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豪雪は集落消滅の引き金になる? 過去の事例に学ぶこと

田中淳夫森林ジャーナリスト
今年1月の島根県益田市匹見町。この時はまだ雪はしれていたが……。

日本列島全域が寒波に覆われ、とくに東日本では記録的な大雪が続く。そのため自動車や列車が動けなくなって閉じ込められた人が多数出た。さらに物流が滞り、コンビニの品揃えが落ちたり、雑誌の新号が店頭に並ばない事態も起きているようだ。

現代社会は驚くほど莫大な物流で成り立っていることを改めて思い知る。おそらく、この影響は雪が止んだ後も当分続くだろう。

だが重大なのは、各地の山間集落が雪に閉じ込められて人も物も通えぬ「孤立」が広まっていることだ。

こうした集落では、高齢者ばかりの世帯が多くて雪下ろしもちゃんとできず、このまま雪が降り積もり続けたら危険だろう。

山間で生活することの大変さを改めて感じさせる。そして生活を送るのに限界が生じたら離村する動きが強まり、限界集落化、さらに消滅集落化が進むのである。

そこで先日訪れた島根県の山間部を思い出した。匹見町である。現在は益田市と合併しているが、もともと山間に数多くの小集落が分散する地域だ。わさび栽培や林業、木工などを主産業としている。

だが、1963年(昭和38年)の冬、大豪雪にみまわれた。俗に言う「三八豪雪」である。年末より降り続いた雪は、山も道も田畑も埋めつくし、いくつもの集落が身動き取れなくなった。多いところで積雪は4メートルを超えたそうである。毎日雪下ろしを行っても、合掌造りの家さえ構造材が折れた。結局、完全に雪が消えたのは7月半ばだったという。

このような経験が、ついに集落上げての「移転」を決意させる。離れた山間にある集落の全世帯を、匹見町内の中心部に移そうというのだ。さみだれ式の離村では、人間関係が崩れるうえ、長く築いた文化も雲散霧消する。むしろ集落がまとまって移転する方が、余力を残せるという判断だ。

もともと島根県の施策だった。過疎地からの積極的な撤退である。匹見町も、集落再編計画を立てて、昭和45年度に広見、虫ケ谷の小虫・小平の3集落の移転を決めた。移転費用も助成することになった。

もちろん集落の人々は、諸手を挙げて同意したわけではない。むしろ難色を示した方が多かった。そこで村長が幾度も足を運んで説得したそうだ。結果として、全世帯は学校や役場、商店などに近い何か所かの地区に移転した。

住居は、主に県営住宅などを当てた。仕事は、通いで元からのわさび田や山に通うことになった。

一方で中心部は住民が多くなったおかげで、それなりに賑わいを増しただろう。

こうした事例は、今後も大いに参考になるのではないか。豪雪など天災に加えて、人口減少はまったなしなのである。

匹見町の集落移転は、まだ日本全体では、高度経済成長が続いていた時期であり、人口も増加していた。しかし今や日本列島全体で人口は減少しているのだ。このままだと30年後に、現在の自治体の半分くらいが消滅するという。周辺自治体が衰退すれば、大都会も衰退が強まるだろう。

おそらく否応なく、集落(都市部も含む)の再編成が課題となる。放置すれば、現在のようなさみだれ式離村が続き、集落には老人ばかり、それも独居状態で残されがちだ。長く続いた村の行事も消え、人間関係も弱まってしまう。行政側のコストも馬鹿にならない。地方は元気をとりもどすことなく衰退する。

一極集中ではなく、各地の拠点都市にまとまる移転が望まれる。

ただし、まとまって移転するにしても、エネルギーがいる。各戸の利害も絡む。無理強いすれば、移転先でもうまく行くまい。そして、移転先をどこにするのか、その条件も重要だ。

実は、現在の匹見町は、町全体の人口減少が進み、かつて集落移転した地域も衰退が続いている。町も合併してかつての自治体としては消えた。

将来を見通した計画が必要である。今からでも遅すぎるくらいだ。早急に立案に取りかかるべきだろう。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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