軍事主権なき日本の緊張感欠く政府と切り込まない野党
フーテン老人世直し録(630)
睦月某日
24日から始まった衆議院予算委員会は異例の始まり方をした。冒頭、金子総務大臣が国会に提出した予算案の資料にミスがあったと陳謝する場面があり、それから自民党を皮切りに各党議員と閣僚による質疑が始められた。
なぜ総務大臣の陳謝が冒頭にあったのかは、午後に立憲民主党の泉代表が質問に立ったところで明らかにされた。泉代表によれば、質問を行うため予算案の資料を精査していたところ誤りを見つけ、総務省に問い合わせた結果、総務省がミスを認めたというのである。
政府が国会に提出する予算案資料に誤りがあるというのは、民間の株式会社で言えば株主総会に提出した資料に誤りがあるのと同じで、許される話ではない。株主からお預かりしたお金で運営されている株式会社にとって、株主総会の資料に誤りがあれば、経営者の責任が追及されるのは必至だ。
株式会社における株主と同様なのが国家に税金を支払っている国民である。国会の予算委員会は政府による税金の使い道が妥当かどうかをチェックするところだが、そこに提出した資料に総務省の調べでは13か所の誤りがあった。
ところが話はそれで終わらない。翌25日の予算委員会も、冒頭に文部科学大臣、法務大臣、国土交通大臣が予算案資料にミスがあったと陳謝するところから始まった。これによって日本は呆れるほど緊張感を欠く政府によって運営されている国であることが分かった。
しかしこの緊張感を欠いた政府に対し、野党第一党の立憲民主党はそれ以上攻め立てることをせず、4大臣が頭を下げたことで問題は終わった。フーテンは自民党が野党第一党だったらどうだったろうと思った。
2009年に民主党政権が誕生した後の自民党の民主党攻撃は激しかった。例えば国民に人気のあった「子供手当」に対し、徹底した「バラマキ批判」を行う一方、所得制限を加えた「児童手当」を実現して自民党は民主党の政策を横取りする。また国会では昔の社会党に負けず劣らずの激しいスキャンダル攻撃も行った。
それはなんとしても権力を奪還したいという権力欲から発した行動だ。昔の社会党が政権交代を狙っていないのに、国会で激しく政府を追及して審議中断に追い込むのとは事情が違う。社会党は権力を奪おうとしていないから激しく政府を追及し、審議を中断させたところで与党と裏取引を行った。
かつての自民党と社会党が表では激しく対立するが、水面下では手を握って裏取引する時代は終わった。今は政府与党と野党第一党が権力を巡って激しく対立する時代である。ところが立憲民主党は政府の予算案資料にミスを見つけながら、それを権力奪取のための材料として有効に使おうとはしなかった。
なにも昔の社会党のように大騒ぎして審議を止めろと言っているのではない。あれは権力を奪う気がないからやっていたパフォーマンスで、もっと賢く立ち回って緊張感を欠く政府の姿を浮き彫りにする方法はなかったのかと思うのだ。
今年が「選挙イヤー」であるにもかかわらず、野党第一党にはまだ権力奪取に向けた熱い欲望が感じられない。それが23日の沖縄県名護市の市長選挙結果にも現れた。野党が推薦する岸本洋平候補は、自公推薦の現職渡具知武豊候補に5千票の大差で敗れた。この選挙結果は秋に行われる玉城デニー知事の再選にも影響する。
実はこの選挙結果は昨年10月の総選挙の時から予想されていた。名護市を含む衆議院沖縄3区で、自民党の島尻安伊子候補が立憲民主党の屋良朝博候補に勝利していたからだ。沖縄3区は玉城知事の衆議院議員時代の選挙区である。
自民党から民主党に政権交代が起きた2009年に沖縄3区で当選した玉城知事は、それから都合7年間衆議院議員を務め、2018年に県知事に当選した。その時の補欠選挙では無所属の屋良朝博候補が自民党の島尻安伊子候補に勝利したが、それが昨年の総選挙で逆転されたのだ。その流れがそのまま名護市長選に現れた。
今年は沖縄の本土復帰から50年目を迎える。戦後、米国の統治下にあった沖縄県民は本土に復帰すれば米軍基地はなくなると思っていたはずだ。しかし何も変わることはなかった。なぜか。それは日本という国そのものが米国の統治下にあるからだ。
建前では1952年に日本の主権は回復された。しかし憲法9条と日米安保条約によって日本に軍事主権は与えられていない。そして憲法9条の理想を教え込まれた国民は、軍事主権を与えられていないことを平和の証として喜んでいる。
軍事主権が与えられていないのは戦後の西ドイツも同様だ。米国によって平和憲法を押し付けられた。ところが冷戦が始まると米国は日本と西ドイツに再軍備を要求する。共産主義との戦いの盾に使おうとしたためだ。
そこで日本の吉田茂が憲法9条を盾に米国の要求を拒否したのとは対照的に、西ドイツは憲法を改正して再軍備に踏み切り徴兵制を敷いた。ただその軍隊はナチスの反省から、兵士の上官に対する抵抗権と、徴兵拒否を認める民主的軍隊である。
それでも米国は西ドイツに軍事主権は与えず、NATO(北大西洋条約機構)の指揮権の下でしか動けない軍隊にした。湾岸戦争が起きた時、ドイツ軍は地中海に艦艇を派遣して多国籍軍に協力した。日本は自衛隊を派遣しなかったことで国際社会から批判された。
日本とドイツは軍事主権を与えられていないことでは同じだが、しかし湾岸戦争で明暗が分かれ、さらに米国に対する従属度に大きな違いがある。ドイツには米国だけでなく欧州各国との協力関係があるが、日本にあるのは米国との2国間の同盟関係だけだ。ドイツより直接的に米国の支配下に置かれている。
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