どうする家康完結! 家康29歳、この場所で挫折し出世が始まった
関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。
大河ドラマ「どうする家康」が完結しました。ふり返れば、弱冠25歳(数え年)で三河の国を統一した家康は、29歳で浜松に移ります。この地では、二俣城の戦い、三方ヶ原の合戦などで、武田軍に手痛い敗北を喫し、この経験が天下の統一につながりました。
浜松は現在、「出世の町」と呼ばれています。
最終回の余韻冷めやらぬなか、「どうする家康」のゆかりの地のなかで、岡崎城はじめ混雑しているスポットを除いた、ぜひ訪ねたい穴場をシリーズでご紹介します。
【第1回】どうする家康完結! 信康自刃「二俣城」には、村上春樹の世界の終り的な場所も
【第2回】どうする家康完結! 瀬名が落命した場所を暗示「謎の地蔵」とは?
【第3回】どうする家康完結! サイレント退場の服部半蔵のお守りの入手方法は?
家康が最初に入城したのは引馬城
家康は、新たな領地となった遠江(とおとうみ)を抑えるために、まずは引馬城(ひくまじょう)に移ります。
浜松駅の北口を出て、引馬城跡まで、徒歩17分。浜松城公園入口バス停からなら、徒歩すぐです。
引馬城跡は、現在、元城の東照宮となっています(Yahoo!地図)。
社殿です。徒歩5分強の場所にある浜松城が混んでいても、ここを訪ねる人は、決して多くありません。
引馬城に入った、青年期(29歳ごろ?)の徳川家康像です。
右の豊臣秀吉は、実際は家康よりも年上ですが、今川時代の引馬城を訪ねた時期に合わせ、少年像です。織田信長に仕える前の秀吉にとって、出世のきっかけとなるできごとでした。
引馬城に入った家康は、武田信玄の脅威に備え、南西方向に敷地を拡大し、浜松城の建設に取りかかります。
この場所は、天竜川が作った河岸段丘(川の流れに沿って作られた階段状の地形)の東側のキワにあたり、東からの侵入が予想された武田信玄を意識した立地です。
地図にある玄黙口は、家康が三方ヶ原の戦いで大敗し、必死の思いで帰還した門と伝わります。この時のことを家康は後にこう回想したそうです。
「わしが三方ヶ原から逃げ帰った時、(お供は)ようよう七人ほどしかいなかった。それも野原の中を走って逃げた」(「寛元聞書」)。
浜松城は土日祝日は混雑
土日祝日は混雑しますが、浜松城の天守閣からは、東の天竜川の方向や、北側の三方ヶ原台地が確認できます。三方ヶ原古戦場跡(超穴場、石碑のみ)へ足を延ばすこともできます。
お出かけになる場合、浜松城を朝や夕方に回すのが、混雑対策のコツです。浜松城は、午前8:30~午後16:30に開館(但し入場は10分前まで)。直近の休館日は、2023年12月29日・30日・31日となっています。
【どうする家康の舞台】ゆかりの地(城・古戦場跡)全国一覧とモデルコース(とらべるじゃーな!)
ブラタモリも訪ねています。
【ブラタモリ浜松 全ロケ地】駅のピアノ・東照宮家康像などを写真で紹介!#153(とらべるじゃーな!)