新型コロナ禍のなかの修学旅行、自由学園は「何ができるか」を優先した
新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)がなかなか収束しないなかで、修学旅行を実施するのか中止するのか、学校にとっては難しい判断となっている。しかし問題は、実施か中止かではなく、「どう工夫するか」なのかもしれない。
■それは予定外のことだった
それは突然の提案だった。
生徒の1人から、「歌で感謝を伝えよう」という提案があり、たちまち決まった。数人の生徒が黒板に向かって書き始めたのは、「いのちの歌」(作詞:竹内まりや 作曲:村松崇継)の歌詞だった。書き終えると、すぐに合唱が始まった。みごとな流れ、みごとなチームワークである。
それは、まるで事前に予定されていたかのようだった。しかし、それは「予定外」のことだったのだ。
東京都東久留米市にある「自由学園」の女子部中等科3年生は、毎年10月に広島を中心とした「研修旅行」を行ってきた。他の学校でいうところの修学旅行である。
しかし今年は、新型コロナのために実施が難しくなっていた。「3月に延期する案もあったんですが、そのときに新型コロナが収束しているかどうかも定かではありませんからね」と、副学園長の星住リベカさん。もし3月までに新型コロナが収束していなければ、それこそ中止にするしかなくなってしまう。それでは、中等科として最後のイベントが消えてしまうことになりかねない。
そこで星住さんと自由学園女子部副部長の内藤優子さんが話し合って決めたのが、柳川良子さんの話を映像にして、それを教室で生徒たちが観るというものだった。
現在91歳の柳川良子さんは、16歳のときに広島で被爆し、その経験を語り伝えている。自由学園女子部の研修旅行の大きな目的は、その柳川さんの体験談を聞くことになっている。広島に行けなくても、それを実現する方法を考えた結果だったのだ。
最初は星住さんと内藤さんが広島に行って、撮影してこようと考えていた。「しかし、映像に残せるなら貴重な記録になるはずだし、きちんと撮影したほうがいいということになったんです」と、星住さん。そして自由学園の卒業生でもあるドキュメンタリー映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさんに撮影と編集を依頼することになった。
■生徒たちは「何か」をつかんだはず
10月28日、原爆や被爆について事前学習してきていた生徒たちは、完成した映像と対面した。柳川さんの話とともに、16歳のころの柳川さんや被爆後の広島の写真が映像には映し出される。それが、リアリティを感じさせる。映像ならではの力なのだろうか。
柳川さんの話は、60分以上にわたっていた。そのあいだ生徒たちは、ジッと映像を見つめ、話に耳を傾けている。
映像が終わったあとに、グループでの話し合いが行われ、感想の発表があった。「柳川さんの話のなかで、『想像してみてください』という言葉があったけれど、とても想像できない」と、生徒の1人が発言した。柳川さんの話を「関係ない」と突き放しているわけではない。逆だ。戦争を知らない世代にとっては一瞬で街が消えることも、大勢の人たちが亡くなる瞬間も、とても想像できない。自分たちが想像できないことが現実に起きた。そのことを噛みしめるような発言だった。広島に行くことはできなかったけれど、映像という工夫をつうじて生徒たちが考えたことは、けっして小さくなかっただろう。
そして、「柳川さんにお礼の気持ちを歌で伝えよう」という提案があり、合唱となったのだ。
その歌は、「この生命にありがとう」の歌詞で終わる。それは、柳川さんの話を聞いての生徒たちの気持そのものだったにちがいない。広島には行けなかったけれど、それに劣らないものを生徒たちは受けとったにちがいない。
「毎年、この形式でもいいんじゃないですか」と訊いてみたら、「それは考えていません。現地に行くことの意味はあるとおもうので、新型コロナが収束したら広島への研修旅行は復活させます」と、星住さんは言った。新型コロナだったからこそ工夫した研修旅行は、自由学園の女子部中等科3年生たちに「何か」を残したはずである。