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近畿財務局・赤木俊夫上席国有財産管理官の遺した「手記」の衝撃

赤澤竜也作家 編集者
遺族の代理人として会見する松丸正弁護士(左)と生越照幸弁護士(筆者撮影)

パソコンに遺された文書には財務省現職幹部の名前が

自ら命を絶つ前に文書を遺していたらしい。

存在があるとささやかれていながら断片的にしか洩れ伝わっていなかった「遺言」ともいうべき手記の全文が大阪日日新聞の相澤冬樹記者により週刊文春2020年3月26日号で公開された。

https://bunshun.jp/articles/-/36667

森友学園事件が火を噴いた17年2月以降、財務省の佐川宣寿理財局長は国会での野党議員の質問に対し、「確認しましたところ、近畿財務局と森友学園の交渉記録というものはございませんでした」「本件につきましては、平成28年6月の売買契約締結をもちまして既に事案が終了してございますので、記録がのこっていないということでございます」と繰り返し、何度も質疑が紛糾した。

騒動がこのまま忘れ去られてしまうのかと思われた翌18年の3月2日、朝日新聞は森友学園の土地取引をめぐる財務省の決裁文書が改ざんされていたと報道した。その5日後に命を絶たれたのが近畿財務局の職員である赤木俊夫氏である。赤木氏が改ざん行為に深く関わっていたのではないかとも取り沙汰された。

3月9日、赤木氏の自殺が報じられるや、国税庁長官になっていた佐川氏は辞任を表明。3月12日に財務省は14の決裁文書で改ざんが行われていたと認め、6月4日になって改ざんに関する調査報告書を発表した。しかし、その内容はというと、命令過程について徹底的にぼかされていて、誰がどのように指示をし、いかにして行為に至ったのかまったく書かれておらず、霞ヶ関文学の極北のような悪質な記述に終始している代物だった。

財務省は決裁文書を改ざんしただけではない。その文書を国権の最高機関たる国会や憲法上の独立機関である会計検査院、さらには最強の捜査機関と目される大阪地検特捜部にまで提出していたのである。

国家の根本を踏みにじるような数々の行為に手を染めていたにもかかわらず、大阪地検特捜部は早々に不起訴処分を決めてしまった。公文書改ざんの原因や目的はおろか、誰の指示で行われたのかさえいまだ明らかになっていない。

うやむやなまま闇に葬られようとしている森友学園事件の真相。

そんななか、相澤氏の記事が放たれた。

赤木氏はやはり公文書の改ざんに巻き込まれていた。そして自宅のパソコンに「手記」と題した詳細な文書が遺されていたのである。

詳しくは記事を読んでもらいたい。

手記のなかで特に私が気になったのは財務省本省が近畿財務局に対し、会計検査院への検査忌避を明確に指示したと記載されていた点である。

憲法90条は国の収入支出の決算を対象に検査が行われること、内閣が作成する決算を検査する主体が会計検査院であること、そして会計検査院が検査報告を作成することを定めており、行政権の担い手である内閣に対して独立した地位の機関であることを示している。

財務省本省は近畿財務局に対し、これほど独立性の高い憲法上の機関へ「法律相談関係の検討資料は『ない』と説明する」などと嘘をつくよう指示していたというのである。

改ざん発覚後の18年11月22日に会計検査院が公表した「『学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果について』(平成29年11月報告)に係るその後の検査について」において、「改ざんされた決裁文書が提出されたこと」および「交渉記録が隠蔽されていたこと」の2点において、財務省に会計検査法26条違反があったと断じている。しかし、同法31条第2項後段の規定に基づく懲戒処分については見送られた。

結局のところ、誰も責任を取っていないのである。

今回の手記はあらためて会計検査院の中立性や独立性に疑問を投げかけるものとなった。

もう一点、目にとまったのは公文書改ざん発覚当時の理財局長だった太田充氏の虚偽答弁について繰り返し言及していることだ。

実は赤木さんが亡くなられた後も太田氏は疑惑の残る国会答弁を続けている。例えば18年4月11日の衆議院予算委員会で川内博史氏から「決裁文書の調書の別紙『これまでの経緯』の中に安倍昭恵総理夫人の名前が3ヵ所記載されていることを中村稔総務課長は十分に知っていたということでよろしいでしょうか?」と尋ねられた際、「中村理財局総務課長に確認したところ、それは責任はありますが、正直に言うと、その時点においてそこまでちゃんと見ていなかった」と、自らの部下は文書の中身を確認しないまま決裁をしたなどという理解不能な答弁をした。

さらに太田氏については会計検査院の調査に介入すべく国土交通省航空局の蝦名邦晴局長(当時)と交わした機密メモも流出している。財務省は会計検査院に改ざん文書を提出するだけでは飽き足らず、口出しも画策していたのだ。

太田充理財局長(当時)が会計検査院の報告書から過大な値引きに関する「金額」を消すべく画策していたことをうかがわせる流出資料。実際の報告書からは叩き台にあったはずの「金額」が消えていた
太田充理財局長(当時)が会計検査院の報告書から過大な値引きに関する「金額」を消すべく画策していたことをうかがわせる流出資料。実際の報告書からは叩き台にあったはずの「金額」が消えていた

太田充氏の現在の肩書きは主計局長。財務省のトップである次官の地位をうかがう枢要な地位にある。果たして太田氏は財務省の舵取りを任せるに足る資格のある人物なのか。あらためて当時の彼の言葉の検証が待たれるところである。

また赤木氏は「刑事罰、懲戒処分を受けるべき者」として、佐川宣寿理財局長のほか、(中尾睦)理財局次長、中村(稔)総務課長、(冨安泰一郎)国有財産企画課長、田村(嘉啓)国有財産審理室長らを挙げていた。

赤木氏亡きあと、これらの幹部は順調に出世を遂げている。改ざん調査報告書で「中核的な役割を担っていた」と書かれた中村稔総務課長に至っては、その後、駐英公使に抜擢されているのであるから皮肉なものだ。

核心に触れる文書は隠蔽しつづけたままの財務省

20年3月18日、赤木氏の妻は「佐川宣寿元国税庁長官の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に追い込まれた」として、国と佐川氏に計約1億1千万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。「なぜ夫が死ななければならなかったのか、裁判で追及して真相を明らかにしたい。賠償金は何らかの形で世の中のために役立てたい」と話しているという。

大阪の司法記者クラブで行われた代理人による記者会見のなかで気になるやり取りがあった。近畿財務局の上司・池田靖統括国有財産管理官が弔問に訪れた際、「赤木さんは改ざんを巡る詳細なファイルを作っていた」と明かしたのだという。ファイルは大阪地検特捜部に任意提出されたらしく、弁護士は「裁判ではそれを出させたい」と会見の席で語った。

もしそのファイルが開示され、そこに改ざんを巡る命令系統や指示内容についての記載があるならば、疑惑解明への糸口になるだろう。ただし、法廷という場で新たな事実が明らかにされるのかどうか、現時点ではハッキリとしない。

真相究明に向け、この民事訴訟以外にもやるべきことは残されている。

改ざんが明らかになった18年3月以降、国は数多くの書類を公開した。しかしまだまだ隠された文書があるのだ。

まず豊中の国有地が売却される前の近畿財務局の交渉記録(応接録)は17年5月23日に公開されたものの、籠池氏が近畿財務局側に昭恵夫人との写真を提示した14年4月28日のものはなく、書き換え前決裁文書に日付けの記載のある13年7月2日、10月15日、10月21日、14年1月9日などの交渉記録も見あたらない。また土地が売却された16年5月6月の文書が少なく、不自然極まりない。

土地が売却された後の近畿財務局の交渉記録(応接録)は改ざん調査報告書が提出された17年6月4日に公開された。しかし、安倍首相による「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞めるとはっきりと申し上げておきたい」という国会発言の翌日である17年2月18日から籠池氏が小学校の認可申請を取り下げた3月10日の前日までのものが抜け落ちていた。公文書の改ざんが命じられ、実行に移された期間のものだけがスッポリ消えているのである。

また財務省本省と近畿財務局の交渉記録については、立憲民主党の川内博史衆議院議員が、17年2月15日から4月14日までの森友国有地に関する国会理財局内想定問答とともに、18年6月13日に開示請求したが、同年8月13日付けで不開示決定通知書が届いたため、総務省の「情報公開・個人情報保護審査会」に不服を申し立てた。同審査会が19年6月17日付けで財務省関連の2件について不開示は違法との答申を出したところ、財務省は19年11月6日になってようやく開示したものの、役所関連のやり取りのほぼすべてが黒塗りだった。

赤木氏は遺された手記のなかで「本省の指示(無責任体質の組織)と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです」と綴っている。

財務省は行政の公正性が強く疑われる事態を招いていることを肝に銘じ、改ざん指示の命令系統を明らかにすべく、すみやかに黒塗りを外したものを公開しなくてはならない。

今回の訴訟は佐川宣寿元理財局長が被告となっている。

ただしすべての責任は佐川氏個人に還元されるべきものなのだろうか。

赤木俊夫さんが遺したメモ。涙で文字がにじんでいるようにも見受けられる(筆者撮影)
赤木俊夫さんが遺したメモ。涙で文字がにじんでいるようにも見受けられる(筆者撮影)

赤木氏の手記を読んだ限りにおいて、佐川氏本人から直接指示を受けた形跡はない。「当時の佐川局長が判断したものと思われます」という推量の文言や「現場の私たちが直接佐川局長の声を聞くことはできません」といった表現もあった。

また財務省の改ざん調査報告書の中ほどには、

「17年3月20日(月・祝日)に、佐川宣寿理財局長を含めて改めて議論を行うこととなった。その際、佐川宣寿理財局長からは『同年2月から3月にかけて積み重ねてきた国会答弁を踏まえた内容とするよう』念押しがあった。遅くともこの時点までには、佐川宣寿理財局長も、決裁文書の書き換えを行っていることを認識していたものと認められる」とある。

最初に決裁文書の書き換えが行われた17年2月26日の時点では、佐川氏は「改ざんが行われていた」ことを明確に認識していなかったともとれるのだ。

佐川氏が理財局長に就任したのは16年6月17日のこと。森友学園が国側と国有地の売買契約を締結したのは同年6月20日なので、土地取引に実質的な関わりはない。佐川氏や財務省理財局には公文書改ざんという常識外の行動に至る動機やメリットが見当たらない。

国家の根本を毀損する公文書改ざんという行為を決定・指示した真の人物は誰なのか。

この国の民主主義を守るために突き止めなくてはならないのはまさにこの点なのである。

作家 編集者

大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。

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