」と「男の社会」が立ち塞がり、誰が見ても彼女を応援してくなる困難に立ち向かっている。

朝ドラヒロインにぴったりのキャラである。

ただ、一度、暴走した。

優等生であるヒロインが、ただのわがままな存在に見えたときがあったのだ。

たぶん、制作陣が、このへんで優等生じゃない部分も出さないと、と考えて作ったんじゃないかと(これはあくまで私個人の推察だが)おもえるのだが、かなり奇妙な仕上がりであった。

家庭のことをかえりみないオヤジ化

それは二つの方向で描かれていた。

一つは、ヒロインが一家を支えて働いているので「家庭のことをかえりみないオヤジ化」している部分である。

兄と夫と父と母を亡くし、戦後、ヒロインが一家を支えるためにフルで働いている。

家事や娘の世話も、家族(嫂と弟と甥たち)に任せっきりになっていた。

娘をほったらかしにしている、という部分で描かれていた。

指摘され、反省して、だから娘を連れて二人で新潟で暮らしている現在に繋がっている。

ここは反省しているらしい。

恩師を痛罵するシーン

もう一つは、恩師を痛罵したシーンである。

たぶん、これも「優等生ヒロイン」の優等生じゃない部分を描こうとして、いきすぎたのではないかとおもうが、でも真意はわからない。

彼女が法曹界を目指すきっかけとなったのは、大学法科の教授・穂高先生(小林薫)という存在があったからである。

いまどきの教授と学生というよりは、もっと深く、大きな影響を与えられた存在だったと考えられる。

ヒロインは日本初の女性弁護士となり、珍しがられるが、でも仕事には恵まれなかった。そのうえ、妊娠したために、彼女は仕事をやめる。

やめていいだろうと、アドバイスをしたのは穂高教授であった。

大人として穏当な意見

このあたりの描き方(二人の関係と距離感)が、どうもよくわからなかった。

ぼんやりみてるぶんには、彼女が勝手に怒っているばかりに見えた。

頑張ったけれど、このへんでやめてはどうか、というのは、ヒロインの意には沿わないだろうが、大人の意見としては穏当だろう。

彼女の存在を馬鹿にしたわけでもないし、軽んじてもいない。

戦争が激しくなっていく時代でもあったし、当然の意見に聞こえたがでも、このあたりを彼女は恨んでいたらしい。

戦後になって教授が退官することになり、ヒロインはその退任の会の世話役も引き受けたのだが、そこで彼女がキレたのである。

なかなかすごかった。

『ちむどんどん』化するのかとビビった

69話であった。

見ていて、え、このドラマはこのまま『ちむどんどん』化するのか、とビビったくらいである。

『ちむどんどん』化というのはつまり、ヒロインが、自分の我を通すため、周りの制止を聞かず、世間の常識や通念に従わず、がむしゃらに突っ走っていってしまう、ということを指している。

近年では『ちむどんどん』でそのスタイルが目立ったが、昔からのふつうの朝ドラのスタイルである。私のなかでもっとすごかったのは『ほんまもん』であるのだが、まあそれはいい。

「わたしはあなたを絶対に許さない」

教授退任の会の、彼女は世話役の一人であったにもかかわらず、教授の退官挨拶を聞いてその言葉にキレて、花束贈呈の役割を放棄、追いすがる教授を痛罵する、というものすごいシーンであった。

彼女が怒って帰りかけているところ、恩師がおいかけてきて声を掛ける。

すると、彼女はいきなり強く「わたしはあなたを絶対に許さない」と宣言する。

「絶対に」ってわざわざ入れなくても、とおもった。

どうすればいいのかと問う老師に対して言った言葉は以下のとおりだ。

書き写していて私にはやや意味が不明なのだが、セリフのまま書く。

納得できない花束は渡さない!

「どうもできませんよ。先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部のわれわれに、報われなくてもひとしずくの雨だれでいろ、と強いて、その結果、歴史にも記録にも残らない雨だれを無数に生み出したことも!」

「だからわたしも先生に感謝はしますが、許さない。納得できない花束は渡さない! 世の中そういうものだと流されない。それでいいじゃないですかっ! 以上です」

そう啖呵を切って、身を翻して、去っていった。

絶対に許さないと面と向かって大声で叫んだことを、私は痛罵と呼んでいる。

そのあと建物の屋上で、ああああと大声で叫ぶ。

申し訳ないが、かなり理解不能で、不快なシーンであった。

見ていたみんなは大丈夫だったのだろうか。

このセリフによれば「歴史にも記録にも残らない」ふつうの人生を、ヒロイン自身が否定していることになるようにおもえるのだが、それでいいのだろうか。

痛快ではなく痛でしかないと華丸は言う

たぶん多くの視聴者は、このシーンでぽかんとしていたのではないかとおもう。

それは、華丸大吉&鈴木アナの反応がそうだったからだ。

この三人も、寅子の怒りが把握できていなかった。

華丸は、「痛快」となりそうなシーンなのに、今回は「痛(つう)!」でしかないと言った。まあ、共感できないし、困ってしまった、ということだろう。(痛かったという深い意味はなかったとおもう)

大吉は、見逃していたのかもしれない、もう一度見返したいと言っていた。

鈴木アナも同様に、もう一回見たいと言っていた。

つまりヒロインの怒りに共感できないのは、自分たちは何かを見落としていたのではないか、確認したい、との告白だと見ていい。

わからなかったと正直に言ったということだ。

三人ともあきれていた、と見ることもできる。(たぶん見返して確認してないだろうから)

華丸&大吉&鈴木アナに「わからない」と言わせたこと

熱心にドラマを追っている三人に、わからない、と言わせたのは、ドラマの不備だったと言えるのではないか。

その後は教授の訃報が知らされるばかりで、ヒロインの気持ちも態度も変わっていない。

けっこう不気味な状態のままだともいえる。

優等生じゃない部分を描こうとして行きすぎたのか、それとももっと深い闇を示したかったのか、わからないままである。

その後、そういう暗い情熱については描かれていないので、あれは一時だけの気の迷いでって、そこはスルーしていいことになっているのだろう。

それはそれでいいとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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