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2008年夏の北京五輪とは対照的な冬季五輪の開会式の演出に「戦狼外交」に対する反省の兆しを見た

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(631)

如月某日

 北京冬季五輪が開幕した。中国共産党の人権弾圧に世界各地から抗議の声が上がる中、また新型コロナウイルスの感染拡大で厳重な規制が敷かれた中での開催である。

 前回の平昌冬季五輪では、北朝鮮の最高指導者金正恩の妹金与正が華々しい外交デビューを果たし、最後は失敗に終わったが、一時は米国のトランプ前大統領と北朝鮮の金正恩総書記の直接会談で米朝関係が前進し、朝鮮半島の分断に終止符が打たれるかが注目されるところまでいった。

 しかし前々回のソチ冬季五輪では、プーチン大統領が五輪で身動きが取れないのを見計らったかのように、ウクライナで反政府運動が高まり、親ロシア派の大統領がロシアに亡命するという政変が起きた。

 プーチン大統領は五輪が終わると直ちに反撃に転じ、ロシアの軍事拠点として手放せないクリミヤ半島を武力制圧した。国際社会は一方的な現状変更を非難し、親ロシアから親欧米に大統領が変わったウクライナでは、NATO(北大西洋条約機構)加盟が焦点に浮上する。

 そして昨年誕生した米国のバイデン政権は、民主主義国のリーダーとして「民主主義対専制主義」を課題に掲げ、ロシアや中国に代表される専制主義国家との戦いを宣言した。中国との間では「台湾有事」に強い危機感を表明、またウクライナ国境に10万の兵力を動員したロシアに対し、断固として戦う姿勢を見せている。

 「民主主義対専制主義」が国際政治の中心課題となる中で北京冬季五輪は開かれた。バイデン大統領はウイグル族弾圧などを理由に「外交的ボイコット」を呼びかけ、民主主義諸国はそれを受け入れ、政府高官を開会式に参加させることをしなかった。

 「外交的ボイコット」は、前々回のソチ五輪でも米国のオバマ大統領によって呼びかけられた。ロシアが同性愛を認めないのは人権抑圧に当たるというのが理由である。欧米の首脳がみな欠席する中、ロシアと平和条約交渉を行っていた日本の安倍元総理は、西側世界でただ一人出席した。

 当時フーテンは、米国の言う「人権抑圧」は表向きの話で、米国が後押しするウクライナの政変がまもなく起こることを事前に承知していたから、開会式に出席を見合わせたのではないかと疑った。米国は万が一の場合に備え、五輪観戦の米国市民を救出する名目でソチに近い黒海に軍艦を出動させた。

 するとロシアはそれに対抗するように米国の喉元であるキューバに軍艦を出動させた。平和の祭典と言われる五輪の裏で、軍事的には一触即発の危機が訪れ、それがいまだに続いているのである。

 4日の開会式当日に北京を訪れたプーチン大統領は、真っ先に習近平国家主席と会談し、中露が友好関係にあることを強調してみせた。中国がウクライナと政治的・経済的につながりのあることからウクライナの名指しは避けたが、「NATOの拡大には反対する」との共同声明を発表した。

 そのためロシアがウクライナに一方的に侵攻すれば、習近平国家主席の面子を潰すことになるので、フーテンは北京五輪直後にそうした事態が起こる可能性は少なくなったと見る。そしてウクライナもNATO加盟を急げば、メリットよりデメリットが上回ると考えているように見える。

 米国バイデン政権にしても、主要な競争相手はロシアより中国で、ウクライナ問題に力を割かれてしまえば、「台湾有事」への備えを万全にすることができなくなる。これ以上、ウクライナ問題が深刻化しないように手を打ち始めるのではないだろうか。

 そうした目で北京五輪の開会式を眺めていると、中国もまた攻撃的な対外姿勢を修正していくのではないかと思わせる演出が施されていた。開会式を演出したのは数々の名作を生みだしたチャン・イーモウ映画監督だ。フーテンが最も好きな映画監督の一人である。

 彼のデビュー作『紅いコーリャン』を見た時、とても中国映画とは思えない色彩感覚とみずみずしさに衝撃を受けた。その後の『菊豆(チユイトウ)』や『初恋の来た道』も素晴らしかった。高倉健を主役に迎えた『単騎、千里を走る』ではその演出方法に影響された高倉健がしばらく映画に出演しなくなったという逸話もある。

 最近の作品には感心できないものもあるが、しかし演出家としては極めて優秀だ。そのチャン・イーモウが2008年の夏の北京五輪と今回の冬の北京五輪の両方の総合演出を務めた。中国共産党が認める中国を代表する演出家になったということだろう。

 2008年夏の北京五輪の開会式は豪華絢爛ですさまじかった。中国の悠久の歴史と中国が生み出した文化や技術の数々を、延々3時間以上にわたり、膨大な数の演技者を動員して表現した。これには圧倒された反面、自分たちが世界の中心だという「中華思想」を見せつけられた気がして辟易もした。

 しかしそれからの中国にこの「中華思想」が顕著に表れてくるのである。鄧小平の「改革開放路線」以来、中国の対外姿勢は「爪を隠し、能力を隠して時期を待つ」戦術だった。対外的には決して攻撃的にならず、自らを弱者だと装う姿勢である。それが江沢民、胡錦涛政権にも受け継がれた。

 2008年夏の北京五輪は胡錦涛政権の時代だ。その4年後に習近平が最高指導者に就任すると、彼は「中国の夢」を言い始めた。阿片戦争で西欧諸国の植民地政策に蹂躙される前の国家の姿を夢見るようになったのだ。

 2008年の五輪開会式でチャン・イーモウが演出した中国の悠久の歴史に触発されたかのように、習近平は欧州とシルクロードで結ばれていたかつての中華帝国を思わせる「一帯一路」政策に取り掛かる。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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