大分194キロ死亡事故から3年…「私たちはあの日から、被害者遺族になりました」
『本日は、弟の事故から丸3年です。昨日、3回目の公判前整理手続きがあり、裁判に向けて少しずつ動きがあります。私は今日、大分に行きます。昼から、事故現場で取材が予定されています……』
これは今朝、『高速暴走・危険運転被害者の会』共同代表の長文恵(おさふみえ)さんから、届いたメッセージです。
長さんは3年前、大分市内で発生した交通事故で、仲のよかった弟の小柳憲さん(当時50)を亡くした遺族です。
事故は2021年2月9日、午後11時頃、通称「40メートル道路」と呼ばれる片側3車線の道で発生しました。
この道を乗用車で直進中だった少年(当時19)は、交差点で対向車線から右折しようとした小柳さんの車に衝突したのです。
後の捜査で、少年の車の速度は、法定速度(60キロ)の3倍を超える時速194キロであったことが明らかになっています。
しかし、事故から1年5か月後の2022年7月、大分地検は少年を「過失運転致死罪」で起訴しました。検察官はその理由について、遺族にこう説明したといいます。
「被告は直線道路をまっすぐに走行しており、危険運転致死罪と認定し得る証拠がありませんでした」
■事故から1年10か月後、「危険運転」に訴因変更
本件の詳細については以下の記事をご覧ください。
<一般道で時速194kmの死亡事故が「過失」ですか? 大分地検の判断に遺族のやり切れぬ思い - エキスパート - Yahoo!ニュース>
上記は、私が本件について初めて執筆した記事です。当時、遺族は悩んだ末に記者会見を行うことを決断。そして、訴因変更を求めて検察庁に要望書を提出し、署名活動も展開されたのです。
結果的に地検は4か月後の2022年12月、罪名を「危険運転致死罪」に切り替えました。
事故から3年……、現在も裁判は準備段階のまま、時間だけが経過しています。しかし、どれだけ時間が経とうとも、あの日の記憶は、遺族の胸に鮮明に焼き付いています。
以下は昨年11月、姉の長文恵さんが「犯罪被害者週間全国大会」で語られたメッセージです。ご遺族の承諾を得て、3年目となる今日、一部抜粋の上、ここに紹介させていただきます。
■遺族からのメッセージ
事故は、2021年2月9日の深夜11時頃起きました。
この一報を聞いたのは、翌2月10日の午前2時頃、父からの電話でした。電話を取った主人の第一声が「えっ!何で」と驚いた声だったので、不吉なことに違いないと思いました。
そして、主人は私に「憲ちゃんが亡くなったって、事故らしいよ」と言いました。私は頭の中が一瞬真っ白になりました。そして、震えが止まらなくなりました。一体何が起きたのか分からず、母と妹の携帯に連絡してもつながらず、メッセージを残して連絡を待ちました。
その頃、大分の実家では警察から、憲が事故に遭い病院へ運ばれているのですぐに行ってくださいと連絡があったようです。母は、まさか息子が瀕死の状態だとは思わず、「夜中だし、朝ではダメでしょうか?」と答えたようですが、すぐに、ということで、母と妹はタクシーで病院へ。父は留守番となりました。
事故現場に近い大分医療センターは、新型コロナウィルスの対応のために受け入れがなく、大分県立病院へ運ばれていたので、自宅からは一時間近くかかったのではないかと思います。
途中、(遠方に住む)私への連絡は、「夜中だし、まず状況がわかってからにしよう」と思っていたようですが、2人が病院に着く前に憲は亡くなってしまい、自宅に残っていた父に病院から連絡が入ったものと思われました。
後で見た診断書には家族に見守られることなく、事故から約2時間半の間、独りで闘い、 亡くなっていく様子が記されていました。
2人が病院に着いてすぐには、本人に会わせてもらえず、先生のお話しがあったようです。2人は、憲が亡くなっているということを全く予想していなかったため、その後の対面は非常に辛く、悲しいものであったと思います。
その後、折り返してきた電話で、妹は「触ったらね、まだ温かかったのよ。お寺に電話しなきゃ。葬儀場はどこにする? 遺影はどうする? 写真はある?」と言ってきて、現実なのだと、夢なんかじゃないのだと、身体中の力が抜けていきました。
朝を待ち、職場と憲の友達に連絡をとり、私は家族と大分に向かいました。現実を受け入れることができぬまま、涙だけあふれ、実家へ着いたのはお昼過ぎでした。荷物を置き部屋に駆け上がりドアを開けるとベッドの上には脱いだスウェットの上下が置かれていました。
もうこの部屋に戻ることはないのか、もうこの世にはいないのかと思うと悲しすぎて、私はその場に座り込み、号泣しました。
葬儀場に行くと、憲はすでに棺に入れられていました。その顔を見て、「なんだ、ここにいるじゃないか」と会えた気がしてとても嬉しかった。いつもの寝ている時と同じ顔でした。 けれど、その顔に手を触れると、氷のように冷たく、声をかけても目を覚ますことはありませんでした。幸いに、顔の損傷はほとんどありませんでしたが、首から下はシートにくるまれ、その上に浴衣を羽織った状態でした。身体を見ることも触ることもできませんでした。
「私が来るまで、なぜ棺に入れるのを待ってもらえなかったのか」と家族を責めましたが、 “沢山血が滲んでいたことや、足の部分を触ったらそこに何かはあるが、長さを感じる足のような硬いものはなかった”と話すので、やむなく棺に入れた状態だったのだなと理解出来ました。
私の大切なたったひとりの弟が亡くなりました。50歳でした。
私はこの日から、被害者遺族となりました。
■今も続く「右直事故」へのネット中傷に、遺族は…
一般道を、しかも制限時速を時速130キロもオーバーして迫ってきた対向車。直進車が優先とはいえ、そのような高速度で目前に迫る対向車を、右折車側が想定できるはずがありません。検察も亡くなった小柳さんには過失はないと判断しています。
しかし、ネット上にはいまだに、以下のような書き込みが散見されると言います。
こうした中傷行為を受け、長さんは語ります。
「私たちはこの事件を個別の遺族感情のみで訴えているわけではありません。高速度類型における、悪質で故意が明確な運転に対して、抑止になる判決を求めています。そもそも、この事故で弟の過失は一切問われておらず、右直事故であることが争点にはなっていないのです。ネットのコメント欄に事実ではないことを執拗に書き続ける行為は、遺族にとって大変な二次被害以外の何物でもありません」
以下は、遺族が昨年のお彼岸に写したという日中の現場写真です。直線道路と言われていますが、よくみると加害者が時速194キロで走行してきた先の道路は、少し左に曲がっているのがわかります。
長さんはこう続けます。
「皆さん、日本の一般道で時速194キロの車に遭遇したことがありますか? 実証実験を事故現場で行うことも出来ないような速度です。家族にも見せられぬほどの損傷を負い、奪われた命。亡くなるまでの痛み、苦しみ、そして 無念は計り知れません。一瞬にして加害者にも被害者にもなるのが、交通事故です。交通ルールを遵守していて起こった事故でも、被害者遺族には耐え難いことですが、相手が悪質で、故意で無謀な違反行為をしていたのであれば、重い罪にと思うのは当然だと思います。私たちの事件だけでなく、高速度類型の事故(事件)があまりにも軽く判断されている現実を知っていただき、今後の行方を見守っていただけたら幸いです」