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テニス界の伝説の女王が見せる卵巣がんとの向き合い方 5月8日は世界卵巣がんデーです

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
今も凛々しいクリス・エバート。2023年11月の女子プロテニス協会記者会見で。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

クリス・エバートを覚えていますか?

 女子プロテニス界には素晴らしい選手が沢山いるが、私が子どもの頃に夢中になったのは米国のクリス・エバート選手。1970年代から80年代前半に活躍し、ライバルのマルチナ・ナブラチロワ選手と同じく世界四大大会の女子シングルスを18回制覇したレジェンドだ。

 クールな表情で、常に冷静沈着なプレーを展開するエバート選手は、私のあこがれの的だった。彼女の言葉から「テニスブレスレット」と呼ばれるようになった細いダイヤのブレスレットも、エレガントだけど少し近寄りがたいイメージにぴったりだった。

 34歳でプロテニスを引退した後は、テニス教室を開いたり、スポーツ専門チャンネルのESPNで解説者として活躍したりしていたが、2021年12月にはテニス以外のことで報道された。卵巣がんの診断を受けたことを発表したのだ。

 妹のジーン・エバートさんも元プロテニス選手で、引退後はコーチとして後進を育てていた。しかし2020年2月、62歳で卵巣がんのために亡くなった。クリス・エバートさんによるESPNへの寄稿(注1)によれば、ジーンさんが受けていたDNA検査ではBRCA-1の意義不明変異(variant of uncertain significance)は見つかったものの、その当時はBRCA陽性という判定ではなく、医師は家族のDNA検査は推奨しなかった。

キャンサー・ジャーニー

 しかし研究が進んで明らかになることもある。ジーンさんが亡くなって一年半あまりが過ぎた2021年11月に、ジーンさんのBRCA-1意義不明変異は病原性変異であり、最終的にBRCA陽性だったことを知らされた。その後すぐにDNA検査を受けたクリス・エバートさんは、自分も妹と同じBRCA-1変異を持っていることを知り、予防的に子宮全摘出術を受ける決断をした。BRCA1やBRCA2の遺伝子変異がある人は、卵巣がんや乳がんを発症する率が高いからだ。

 さらにエバートさんは手術後の病理報告書により、すでに卵管にがんがあったことを知る。ステージ1cの早期診断で、6サイクルの化学療法を受けた。これにより9割がたは卵巣がん再発のリスクはないだろうと言われた。しかしまだ乳がん発症のリスクが残る。子宮全摘手術から1年後の2022年12月、68歳になる少し前にエバートさんは予防的措置としての両側の乳房切除手術も受けた。

 エバートさんは、その後もテニス指導を続けるとともに、自らのがん体験、がんの家族歴を知ることの大切さや、BRCA変異やDNA検査についての啓発にも積極的に取り組んできた。

 そして2023年12月。エバートさんは卵巣がんが再発したことを発表した。「こんな診断は二度と聞きたくなかったけれど、また早期発見できたことは幸運だと考えています…PET CTスキャンの結果、ロボット手術を受けました…(見える)がん細胞はすべて切除できたので、化学療法をはじめます」と説明し、「家族のがん歴を知って、自らの健康を守って下さい。早期発見が命を救います」と呼びかけた。(注2)

5月8日は世界卵巣がんデーです

 卵巣がんには子宮頸がんのようなスクリーニング検査がなく(婦人科検診では、卵巣がんも子宮体がんも発見できません)、初期症状もお腹の張りや膨満感、腹痛、腰痛、頻尿などちょっとした体調不良と間違いやすいために受診が遅れ、診断時にはすでに進行していることが少なくない。

 日本では傾向として40代半ば頃から卵巣がん発症が増え始める。経口避妊ピルや出産経験が卵巣がんリスクを下げるのだが、日本ではピルの利用率は低いし、出産経験も少ない傾向にある。もちろん若い女性にも卵巣がん発症の可能性はあるので、気になる症状が続くようであれば、早めに婦人科を受診しておきたい。

 また、エバート姉妹のようなBRCA遺伝子変異や、筆者のようなリンチ症候群に該当する遺伝子変異でも卵巣がん発症リスクが高くなるので、専門医と相談してほしい。予防的な手術についてクリス・エバートさんは、頻繁な検査で監視するか、予防的手術を受けるかは個人の選択としつつ「大切なことは、対策を考えることなく放置しないこと」とコメントしている。

 そして「妹は多くの女性と同じように皆の世話で忙しく、自分自身の体の不調は後回しにしてしまった。妹を失った痛みは決して消えないけれど、妹のキャンサー・ジャーニー(がん体験)が私の命を救ってくれた。私のキャンサー・ジャーニーをシェアすることで、誰かが救われることを願っています」と呼びかけた。残念な事態に見舞われても、冷静に信頼できる情報を集めて自らの選択でキャンサー・ジャーニーを歩み、他者にも手を差し伸べようとするエバートさんは、今も私のあこがれだ。

 5月8日は世界卵巣がんデー。世界中で卵巣がん患者を支える団体が、啓発にとりくみます。日本では卵巣がん体験者の会スマイリー(片木美穂代表)が参加し、卵巣がんに関する様々な情報提供や患者からの相談受付もしています。(注3)国立がん研究センターのがん情報サービスや日本婦人科腫瘍学会のウェブサイトにも、一般向け情報が掲載されています。(注4)自分のために。自分が知っている女性のために。卵巣がんについて、信頼できる情報を調べてみてください。

関連リンク

注1 One year later, an update from Chris Evert on her cancer journey(2023年1月17日、ESPN)

注2 卵巣がん再発に関するクリス・エバートのコメント(2023年12月9日、ESPNのX)

注3 卵巣がん体験者の会スマイリー

卵巣がんと診断:私の場合|卵巣がん体験者の会スマイリーnote

注4 卵巣がん・卵管がん 全ページ:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ] (ganjoho.jp)

公益社団法人 日本婦人科腫瘍学会 (jsgo.or.jp)の卵巣がんに関する患者向け動画

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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