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Dr. ファウチを信頼するワケ コロナ禍の米国をまとめるリーダー不在の中で

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
新型コロナ対策記者会見で説明するDr. ファウチ。大統領の発言訂正もじさない。(写真:ロイター/アフロ)

30日間のスローダウン

 WHOが新型コロナウイルス感染症を「パンデミック」と宣言してから約1カ月が過ぎた。それ以後、米国では嵐のような日々が続き、今では感染者数が33万人以上(4月5日現在)と世界一になってしまった。

 感染拡大を鈍化させるため、3月16日から全米で始まった「15日間のスローダウン」。手洗いの励行、移動や外出の自粛、自宅勤務への切り替え、人と人との物理的距離をあける「社会的距離(Social Distancing)」をとる措置をとったが、感染拡大が続き「30日間のスローダウン」として4月末まで続行することになった。

市民が頼るドクター・ファウチ

 トランプ大統領をはじめ、連邦政府のコロナ対策本部が毎日のように記者会見を開き、状況説明を行っている。口火を切るのは大統領だが、正直言って、私はそこは話半分に聞いて、ひたすらコロナ対策本部の要である国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長の登場を待つ。

 Dr. ファウチはHIVからエボラ出血熱まで、長い間、様々な感染症と戦ってきた超ベテラン医師であり、米国を代表する研究者だ。80年代のレーガン大統領時代からトランプ大統領まで、6人の大統領のもとで、米国立衛生研究所(NIH)における感染症対策の顔として米国市民の健康を守ってきた。

 ニューヨークはブルックリン生まれ、イタリア系のタフな79歳。テレビやラジオに出ずっぱりなので、声はがらがらだ。知識と経験の泉のような人だが、庶民的で頼れる叔父さんのようでもある。NIAID所長としてのワクチン開発などの仕事も山のようにあるのに、今でさえ4-5時間という睡眠時間を削ってでも、市民の健康を守るために伝えるべきことは、あらゆる機会を使って市民に発信している。

 良いニュースに気がはやる時も、戦慄をおぼえるようなデータを前にした時も、事実と科学にもとづいて説明する。まさに医師が、患者に寄り添いながら病状や治療法を説明するかのようだ。

チアリーダーより、本物のリーダー

 Dr. ファウチは毎日行われる新型コロナ対策の記者会見で、人と人の物理的距離をあける「社会的距離」の実践と手洗いの重要性を呪文のように唱える。

 「感染症対策は常に3週間遅れ。今やる対策の結果が見えるのは3週間後だから、大変な状況になる前に行動を起こさなければ手遅れになる。感染症対策にやりすぎはない」というのも、Dr. ファウチの口癖だ。

 一方、再選を控えるトランプ大統領は、経済に影響を与えたくない、米国市民に希望を持たせたいという理由で、新型コロナウイルスの脅威を軽くみるような発言を繰り返す。

 さすがに最近は新型コロナウイルスが「そのうち自然消滅する」とは言わなくなったが、ニューヨークがこれほどの状態になった今でもトランプ大統領は、「アメリカは広い。ニューヨークは感染者が多いが、真ん中には感染者なんてほとんどいない」、「アメリカはじっとしている国ではない。もう少ししたら、再開したいと思っている」、「治療薬(対策)で、経済を殺してしまっては意味がない」などと言う。

 Dr. ファウチが必死に市民に行動を呼びかけても、そのメッセージは大統領によって薄められてしまう。自分は米国のチアリーダーだから、市民に希望を持たせたいとトランプ大統領は言う。

 しかし大統領がDr. ファウチと違うメッセージを発信することで、大統領を強く支持する市民の中には「Dr. ファウチは大げさに言っているだけ」、「Dr. ファウチは大統領の邪魔をする存在」と考える人さえいる。 実際、Dr. ファウチに対する脅迫行為が増えてきたため、FBIがDr. ファウチの護衛を強化しなければならない状況になってしまった。

 命にかかわる危機のただ中にいる今の米国に必要なのは、その時の気分でいろいろなことを言うチアリーダーではなく、国をまとめ、市民が一丸となって自分達の命を守れるよう導いてくれるリーダーだろう。

大統領発のあぶないニュース

 さらにトランプ大統領が記者会見で、新型コロナウイルスのワクチンや治療薬について話すのを耳にすると、とたんに筆者の眉間に皺が寄ってしまう。

 大統領が大げさに売り込むのはよくあることだが、これまでにも「ワクチン開発もすごいスピードで進んでいる」、「治療薬も臨床試験を早めて、早く使えるようにする」、「抗マラリア剤はすでに承認されていて、私の勘だがきっと効くと思う。すぐ使える。ゲームチェンジャーだ」などと、発言している。最近では、安倍首相と話した後に、日本のアビガンを米国でも使えるようにしたいとも考えはじめたようだ。

 現在、新型コロナウイルスに対して効果が認められているワクチンも、治療薬も米国には存在しない。しかし良い方向にだけ考えてしまうというのは、誰にでもあること。大統領の発言は「数か月後にはワクチンや治療薬ができるかも」、「抗マラリア剤を処方してもらえば大丈夫」との誤解を招きかねない。

 このため、再びDr. ファウチが飛び出してきて、ワクチン開発には最低でも1年か1年半かかること、治療で効果があったという例がいくつかある薬も、きちんとランダム化比較試験をやって効果と安全性を確かめないと広く一般には使えないことを、何度も説明することになる。

だからDr. ファウチを信頼する

 Dr. ファウチは医療者であり、科学者だ。人の命を救いたいという思いは誰よりも強い。だからこそ、きちんとしたデータや証拠に基づいた確信が持てるまでは、「効果も安全性も、わからない」とはっきりと言う。いい加減な希望を与えるために、勘や根拠のない希望的観測で話すようなことはしない。

 数理モデルによれば、米国ではCOVID-19のために10万人から20万人が死亡するともいわれている。実際、4月5日現在で、すでに9500人以上が命を落とした。

 新型コロナ対策本部では、様々な数理モデルや米国各地からの検査データなどを日々、詳細に分析している。Dr. ファウチらが注目しているのは、新規感染者の数だ。新規感染者数が安定して下降しはじめた時、ようやく光が見えてくる。新規感染者が減れば、入院患者数も減り、やがては死亡者数も減っていく。

「社会的距離」をとることの効果

 ニューヨークとその近隣州だけでなく、他州の都市部でも感染者数が急増しつつある。死者数が増えることは確実だ。それなのに手を洗い、人と人の距離をあけるという対策しかないのか?

 原始的な方法のように聞こえるが、中国やイタリア、そして米国で最初に感染が広がったワシントン州、カリフォルニア州の例をみても、「社会的距離」をとるという措置で、実際に新規感染者数を下げることができている。

 「もどかしいだろうが、今、効果が実証されている方法は、人と人の距離をあけること。とにかくそれを徹底して続けてほしい。がんばろう。今度もみんなで乗り切ろう」と、Dr. ファウチは呼びかける。私は、政治とエゴと保身で頭がいっぱいの人たちではなく、科学と事実にもとづくDr. ファウチのその言葉を信じる。

「感染をスローダウンさせよう」米国のアダムス公衆衛生局長、バークス・コロナ対策調整官、ファウチNIAID長官の呼びかけ(米国政府広報)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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