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落ちたら水攻め地獄 農業水路に子供が落ちて亡くなる痛ましい水難事故をどう防ぐか?

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
パイロット事業として農業水路に樹脂ネットを張った後の転落試験の様子(筆者撮影)

 農業水路のうち、全国でみられる鋼矢板水路は垂直の壁に囲まれています。落ちたら自力では上ることができません。昨年6月に福岡県で発生した痛ましい事故を受けて、新潟県内で事故防止のパイロット事業が動きました。

痛ましい水難事故

 まもなく1年。2020年6月2日に発生した事故は、新型コロナ感染症の蔓延を防ぐために学校が休校となり、休校が明けた直後に発生しました。記事では男児2人重体と記載されていますが、2人とも後日お亡くなりになっています。

 2日午後5時40分ごろ、福岡県大木町の水路で町立小の男児2人が溺れ、いずれも意識不明の状態で病院に運ばれて重体となっている。筑後署が容体や状況の確認を進めている。

 署によると、2人はそれぞれ高学年と低学年ぐらいで、兄弟とみられる。水路は水深、幅ともに3メートル程度。近くに釣りざお1本と自転車1台があった。友人の小学生が助けを求め、近所の女性が119番した。

 町教育委員会によると、6月から通常授業を再開し、2人は2日も登校していたとみて、身元確認などを急いでいる。 

最終更新:2020/6/2(火) 22:26 共同通信

 水難学会事故調査委員会は、まだ現場の事故調査を行っていません。そのため、現場は上述の新聞情報の記事中の写真などでしか確認することができていない前提で、この事故は鋼矢板水路という、どこにでもある農業水路で発生したとみています。

鋼矢板水路とは

 図1をご覧ください。これは新潟県新潟市で撮影された鋼矢板水路の一例です。深さは3 mほどあります。垂直に切り立った壁と、横に渡ったつっかえ棒が特徴です。垂直に切り立った壁は、鋼矢板という波板のお化けみたいな鉄の板が並び形作られています。つっかえ棒は切梁と言って、壁が崩れないようにしています。また、悪いことに切梁の根もとのところではコンクリートがオーバーハング、つまりネズミ返しみたいになっていて、これでは人が落ちたら上がれず、水攻め地獄が待っているだけです。

図1 新潟市西区寺地付近の農業水路(筆者撮影)
図1 新潟市西区寺地付近の農業水路(筆者撮影)

 鋼矢板水路は全国の至る所で見ることができます。本来は農家以外の人が近づくことがないような農地に建設されていたのです。ところが近年、新興住宅地への農地転用が進み、鋼矢板水路に沿うように住宅が建築されるようになりました。その典型例が図1となります。

 当然、新興住宅地には小さな子供が大勢いて、団地内にて子供たちが遊ぶばかりでなく、近くの小学校や中学校に通うのに、このような水路沿いを歩くこともあるわけです。そのため、写真の寺地地区では水路沿いにガードレールがあるばかりでなく、それに加えて人の侵入を防ぐような柵が隙間なく張り巡らされています。

事故をどう防ぐか

 新興住宅地が迫っている状況では、広大な農地の時代の考え方は成り立ちません。そして「柵を作ったから人は侵入しない」あるいは「侵入した人が悪い」という考え方に頼れなくなっていることを認識しなければなりません。

 当然、農業水路は人の命を育む大事な設備です。農業用水に利用するばかりでなく、大雨の時の雨水を排水し、洪水を防ぐ役目も果たします。まさに地域の人々の生活を支えています。だからこそ、危険を認識しつつ、地域で共存しなければならない存在でもあります。

 柵よりも一歩進んだ事故防止の解決法として、水難学会では樹脂ネットを水路開口部に展開し、人の落下を防ぐ方法を考案しました。この樹脂ネットは、建設現場で特に石などをまとめて吊り上げるような目的で利用されています。

 素材は再生高強力ポリエステル繊維(ペットボトルを再生した繊維)等を心材として、高強度ポリエチレンで被覆しています。有害物質を含まず環境にやさしい、耐候性に優れ、錆びず腐食もしないという特徴を持ちます。

 弾力性に富んでいるので、落下した人をやさしく受け止めます。だから落下の衝撃で大けがをすることがありません。そしてその衝撃でネットが切れることはまずありません。ネットをつかめば自力で元居た場所に戻ることができます。人の命を守るばかりか、ケガさえもさせないくらいの意気込みを感じることができます。

実際の試験施工

 図2は図1の付近の現場で、試験的に樹脂ネットを展開している最中の現場です。

 この現場では、通学路の近くでありながら、ガードレールしかなく、水際まで人が容易に侵入することができます。近くの団地の関係者が管理する土地改良区に対策を求めていました。そこで、新潟県と土地改良区と水難学会で、試験的にネットを設置して有効性を確認することになりました。

 この場所は一言で「落ちたら水攻め地獄」です。合流部にもなっていて、田んぼのシーズンには多くの水が3方向から流入します。そこに雨でも降れば相当な速さの流れ、水深となり、団地の住民ばかりでなく、農家の皆さんの命も脅かします。実際に、台風が来ると田んぼや畑の様子を見に来て用水路に流されて溺れています。

図2 水路の開口部に樹脂ネットを張り転落防止とする工事の様子(筆者撮影)
図2 水路の開口部に樹脂ネットを張り転落防止とする工事の様子(筆者撮影)

 それでは、樹脂ネットの効果を確認しましょう。動画1をご覧ください。ネットの上方から転げるように自然に落ちましたが、特にあちこちぶつけることなく済みました。ネットは体を柔らかく包むような気配で人を受け止めている様子がわかります。そして網目をうまくつかまえることで、元の場所に這い上がることができました。

動画1 完成した樹脂ネット安全策の効果と安全性を実証する試験の様子(筆者撮影)

 動画2は工事から1か月が過ぎた5月に現場の様子を点検に訪れた際の映像になります。田んぼに水を引く時期と重なったので、大量の水が合流部に流れ込んでいる様子がわかります。樹脂ネットとコンクリートをつなぐアンカー、ネット同士をつなぐ接続金具、いずれにも問題がなく安全に役割を果たせると期待しています。

動画2 1か月点検時の現場の様子(筆者撮影)

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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