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トニー・ハドリー(ex-スパンダー・バレエ)来日インタビュー/その言葉に宿る真実=“true”

山崎智之音楽ライター
Tony Hadley / photo by Masanori Naruse

トニー・ハドリーが2022年9月末から10月初旬、大阪・東京・横浜のビルボードライブで来日公演を行った。

1980年代にイギリスを代表するポップ・グループ、スパンダー・バレエのシンガーとして活動。ソロ・アーティストとしては2012年11月と2020年2月に日本を訪れている。前回の公演から5日後に会場のビルボードライブがコロナ禍で臨時休業するというショッキングな出来事があったため、約2年半ぶりの来日ステージは、トニーが戻ってきた!という喜びのムードに包まれて行われた。

「インスティンクション」から始まった東京公演は、スパンダー・バレエの名曲の数々を惜しげもなく披露するグレイテスト・ショー。2023年に発表予定のニュー・アルバムからの新曲2曲を除けば「早い話が」「フライ・フォー・ユー」「ふたりの絆」「ラウンド・アンド・ラウンド」などのヒット・ナンバー、トニーが“一番好きな曲”と語る「スルー・ザ・バリケーズ」、2014年のベスト盤に初収録された「ソウル・ボーイ」など、すべてがスパンダー・バレエのナンバーという構成で、トニーの歌声も絶好調。観客に語りかけたり手を振るなどコミュニケーションを絶やすことなく、観客も手のひらが真っ赤になりそうな勢いで拍手を送る。

後半、「チャントNo.1」「ライフライン」から新曲「Mad About You」を挟んで、誰もが待っていた「トゥルー」が始まる。大声による発声の自粛が求められているため“フーフッフッ、フーフゥ♪”と一緒に歌えないのは残念ではあるものの、誰もが脳内でコーラスを反芻したり、小声で口ずさんだりしている。この日最大の盛り上がりを見せた後、そのままの勢いで「ゴールド」に突入。ピークを極めたままショーは幕を下ろした。

会場にいた誰もがハッピーで、少しばかりセンチメンタルな気分になったであろうライヴを前にして、トニーとのインタビューが実現した。彼は現在の活動からスパンダー・バレエへの想いまで、さまざまな題材について語ってくれた。

Tony Hadley / photograph by Ella
Tony Hadley / photograph by Ella

<ニュー・ロマンティックスは誰もが未来にスリルを感じていた>

●日本に戻ってきてくれて嬉しいです。お帰りなさい!

僕も嬉しいよ。まだコロナ禍が完全に終わったわけではないけど、みんな大きくない声で歌ったり、出来る範囲で楽しんでくれている。それに応えることにベストを尽くすよ。イギリスではもうマスクをしないのが普通だけど、日本やフィリピンではまだ着用しているから、お客さんの表情が見えないのが残念だ。でも彼らの目を見れば音楽に対する熱気と愛情が伝わってくるし、日本に戻ってくることが出来て本当に嬉しい。日本はイギリスと地球の反対側にあって、異なった文化があるけど、みんな丁寧で礼儀正しいし、いつ来ても素晴らしい経験だよ。街を歩くだけで楽しい。昨日はカセットテープ・レコーダーを探しに出かけてすごく歩いたよ。結局見つからなかった(苦笑)。時代は移り変わるものだね。

●いつからライヴ活動を再開したのですか?

2021年8月だよ。1年半近くライヴを出来なかったことになる。ステージは自分のいるべき場所だから、そこに上がることが出来ないのは不思議な感覚だったし、精神的・経済的に打撃を受けたよ。自宅や車の中で歌ったり、福祉施設向けにZoom経由でオンライン・ライヴをやってきたから、声が衰えることはなかった。でも久しぶりにやったライヴはフェスティバルで2万人ぐらいが集まっていて、さすがに圧倒されたね。

●「ライフライン」の最後「live and let die in love」と歌う箇所でポール・マッカートニー&ウィングス「007/死ぬのは奴らだ」の一節をプレイしたり、「ゴールド」のビデオで金色にペイントされた女性が出てくるなど、007へのオマージュを何度かしていますね。

「ライフライン」は歌詞のこともあるし、曲調もちょうど「007/死ぬのは奴らだ」を引用するのがピッタリだったんだ。もう何年もこのアレンジでやっているし、いつも盛り上がっているよ。「ゴールド」のビデオは...正直、良くないよね(苦笑)。スパンダー・バレエ史上最悪のビデオだと思う。それは「トゥルー」のビデオにも言えることだけど、世界21カ国のチャートで1位を取って、僕たちの人生を変えた曲なんだから、もっとちゃんとしたものにするべきだった。画面に隅っこにマイクが映り込んだりしているんだ。初めて作った「早い話が」のビデオの方がクールだったな。「ハイリー・ストラング」「フライ・フォー・ユー」のビデオは気に入っているよ。

●女王もジェームズ・ボンドもいないイギリスに暮らすのはどんな気分ですか?

うん、生まれて初めて経験する奇妙な気分だ。今後ジェームズ・ボンドがどうなるのか判らない一方で、王位の方はチャールズ三世が即位することが判っているけどね。エリザベス女王が亡くなったことはイギリス国民すべてにとってショックだったよ。多くの国民の人生において、彼女は常に国の君主だったわけだからね。誰だって死ぬときは来るけど、彼女が亡くなるとは考えていなかった。彼女とは会ったことがあって、素晴らしい人だった。チャールズ新国王とも何度も会ったことがある。国民のことはもちろん地球全体の環境保護に対する意識も高いし、きっと良い形で国を治めてくれると信じているよ。

●あなたの2冊目の自伝『My Life In Pictures』について教えて下さい。

『My Life In Pictures』は写真集にテキストを付けたものなんだ。もう1冊自伝を出しているし(『To Cut A Long Story Short』)最初はあまり乗り気ではなかったけど、「やった方がいいよ、子供や孫にも残せる」とかおだてられて(笑)過去に写真を撮ってくれたフォトグラファー達に連絡を取ったんだ。何百枚、何千枚の写真からピックアップして、未発表のものも多い。僕が赤ん坊の頃から家族の写真、現在に至るまでのプライベート・ショットもあって、まさに僕の人生を写真で辿る一冊だよ。

●1980年頃、あなたがロンドンのクラブ“ブリッツ”に出入りしていた“ブリッツ・キッズ”時代の写真も見ることが出来ますか?

もちろん!スパンダー・バレエのデビュー前夜の写真もあるよ。我々はロンドンの“ブリッツ”シーンを象徴する、看板的なバンドだったんだ。デュラン・デュランがバーミンガムの“ラム・ランナー”を象徴するバンドだったようにね。当時、ロンドンではパンクに続く新しい“何か”が起ころうとしていた。ただ当時はまだ携帯電話もインターネットも存在しなかった。テレビのチャンネルも3つしかなかったんだ。だから若者たちはクラブに集まって、そこから音楽やファッションの情報を得ていた。1978年頃、ベルリンから電子音楽の新しい波が流れ込んできた。当初は“フューチャリスツ”と呼ばれていたけれど、どこかのジャーナリストが“ニュー・ロマンティックス”という名前を考え出したんだ。楽しい時代だったよ。“ブリッツ”や“ビリーズ”のようなクラブは素晴らしい空間だった。ミュージシャンやファッション・デザイナーなどクリエイティヴな人達を輩出して、誰もが未来に対してスリルを感じていたんだ。我々がバンドを結成したのは1976年だったけど、1978年から1979年に音楽的に急成長を遂げた。そうしてレコード会社と契約をしたんだ。

●ニュー・ロマンティックスといえば強烈なメイクが特徴のひとつでしたが、あなたもそんなメイクをしていた時期がありましたか?

数回したことがあるけど、あまり深入りはしなかった。決してうまく出来たと思わなかったし、ステージだと汗で流れてしまうからね。ボーイ・ジョージやデュラン・デュランのニック・ローズのように効果的にメイクをしていた人もいた一方で、僕はそうではなかったんだ。メイクはスティーヴ・ストレンジのような斬新なアイディアを持った人に任せていたよ。

●ニュー・ロマンティックスを象徴する人物だったスティーヴ・ストレンジとは交流がありましたか?

うん、当時はみんな友達付き合いをしていたよ。スティーヴもそうだしボーイ・ジョージ、ジョージ・マイケル、ミッジ・ユーア、ラスティ・イーガン...集まって音楽を聴いてとりとめもない話をした、エキサイティングで無垢な時代だった。スティーヴの葬式にも行ったよ。彼がいなくて寂しいね。ミッジとはフェスティバルとかでよく顔を合わせる。1970年代の終わり、イギリスはまだ保守的だった。だから新しい音楽やファッションで人々にショックを与えることが出来たんだ。現代ではそれは不可能だ。もちろん良い音楽は生まれているけど、それは“ショック”ではない。ゲイでもストレートでも悪い言葉を使っても、「うんうん、そうだね」で終わってしまう。

●“ショック”というのとは違いますが、あなたのスパンダー・バレエ時代の仲間だったゲイリー・ケンプがピンク・フロイドのニック・メイスンと活動しているのには驚きました(ニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツ)。あなたもプログレッシヴ・ロックの洗礼を受けていますか?

ゲイリーも僕も1970年代のイギリスで育ったから、プログレッシヴ・ロックは通過しているんだ。イエスやエマーソン・レイク&パーマーのライヴを見たこともあるし、ピンク・フロイドも数回見ている。『狂気』(1973)は今日に至るまで地球最高のアルバムのひとつだよ。でも本気で好きだったのはデヴィッド・ボウイ、クイーン、ロキシー・ミュージック、マーク・ボラン、ビー・バップ・デラックス、スレイド、エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート...そのうち何人かとは知り合うことが出来た。それだけでも良い人生だったよ。

Tony Hadley / photo by Masanori Naruse
Tony Hadley / photo by Masanori Naruse

<まさか「トゥルー」がナンバー1ヒットになるなんて想像すらしていなかった>

●あなたが2017年にスパンダー・バレエを脱退した後にシンガーとして加入、1回のツアーのみ参加したロス・ウィリアム・ワイルドのヴォーカルは聴きましたか?どう感じましたか?

ロスは良いシンガーだったよ。彼がスパンダー・バレエにいた期間はきわめて短かったけどね。...僕がスパンダー・バレエを辞めた本当の理由は話したことがないし、今ここで話すつもりもないけど...彼らが僕や家族に対して快くないことをしたとだけ言っておくよ。脱退する以外の選択肢がない状況に置かれたんだ。彼らの振る舞いは受け入れられないものだった。「トニーはもう情熱を失っていた」と発言していたけど、それは嘘だ。それで彼らは新しいシンガーを雇ったけど、うまく行かなかったんだ。それでテレビの生放送で彼をクビにしたことを発表したけど、ロスはそのとき初めて自分が解雇されたことを知ったというね...彼とは面識があったんで、「グッド・ラック」とメッセージを送ったよ。

●今年(2022年)ロスは複数の女性に対する性的暴行の容疑で裁判となっていますが...。

それが事実だとしたら酷い話だし、スパンダー・バレエの名前を汚したと思う。...メンバー達は僕が戻るまでスパンダー・バレエの名前は使わないと言ったと報道されていたけど、それが実現する可能性は今のところないよ。バンドの音楽を愛してくれる世界中のファンには申し訳なく思っている。でも、僕が辞めた理由を知ったらきっと納得してくれるだろうね。今の僕は最高のバンドと一緒にツアーをして、妻と5人の子供がいて、とてもハッピーな人生を送っているよ。

●2023年に新作ソロ・アルバムを発表するそうですね。

うん、そうなんだ。最近のライヴでは新作から2曲、「Because Of You」と「Mad About You」を演っている。レコーディングは大体完了して、あと微調整をして、クリスマスまでには完成させる予定なんだ。良い曲が揃っているし、バンドの演奏もヴォーカルも絶好調だよ。アナログ盤LPのプレス工場のスケジュール確保に時間がかかって、リリースは来年の秋頃になりそうだけど、楽しみに待っていて欲しいね。

●スパンダー・バレエは1984年11月上旬に来日公演を行いましたが、同月25日にバンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」のレコーディングが行われています。日本に来た時点でどれぐらい話が進んでいたのですか?

ボブ・ゲルドフから当時のマネージャー経由で“エチオピアの飢饉のためのチャリティ・レコードを出す”という話をもらって、ぜひ参加したいと返事をしていた。それで日本から帰ってからスタジオに呼ばれたんだ。他のアーテイストの名前も聞いていたから、大きな規模のプロジェクトになることは判っていたし、成功すると思っていた。でも歴史的なヒットを記録して、世界中にチャリティ・レコード・ブームが起こって、空前の“ライヴ・エイド”コンサートまで繋がっていったのは予想すら出来なかった。ものすごいスピードですべてが動いていったよ。僕は未来を予測するのが苦手なんだ。まさか「トゥルー」がナンバー1ヒットになるなんて想像すらしていなかったしね!

【2022年来日前の記事】

トニー・ハドリー(ex-スパンダー・バレエ)が来日。ポスト=コロナ時代の扉の向こうは1980年代

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20220926-00316890

【2012年来日公演前の記事】

スパンダー・バレエのシンガー、トニー・ハドリーが2012年11月に来日決定。「トゥルー」が日本に鳴り響く日

https://www.yamaha.com/ja/journalist/news.php?no=14169

【2012年来日時のインタビュー】

トニー・ハドリー・インタビュー / スパンダー・バレエのシンガーが歩んだポップとロックの道

https://www.yamaha.com/ja/journalist/news.php?no=14208

【2020年来日時のライヴ・レポート】

2020年2月、トニー・ハドリーが来日。スパンダー・バレエの名曲の数々を歌う/2020年2月23日、ビルボードライブ東京

https://jp.yamaha.com/sp/myujin/32739.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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