日本シリーズで3勝3敗に追いつくことを「逆王手」と言うのは誤用? 将棋ライターから見た「逆王手問題」
逆王手とは何か?
「王手」は有名な将棋用語です。それが一般社会でどう使われてきたかという経緯に関しては、こちらの記事をご覧ください。
45年前にTwitterがあったら議論あり?「優勝に王手」という表現が使われ始めて受け入れられるまで(2019年9月11日、松本博文)
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20190911-00142267/
本稿では「王手」と似た言葉である「逆王手」について考えてみたいと思います。
まず、将棋用語としての「逆王手」とは何でしょうか?
1図は後手が△3七角と打ってきた局面です。
1図で先手が後手の2六玉に「逆王手」をかけるには、どうすればいいでしょうか。先手の持ち駒に桂と香がありますので、これをどこかに打つことを考えてください。三択クイズにしてみます。
(A)▲2九香
(B)▲2八香
(C)▲2八桂
角はななめにどこまでも進める駒です。この角が先手の1九玉に「王手」をかけています。
将棋の最重要なルールとして、玉を取られては負けとなります。よって先手は(1)まず王手を防ぐ必要があります。その上で(2)先手が後手の玉に王手をする。これを「逆王手」と言います。
将棋に詳しい方ならば、考えるまでもないでしょう。もし詳しくない方も、少し考えていただければ幸いです。
まず(A)▲2九香。
なるほど、これはまっすぐどこまでも進める香を打って、後手玉に王手をかけています。しかし残念ながら、先手玉の「王手」に対する防ぎにはなっていません。△1九角成と一手先に玉を取られて、それまでとなります。(細かいことをいえば、競技上の厳密なルールを適用すると▲2九香と指した局面で「王手放置」の反則で負けとなります)
では(C)▲2八桂はどうでしょうか。
こちらは確かに、先手玉の王手を防ぐ「合駒」(あいごま)になっています。ただし桂は「Y」の字の2か所(図では1六と3六)に進める駒です。後手玉に王手はかかっていませんので「逆王手」にはなりません。
正解は(B)▲2八香です。
これがまさに(1)王手を防ぎながら(2)相手に王手をかける「逆王手」です。
以下同様に、逆王手となる図を掲げておきます。
自玉の王手を防いだ手が相手玉への王手になっているのを、ご確認ください。
4図は今から百年以上前のトップ同士の対戦。1913年に指された▲阪田三吉七段(42歳)-△関根金次郎八段(44歳)の終盤戦です。
阪田七段は▲4六金と角を取りながら、5八飛の筋を通して「開き王手」をかけました。対して△5四角が見事な「逆王手」。後手玉への王手を防ぎながら、先手玉に王手をかけています。結果は歴史に残る名手を指した、関根八段の勝ちでした。
逆王手は将棋の華です。逆王手の名手、名局をテーマとしても、おそらくはゆうに1冊の本が書けるものと思われます。
本稿ではその将棋用語の「逆王手」からは離れて、一般的な用例について考えてみたいと思います。
読売、朝日両紙の「逆王手」の初出は伝説の「藤井寺決戦」
「王手」と比較すれば「逆王手」は新しい言葉です。
では「逆王手」という言葉は、いつから使い始められたのでしょうか。残念ながら知識不足により、筆者はいまそれを断言をすることができません。
ただし一つだけ言えるのは、一般社会においてはずっと、ほぼなじみのない言葉であったということです。
一般的な辞書にも長らく「逆王手」の項目はありませんでした。
明治以来の膨大な記事を検索できる新聞のデータベースで検索すれば「王手」はたくさんヒットします。しかし「逆王手」については、昭和の段階でもほんの数件しか見当たりません。「朝日新聞」では2件。「読売新聞」では4件です。
前掲の記事にも書きましたが、1970年代前半からぽつぽつと、野球を伝える記事において「王手」という言葉が使われ始めます。それはリーグ優勝、日本シリーズ制覇など、大きな目標を達成するまであともう少し、あともう1勝といった意味です。
そうした流れの中でほどなく「逆王手」という言葉が使われます。
奇しくも、というべきでしょうか。データベース上で検索できる両新聞の「逆王手」の初出の記事は、伝説の「藤井寺決戦」とも言われる、同じ野球の試合に関するものでした。
1978年9月23日、パシフィック・リーグ最終盤の阪急ブレーブス-近鉄バッファローズ戦。それを伝える記事の見出しで、「朝日新聞」と「読売新聞」では「逆王手」という言葉が初めて使われたというわけです。
当時のパ・リーグは前期と後期に分けられていました。
1978年の前期優勝は阪急。後期は阪急と近鉄が最後まで競り合い、最終盤までもつれました。
9月23日の試合前の段階で、1位の近鉄は39勝19敗6分(0.672)。2位の阪急は36勝18敗8分(0.666)でした。近鉄は最終65試合目で、阪急は62試合目。近鉄はいわゆる「自力」の状況で、最終戦の直接対決に勝てば優勝決定でした。一方で阪急はここで勝てば逆転で1位に浮上。自力優勝の目が出てきます。
この大一番で、近鉄の名将・西本幸雄監督は、絶対エースの鈴木啓示を先発に立てました。鈴木投手はここまで25勝9敗。勝数、防御率、奪三振数ともにリーグトップでした。
一方の阪急。こちらも名将の上田利治監督は、史上最高のアンダースロー投手とも言われる山田久志を立てます。山田投手もここまで17勝4敗で勝率トップと、素晴らしい成績を残しています。
近鉄のホームである藤井寺球場に満員3万2千人を集めての決戦。球場全体がエキサイトしていたのか、2回表には主審が「ボール」と判定したことに鈴木投手と西本監督が抗議し、主審が怒って引き揚げるというハプニングもあったそうです。
球史を代表する両エースの力投で息詰まる投手戦となり、迎えた8回表。阪急2点、近鉄1点。阪急は2死3塁から、主砲・マルカーノ選手が鈴木投手からホームランを打ちます。これが決定打となりました。
阪急 001 010 020 4
近鉄 100 000 001 2
(勝)山田 18勝4敗4S
(負)鈴木 25勝10敗
(本)マルカーノ26号
1位 阪急 63試合 37勝18敗8分(0.673)
2位 近鉄 65試合 39勝20敗6分(0.661)
阪急が劇的な一戦を制した翌日、新聞は次のように伝えています。
阪急は近鉄の自力優勝を阻止するとともに、1位に浮上。残り2試合を1勝するか、2引き分けするかで、優勝となる「自力」の権利を得ました。これはまさに「逆王手」と伝えるのが的確だった状況と言えるでしょう。
そしてこの後、阪急は後期優勝を飾りました。前期と合わせて、完全優勝となったわけです。
それにしても2つの新聞でずっと使われてこなかった「逆王手」という言葉が、ここで初めて同時に使われたというのは不思議な感じがします。情報を端的に伝えるのに最もふさわしい言葉であると、見解が一致したということでしょうか。
日本シリーズ第6戦の「逆王手」
「藤井寺決戦」からしばらくして、アイスホッケー日本リーグに関する記事でも「逆王手」は使われました。
この「逆王手」も的確な用例のように思われます。
リーグ戦では試合進行数の違いや引き分けなどの要素がからんで、優勝を阻止すると同時に自力優勝の可能性に立つ、という例があるわけです。
では野球でセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの優勝チームが七番勝負で争う日本シリーズではどうでしょうか?
昭和の間、日本シリーズに関する新聞記事で「逆王手」が使われたわずかな例は、以下の通りです。
1985年の阪神-西武。第6戦では3勝2敗の阪神が勝って4勝2敗でシリーズ制覇。
1989年の巨人-近鉄。第6戦では2勝3敗の巨人が勝って3勝3敗となり追いついた。これが現在、一般的に用いられるようになった「逆王手」の意味です。
それにしても、日本シリーズに4回出場して4回とも敗れた近鉄は、ちょっと気の毒すぎるような気がします。しかも1989年は3連勝の後に4連敗とか・・・。将棋の棋士にたとえると、木村一基九段(46歳)が近い存在かもしれません。
将棋界屈指の人気者であり、また実力者である木村九段は、過去に何度もタイトルに挑戦しています。そしてタイトルにあと1勝と「王手」をかけたところで8回敗れています。そして現在は7度目のタイトル挑戦中。王位戦七番勝負において豊島将之王位(29歳)と戦っています。木村九段もちょうど2勝3敗から追いついて、第6戦に勝って3勝3敗となったところです。上記記事の意味で「逆王手」をかけ、タイトル獲得に9度目の「王手」をかけたところ、と言えるでしょうか。
日本シリーズ第6戦で使われる定番フレーズとなった「逆王手」。一般紙では上記記事のあたりで使われ始めました。
そして1990年後半にもなると、もう「逆王手」という言葉を見ないことはないと思われるほどに、多くの新聞、特にスポーツ紙ではさかんに用いられるようになりました。そして現在に至るというわけです。
で、それが何か問題でも?
そう思われる方もいるかもしれません。ここでいよいよ、本題に入りたいと思います。
日本シリーズでの「逆王手」は誤用か?
日本シリーズ第6戦で使われる「逆王手」は誤用ではないか。
そうした指摘は古くからありました。そしてずっと繰り返され、現在では既に、論点は出尽くしている感があります。
以下は「逆王手」という言葉の使い方を考察するツイートや記事です。
まちがっているとは分かっていても――逆王手(朝日新聞校閲センター「ことばマガジン」)
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2011051100014.html
新・ことば事情6192「逆王手2」(道浦俊彦TIME)
http://www.ytv.co.jp/michiura/time/2016/11/post-3382.html
まとめると、以下のような感じでしょうか。
否定派「将棋における逆王手は、まず相手の王手を防がなければならない。将棋ではある局面で王手をかけられるのは、2人の対局者のうち、1人しかいない。しかし、日本シリーズ第6戦で3勝3敗に追いついた場合は、相手チームの優勝への『王手』を防いでいるわけではない。両方が『王手』をかけている状況にある。だから将棋用語の定義から考えると、これは『誤用』と言うよりない。『逆王手』は使わないようにするか、あるいは他に言い換えを考えるべきではないか」
肯定派「そうした指摘があり、議論にもなっていることは十分承知している。しかし『逆王手』に変わる適切な言葉はあるだろうか。麻雀の『追っかけリーチ』が適切だという声もある。しかしそれは『王手』『逆王手』よりも一般読者のイメージを得られづらい。専門的な見地からすれば、厳密な定義から離れ、正しい用法とは言えないのかもしれない。しかし、そうした例は他にもあるだろう。現在の意味は一般的にも定着しているのだから、それでいいのではないか」
新聞社やテレビ局の中でも見解は分かれているようです。「うちの社では使いません」とある記者が断言しているそばから、他の記者が使っているような例も見られます。
これだけ長い間にわたって指摘が続きながら、状況は変わりません。問題はそれだけ、簡単ではないということでしょう。
辞書に記された「逆王手」の意味
辞書を見てみましょう。前述の通り「王手」は明治の昔から掲載されています。一方で「逆王手」が掲載され始めたのは、ごく最近のことです。
『広辞苑』には第6版(2008年刊)から登場しました。
最新の第7版(2018年刊)も変わっていません。『広辞苑』はスポーツ記事などで使われる「逆王手」の意味には触れない方針のようです。
「逆王手」の項目がある、最近の他の辞書を見てみましょう。
これらの辞書には、最近の用法が記されています。
本題からずれますが、筆者が思った細かい点としては。
『三省堂国語辞典』の「野球などのプレーオフで」というところは、日本やアメリカのプロ野球を想定したものと思いますが、「野球のプレーオフなどで」とした方がもっと広い形式(リーグ戦など)や他分野も含みとできるのではないかと思います。
『デジタル大辞泉』の「王手の対策として打った手」。逆王手は持ち駒から合駒を選んで打つ場合とは限りません。「対策を打つ」でつながっているものと思われますが「『将棋を打つ』は誤り」という無用の指摘を避けるためには「王手の対策とした手」とした方が無難かもしれません。
将棋愛好者は「逆王手」問題をどう見るか
将棋を愛する人は、スポーツ記事的な意味での「逆王手」についてどう感じているでしょうか。
渡辺明現三冠(棋王・王将・棋聖)は、過去にブログで次のように記しています。
囲碁・将棋界には「カド番」という言葉があります。七番勝負では3敗に追いこまれた後に勝ち、「カド番をしのぐ」という使い方がされます。
将棋用語の「カド番」(2019年5月17日、松本博文)
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20190517-00126259/
興味のある方は、上記記事をご覧ください。番勝負の状況を表す言葉としては「逆王手」よりも古くからある表現です。
「逆王手」に関して、筆者がTwitter上で個人的にアンケートを取ってみたところ、次のような回答が得られました。
「やっぱり気になるから改めてほしい」という人は、もちろん多くいます。プロ野球がクライマックスシリーズ、日本シリーズを迎えるこれからの季節。Twitter上における「将棋警察」(あるいは「将棋自警団」)を自認する方たちの「逆王手」に関する指摘は、風物詩とも言えるものです。
一方で、将棋愛好者の中にも「『逆王手』は全然気にならない」「何にしても将棋用語を使ってもらえるのはありがたい」という人もいます。
将棋に詳しい書き手でも、特にこだわりなく、スポーツ記事と同様の意味で「逆王手」を使う人もいますし、その例もたくさん挙げられます。
筆者個人はどうかといえば、将棋用語から離れた意味で「逆王手」を使ったことはありません。しかし、他の人が使っているのを「誤用」だと指摘したこともありません(おそらく、記憶にある限りでは)。
「逆王手問題」は――もしそれが「問題」とするならばですが――将棋がもし廃れ、ほとんどの人が将棋のルールを知らない世界となり、「王手」「逆王手」だけの言葉が残れば、解決されるかもしれません。
しかし、将棋の面白さは不変です。将棋を指す人、観る人は変わらず多く現れ続けるでしょう。そして「逆王手の言い方が気になる」という人もまた、ずっとい続けることでしょう。
結論として「逆王手問題」は、何か絶妙な言い換えが発見されるような、よほどの「妙手」が生まれない限りは、解決されないように思われます。
その妙手は、もしかしたらないのかもしれません。
あるいはもしかしたら気づかないだけで、詰将棋の妙手のように、意外な盲点となっているところに存在するのかもしれません。
その妙手を発見することができるのは、もしかしたらやはり、将棋愛好者ではないか。そんな気もします。スポーツを愛し、情熱を持って語り伝える人に敬意を評しながら、筆者もまた、妙手を求めて考え続けたいと思います。